5.サッハの主③
翌日、ブルフ軍は出発の合図を待つばかりとなっていた。
「戦う相手が全く変わってしまった。兵をまとめるのも大変だろう」
シンはブルフに言った。
「いいえ、思ったほどの混乱はありませんでした。タレイ平原での戦いの後に、我が軍に姿を現したシン様のことは、兵の多くが目にしています。シン様が王の正式な御子であることも、不思議な力をお持ちであることも、知られております。まして、戦う相手がオスキュラ軍となれば……迷うこともありますまい」
「お前たちも同じ考えか?」
シンはブルフの後ろに控えた隊長たちに聞いた。
「ブルフ様の判断に委ねて、ついて行くことに決めております」
「オスキュラ軍をクイヴルから追い払うことは、かねてからの望みでした」
「家族のことまでご手配頂き感謝しています。力を尽くして戦います」
「オスキュラ軍相手なら、迷うことはありません」
シンに視線を向けられ、彼らは口々に答えた。
「そうか。だが、ガドの慌てる顔が目に見えるようだ。あの人は融通がきかないから、今まで敵として戦っていた相手に背中を預けるのは抵抗があるかもしれないな」
少し困った顔をしたシンに、ブルフは答えた。
「安心していただけるような策をたてましょう」
「そうしてくれると助かる」
シンは頷いた。
ブルフと話すシンを、ブルフ軍の兵が見つめる。シンが彼らを振り返った。彼らはシンに向かって礼をとった。いつの間にかそこにいるブルフ軍の兵全てが、シンに向かって頭を下げている。
「出発の準備は整っております」
ブルフの副官が告げた。
「シン様、行ってまいります」
ブルフの軍人らしい声が響く。
(アイサだったら……こんな時どうしたらいいのかわかるのだろう。この空気の中で兵を言祝ぎ、神の恵みを受けていると感じさせることができるのだろう。アイサには、そういう力がある。だが、僕に、それはできない。自分のことはよくわかっている。だからこそ、自分の持てるもの全てを使って、どん欲に勝ちをつかむ。武運を神に祈る資格なんて、僕にはないのだから)
シンは顔を上げた。
「必ず、国境のオスキュラ軍を止めよ」
「はっ」
シンに一礼すると、ブルフは一万の兵を率い、タレイ平原を後にした。




