5.サッハの主②
天幕の中に案内されたブルフは、そこでシンの軍を率いる面々を見た。
「紹介しよう。こちらがスオウ、そしてこちらがグランのキアラ殿だ」
ブルフは昨日シンとともにやってきた大柄の男と長身の男、スオウとキアラに一礼した。スオウとキアラも礼を返す。
「それからナイアス殿とナッド」
ウルス王の甥にあたるナイアスと、かつてサッハの軍にいたナッドには見覚えがある。ブルフは一礼しながら身が震えた。
(ナイアス様が裏切り者の俺を許すことなどありえないだろうに)
だが、王家の生き残りのナイアスは自分の家族や親せきを奪った敵であるブルフに、一切の感情を見せない。ブルフは微かに目を伏せた。そのブルフにナッドが礼を返す。
最後にシンは武将と言うには風変わりな二人を紹介した。
「そして、シャギルとルリ」
この二人にもブルフは一礼した。
「よろしくな、ブルフ殿」
シャギルが言い、ルリが頷く。
「さて、ブルフ殿、本来ならば、ブルフ殿にはしばらく我々とともに行動していただき、お互いの信頼を深めたいところだが、私は一刻も早くサッハの城を落としたい。時が惜しいのだ。そこで、早速だが……あなたには、国境からサッハに向かうオスキュラ軍を止めていただきたい」
シンは淡々と言った。
王都での戦いに参加せずに済むことは、内心ブルフにとって有難かった。ついさきほどまで仲間としてともに戦ってきた相手に刃を向けることは、自分にも、自分に従う兵にも葛藤がある。その感情がいくら甘いものだとわかっていてもだ。
だが、シンの言葉を聞いて、ブルフは別の意味で戦慄した。
「国境にいるオスキュラ軍は優に一万を超え、そこにグランに散っているオスキュラの部隊が合流する。我々にとって厳しい戦いになるでしょう」
ブルフは低く言った。
「それでも、私と戦うよりは多くの者が生き残れる」
シンはブルフとその副官を見つめた。
彼らは冷たいものが彼らの心に触れていったような気がした。
副官はぞっとし、ブルフは必死で持ちこたえた。
(甘くはなかった)
だが、ブルフは声の震えを抑えて答えた。
「承知いたしました」
シンはブルフに目をやって続けた。
「ブルフ軍には、サッハに攻め上ろうとするオスキュラ軍を足止めすることを命じる。ガドが八千の兵を率いてブリカの森で待ち伏せている。だが、ガドだけでは荷が重い。ガドを援護してほしい」
ブルフは思わず顔を上げ、無表情にも見えるシンを見つめた。
「ガド殿が八千。それはありがたい。ですが、あなたは何故この私をそのように信用するのです? もし私が裏切れば、ガド殿の軍は容易く壊滅するでしょう。私が主を裏切る人間であることはご存じのはずです」
「あなたはこの国を立て直すのに必要だ。そのあなたの望みと、私の望みは同じだと思うが?」
シンは答えた。
「国を再興して下さると仰るのか?」
「そのためにここにいる」
「オスキュラを追い払い、以前のクイヴルを取り戻して下さると?」
「オスキュラを追い払えるかどうかは、あなたの力次第だ。それに、断っておくが、私はクイヴルを以前のようにする気はない」
「どういうことです?」
「新しいクイヴルを創りたい」
「新しいクイヴル?」
「開かれたものでありながら、国としての独自性を持ち、他国と対等に関わっていけるクイヴルだ」
「それは大仕事でございましょう……ウルス王、エモン様、そして、シン王子……私は選び続けなくてはならない運命のようだ。ならば、シン王子、あなたの描くクイヴルのために命をかけましょう。これが私にとって最後の賭けです」
シンはブルフに頷き、キアラに言った。
「ブルフは国境付近でオスキュラ軍を見張るグランの者から情報を得る必要があるだろう。よろしく頼む」
「便宜を図るよう伝えましょう。だが、ブルフ殿、グランの民を裏切るようなまねは許さない。それをよく肝に銘じておいて下さい」
今までシンの圧倒的な存在感の中で印象が薄かったキアラだったが、それは間違いだとブルフは知った。
多くの者を従える覇気を、この男も備えている。
(グラン人だが……何者なんだ?)
考えを巡らすブルフに、シンの声が聞こえた。
「それから、スオウ、サッハにいるブルフ、及びブルフ軍の上位にいる者たちの家族の保護を仲間に頼めないか?」
「わかった。手配しよう」
スオウはすぐに答えた。
ブルフはこのやりとりに耳を疑った。都に住む自分や仲間の家族のために手を打たねばならない、せめて、エモンから身を隠す指示をしたいと気をもんでいたのだ。
「本当でございますか?」
見つめるブルフにシンは頷いた。
「それは有難い」
副官からも安堵の声が漏れる。
「では、ここまでにしよう」
「ブルフ殿をご案内しろ」
シンの言葉でキアラが控えた兵に命じ、ブルフと副官が天幕を出る。クルドゥリの仲間と話をするため、スオウ、シャギル、ルリもその後に続いた。
彼らが天幕を去ると、シンは言った。
「キアラ、グランの部下のことは心配はいらないと思う。ブルフは裏切らない」
「シン様がそう仰るのでしたら」
「ナイアス殿もガドのことが心配だろうが、ブルフを信じていい」
「いえ、私は、いとこ殿を信じておりますから」
そう答えながらも、ナイアスは思った。
(あの目だ。時折感じる、シン様の人を測るような感じ)
「キアラの部下はクルドゥリの者たちとよく連絡を取り合っている。ブルフの動向に不審なところがあれば、すぐにクルドゥリの者が知らせるだろう。それに、僕の勘が外れて、オスキュラを討つはずのブルフ軍が、最悪の場合、オスキュラに通じてガドを襲うようなことがあったら、その時こそ容赦しない。そのためにも、なるべく早くサッハの城を落としておきたいのだけれどね」
「ブルフは信用できると言いながら、裏切られたときのことも考えていらっしゃる。シン様は、何か特別な力を使って目の前の人物の心を読んでいる訳ではないのですか?」
ナイアスは思わず聞いた。
「それはないよ」
「しかし……シン様が私そのものを見ようとなさるとき、心が何かに触れられる気がします。そして、その瞳の奥に何かが宿っているような気がするのです」
口に出してみると、ナイアスは自分が馬鹿げたことを言ったような気がした。だが、シンは少し考え、苦笑した。
「そうか。僕が、この人を信じていいのだろうかという気持ちを持ってその人を眺めるとき、僕は、僕に宿っているナハシュを呼んでしまうのだな」
ナイアスは面食らった。
「あの……ナハシュとは?」
「ああ、ナハシュは蛇の姿で僕の心に現れる。ナハシュは人の心を知り尽くした魔物といったところかな? 僕は海の国で試された時、どうにか奴の誘惑から逃れられたが、その後、あいつはこの剣に宿り、僕の心の一部となっている」
「海の国の魔物がここに……?」
ナイアスとキアラがシンの剣を見つめた。
「そうとも言えるかもしれないね」
「それでは、あの、逆にその魔物にシン様が飲み込まれるということは?」
ナイアスは恐る恐る聞いた。
「ナハシュと一体となった僕は、いつでも自分自身に飲み込まれる危険があるだろうな」
目の前の二人にではなく、シンはまるでどこか遠くに向かって言っているかのようだった。ナイアスとキアラはそっと顔を見合わせた。シンの闇に触れたような気がしたのだ。




