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Bright Swords ブライトソード  作者: 榎戸曜子
Ⅲ.夜半の月
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5.サッハの主①

「ここまでついてきてくれた兵を無駄死にさせたくない。かといって、彼らを裏切り者にしていいものか」

 ブルフは悩んだ。

 既に議論を尽くしたブルフ軍の隊長たちは、固唾(かたず)()んでブルフの決断を待っている。

 ブルフの脳裏に、エモンの館で、城の回廊で、士官学校の寮で、薄暗い酒場で、オスキュラからクイヴルを守るためにはどうしたらよいか連日のように仲間と語り合った日々がよぎった。

 それは、ほんの二、三年前のことなのだが、それが今では遠い昔のように思われる。

 エモンがサッハの権力を握るまでは、ブルフも希望を持っていた。エモンは私利私欲に走る貴族たちを押さえ、それをまとめられない王を力で廃し、オスキュラにつけ込まれまいとしていた。それはクイヴルのために必要なことだと思えた。ブルフはエモンの率いるクイヴルのためなら、あらゆることをしようと思ったものだ。

 しかし、エモンがクイヴルを手にしてからの日々は、ブルフにとって、先の見えないトンネルの中を行くようだった。オスキュラはエモンの後ろ盾となり、エモンを守る一方で、クイヴルを疲弊させるような要求を突き付ける。クイヴルにそれをはねつける力はなく、エモンは従わざるを得ない。国内では王統派の抵抗が根強く、人々の暮らしは困窮し、その心もすさむばかりだ。

(クイヴルは、このままでいいのか?)

 夢中で進みながらも、先が見えない。何かを見失っていたのではないかと思えて不安になることもしばしばだった。

 そして今、ブルフの前にウルス王の息子、シンがいきなり姿を現した。

 父親を失い、養父を失い、義理の兄に命を狙われながらも、シン王子にはそのことに捕らわれている様子が見えない。

 それどころか、シン王子には戦いに(おもむ)く者の夢や野心も感じられなかった。

 静かに先を見る目……それがブルフを不思議な気持ちにさせる。ブルフは大きく息を吐いた。

「ウルス王を裏切った私が、またここでエモン様を裏切る。そんな私について来いとは言えぬな。しかし……私がエモン様のやり方に失望していたのは事実だ。シン王子はクイヴルの民のためと仰った。この情勢の中で、それが叶うかどうかはわからない。しかし、それこそが、私が欲しかった言葉なのだ」

「では?」

「シン王子にお会いし、もう一度その真意を確かめる。シン王子に下るのはそれからでもいいだろう」

 ブルフは言った。


 タレイ平原は広い。

 ここには幾筋か川が流れ、鳥の種類も、その数も多い。鹿やイノシシ、ネズミや野ウサギ、そしてそれを狙うキツネやオオカミもいるはずだ。だが、シンの軍が陣を置く今、動物たちはその気配を消している。

 平原の先には森が点在し、それを迂回するように街道が続いている。そして、その先の山地を越えると、王都サッハのあるビスイ領だ。


「おい、シン、飯にしようぜ?」

 キアラを押しのけ、シャギルとルリが天幕に顔を出した。ちらりとシンの表情を窺った二人は、少なくとも表面上は、シンがいつもと変わらないことを見て取った。

 天幕の中ではちょうど朝食の準備がされているところで、心得た兵がルリやシャギル、キアラの分の食事も用意する。と言っても、パンにジャガイモのスープ、干し肉とお茶、といった簡単なものだ。

「こんな食事だったら、ビャクやアイサたちと旅していた頃の方がよっぽど豪勢だったぜ」

 まじめに抗議するシャギルにルリは笑った。

「それは当然よ。あの頃は六人で、小回りがきいたもの」

「そうだな。新鮮なハーブや肉は取ってくればいくらでもあるし、宿場で仕入れもできたし」

「スオウの料理は美味しかった」

 シンも言った。

「グランの王宮育ちの坊ちゃんには、わからないと思うけどな?」

 シャギルの勝ち誇った視線に悔しがってキアラも反撃しようとしたが、旅の経験は彼らの方が遙かにまさっている。

 ルリとシャギルが話す旅の話は、どんな些細なことでも思わず聞き入るものばかりだ。

「めぼしい兵を呼んで、短時間でもいいからスオウ殿に料理の指導をしていただいたらいかがです?」

 思わずシンに言ったキアラに、シャギルとルリが吹き出した。

 シンも笑っている。

「おい、俺がどうしたって?」

 スオウがタイミングよく、その場に現れた。

「いや、シャギルたちがあまりスオウ殿の料理の腕をほめるものだから……」

 キアラは言った。

「キアラがあとで直々に指導して欲しいそうだ」

 シャギルが笑う。

「それは違う。兵の中からめぼしいものを選んで、そいつらに、だ」

 キアラは慌てた。

「自分が習う方が早いよ」

 シンが言った。

「そう言えば、シン、お前、熱心に習っていたな」

 シャギルの言葉にキアラは驚いた。

「本当ですか?」

「そうだ。なかなか見込みのある弟子だぞ」

 スオウは笑い、それから真顔になった。

「ブルフがこちらに向かっている」

「待ってたぜ」

 しんとした天幕の中でシャギルが言った。


 シン、スオウ、ルリ、シャギル、そしてキアラは天幕を出、そこへ、ブルフと副官が案内された。

 隊長たちを始め、ブルフ軍の兵は離れたところでブルフの最終決定を待っている。しかし、彼らの思いは、その落ち着きのない様子から察せられた。

 彼らは、すでにこの平原で起こったことを聞いている。

 何よりも、目の前に広がる生々しい戦の跡は、彼らの戦意をとうに奪っていた。


 シンはブルフの前に立った。

「返事を聞かせていただこう」

 まず、シンが言った。

「その前にいくつか伺いたい」

 ブルフがシンを見つめる。

「何だろうか?」

「我々は、ここに来る前に、あなたの行った戦いのあとを見てきた。あなたは、この惨状をサッハで繰り返す気か?」

「サッハの住民に手を出すつもりはない。私の相手は、兄と、それを守ろうとする者だけだ」

「なるほど。それと、我々があなたに下った場合、我々をどう使う気だ? 戦いに使うにしても、つい先ほどまで敵だった相手を、そう易々とは信用できまい。私の軍にしても、そう簡単に気持ちが切り換えられるかどうか」

「それについては考えがある。あなたたちが兄の軍と直接戦うことはないだろう」

「そうか、それはどのように……いや、それさえお聞きできればもういい。私の意を伝えよう。兵の安全を保証し、その誇りを守ってくれるというのなら、私はあなたのもとに下ろう。我が軍の者にも、そのように説得する」

「利口だな……だが、本当か?」

 シャギルが口を挟んだ。

「クイヴルに対する責任を果たせとあなたは言った。ならば、私は私を育んだこのクイヴルと、クイヴルの民のために、もう一度自分の道を選ぶ。エモン様の行く道が私の望む道でないのなら、引き返すだけだ。それがどんなに無様(ぶざま)だろうと」

 厳しい顔で語るブルフに、シンは頷いた。

「約束しよう。あなたの決断に感謝する。細かい話をしよう。こちらへ」

 シンは天幕の中に、ブルフとブルフに付き従う副官を招いた。


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