4.ナハシュ⑬(挿絵あり)
何も見えない空を見上げていたシンは天幕に戻って横になり、少し眠った。目を覚して、外を見ると雪は止んで、空には月があった。
(夜明けが近い)
シンはひとり天幕を出ると、小高い丘に立った。
凍り付くような寒さだった。
やがてあたりが薄明るくなり、月が薄くなる。
地面が蠢く気配がした。
連合軍が動き出したのだ。
シンは剣の柄を握った。
剣がシンの思念と連動し、暴走寸前の荒々しい力がシンの体に漲ってくる。
「シン様」
キアラの声がした。
「今、行く」
シンはすでに準備の整った軍を見渡した。
シンの前にはスオウ、シャギル、ルリ、ナッド、、ナイアス、キアラが揃っている。
「では、打ち合わせ通りに。連合軍をうまく誘導してくれ。あとは、僕がこの先の丘から火を放つ」
「周りに誰も残さない気か?」
シャギルが聞いた。
「必要ないだろう?」
シンは素っ気ない。だが、シャギルは首を振った。
「そうかな? 敵にとって、こんな絶好の機会はないぞ? 総大将が一人っきりだなんてな。そこで俺は提案する。これはスオウとも話したんだが、ルリを残していきたい」
「シャギル、どういうこと? 聞いていないわ」
ルリはシャギルを見た。
「皆の意見だ。どう考えてもシンが一人でいるというのは常識がない」
スオウも言い、キアラ、ナッド、ナイアスが頷く。
「ルリ、頼むよ。皆、僕一人じゃ心配らしいから」
シンもルリを振り返って言った。
「わかったわ。急な話だけど」
ルリは答え、それぞれが自分の隊に戻るところでシャギルを捕まえた。
「シャギル、シンが心配というのは嘘ね? 何故、私を残そうとするの? まさかとは思うけど、私のことを心配しているの?」
「まあ、そんなところだ」
シャギルはおどけて見せた。
「おかしいわ、あなただって、私が今までどんなことをしてきたか知っているでしょうに」
「それはよくわかっているよ。だが、今回ばかりは……シンの、海の国の剣がシンの思惑通りに働くなら……炎の中から恐怖で逃げ出した兵を切り続けることになる。お前にはしんどいと思うよ。それに、お前はこの間から働きすぎだ」
「それはみんなも同じじゃないの?」
ルリの声に苛立ちが混じる。
「とにかく、誰かが残った方がいい。それはお前がいいっていうのは、みんなの意見だよ」
シャギルは真剣だった。
ルリは少しの間黙ったが、小さく言った。
「戦いに優しい気持ちは無用よ。こんな風に甘やかされると……」
「次に戦うのがきつくなるか?」
シャギルは優しく聞いた。
「いいえ、そこまで甘くはないわ」
まっすぐ見返すルリに、シャギルは溜息をついた。
「じゃ、今だけ休めよ」
「余計なことを」
「余計なことだっていうのは始めからわかっていたさ」
それだけ言ってシャギルは自分の部隊に向かう。ルリはいつもと変わらぬ足取りで戦いに赴くシャギルの背を見送った。
シャギルが手際よくルリの部隊を自分の指揮に入れた。
改めて軍が揃う。
前方に連合軍がその姿を現し、両軍が対峙する。
連合軍から弓矢が放たれた。
しかし、シンの軍はその挑発に乗らず、素早い動きで連合軍を確実に取り囲むことに集中する。
これに対して連合軍はばらばらになり、タレイ平原に分散してシンの軍を誘おうとしたが、シンの軍の各隊が効率よく動き、それを許さない。
徐々に行く手を抑えられ、勝手の違った連合軍は慌てて退路を探した。そして、それが難しいとわかると陣形を整え、固まってその包囲を突破することにしたようだった。
シンは丘の上から両軍の動きを見ていた。シンの立つ丘の上まで、人のうねりと、戦いの気配が伝わってくる。
鳥たちの気配が消えている。
ルリが自分の後ろに来たのがわかった。
シンは剣に手をかけた。
シンと一体化しようとする海の国の剣ナハシュの力のせいなのか、丘の上からでは、見えるはずもない戦う者の表情までシンには見える気がする。
シンは静かに剣を抜き、それをタレイ平原に向けると、そこに群がる連合軍に集中した。
(ナハシュ、力を解放しろ)
シンの思念に剣がこたえる。剣が炎を吹き、タレイ平原が炎に包まれた。
タレイ平原が燃えている。
ナハシュの放った大きな炎は荒れ狂う竜のようだ。
「シャギル、スオウ」
思わずルリは叫んだ。
「ルリ、炎の上がっているところをよく見て。彼らのところには触れていないよ」
ルリに答えたシンの顔には何の感情も見えない。
「シン……」
平原では浮き足立っている連合軍をまるで生き物のような炎が取り囲み、連合軍の兵はパニックに陥っている。
炎の間に逃げ道を見つけ、連合軍の兵が我先にと逃げ出す。その逃げまどう兵を、待ち構えていたシンの兵が容赦なく襲う。
その地獄のような戦場を、シンは見つめていた。
シンには、自分自身でもあるナハシュの引き起こす目の前の惨状から、目を逸らすことは許されなかった。
目を逸らせば、たちどころにナハシュの火は暴走し、敵味方なく焼きつくす。シンは火を放った後ナハシュを使って自在に風を操り、味方の軍を守らなくてはならなかった。
(確かにシンの言う通りだ。シンはこの火をコントロールしている)
ルリは息を吐いた。
戦いは一方的だった。
早々とスオウの隊が引いたところを見ると、敵将を討ち取ったのはスオウのようだった。
「勝ったわね」
ルリは戦場からシンへ目を移した。
「シン?」
「敵軍にとって、今度は僕が神の雷のようなものだ。僕は災いそのものだ」
シンは独り言ちた。
「シン、海の国の剣の力は途方もなさすぎる。私たちには異質だわ。シン、わかっているの?」
ルリはシンを窺った。
しかし、シンは答えなかった。その表情は心の中で吹き荒れる狂気をかろうじて抑え込むのに必死のように見える。
ルリは無意識に体が硬くなった。
シンはそんなルリを宥めるように努力して口を開いた。
「ルリ……僕はこの力を使ったことを後悔していない……戦っても……勝たなければ、その先には進めない。だから、勝つしかないんだろう……さあ、みんなを迎えようか。これから、すぐにしなくてはならないことがある」
シンは見つめるルリを残して丘を降りた。
sanpo様より頂きました「ナハシュを抜く時」です。
sanpo様、どうもありがとうございました!




