7.トハナミの戦い④
城郭の先に姿を現したネルとオスキュラの連合軍は、前面にダンタス率いるオスキュラ軍、その後方にクラトス率いるネル王弟軍が続いていた。
オスキュラ軍がまず正面から憎き裏切り者、ススルニュアの傭兵部隊を叩き、ネル王弟軍がネル王子軍を漏らさず討つということらしい。
「ダンタスは単純だわ。オスキュラでは常識かもしれないけど、ススルニュア傭兵部隊が必ずしも前面に立つとは限らないのに」
ビャクグンが無表情で言った。
向かい合う両軍が動き始めたところで、王子軍から押し寄せるオスキュラ軍に向かって火矢が放たれた。凍てついた土地には密かに油がまかれていて、たちまち一面に火が燃え広がる。
王子の率いる部隊が軍の先頭に出る。
両軍がぶつかった。が、間もなく王子軍はオスキュラ軍を前にしてその勢いに押されるようにあっけなく後方へ引き始めた。
オスキュラ軍の追撃が始まった。
散開する王子軍が更に後ろへ引く。勢いづいたオスキュラ軍がそれを追う。しかしその時、燃え広がっていた火が所々に仕掛けてあった火薬に引火し、逃げた王子軍の後方で大音響をあげ始めた。王子軍を追っていたオスキュラ軍の馬が驚き、乗り手を振り落として四方へ走り去る。
それだけではなかった。
先ほどまで何でもなかったオスキュラ兵の動きが目立っておかしくなったのだ。
「あれは……何をしたの?」
アイサは傍らで戦況を見守るビャクグンに聞いた。
「アイサも言っていたでしょ? 物資には気をつけなくちゃって」
「物資?」
「ええ」
ビャクグンは頷いた。
「オスキュラ兵は戦いに向かう前に、気持ちを鼓舞するために薬を飲むわ」
「ああ、私もゲヘナの炎の前に行くときに勧められたわ。あのお酒のこと?」
アイサはセレンの身代わりになってパシパの神殿に向かった時のことを思い出した。
「そう、それをいつもより濃いものにしてもらったの。あの薬は適量ならば気持ちが大胆になって体の動きもよくなるんだけど、量が過ぎると体のバランスが取れなくなる。思ったように体が動かないのよ。それに強い刺激が加わると幻覚まで伴う。戦いには不利だわね」
「不利どころじゃないわ。オスキュラ軍はその力の半分も出せていないのではないかしら?」
アイサはバラバラなオスキュラ軍とそれに向かっていく王子軍、これに対抗するクラトス軍の動きを見つめた。
くすぶり続ける火と土埃の中で人々が叫び、馬が嘶く。
アイサの意識が続けざまに響く爆発音とぶつかり合う音の中に引き込まれた。人々の恐れや、憎しみ、怒りや絶望は神殿にいたアイサには珍しいものではない。だが、神殿でアイサを襲ったのはあくまでも意識に過ぎなかった。
ここでは実際に人が倒れ、傷つく。
「アイサ」
ビャクグンがアイサの名を呼んだ。
アイサの意識がビャクグンのもとに戻る。
「私たちはけだものよ。目の前に立ちふさがろうとする者がいれば、自分の牙で切り裂くしかないの。何かを守りたいなら、それを忘れないことね」
ビャクグンはエメラルドの瞳に映る自分自身を感じながら言った。
「わかっているわ。だけど……」
(シンはどんな気持ちで戦っているのだろう? 人々の命を預かって戦うということが、シンにとってどれほど重いことか……)
「シンは……どうしているかしら?」
アイサは彼方に広がる戦いを見つめた。
「アイサ、いくら私が剣の稽古をつけても、あなたは戦いになると相手に致命傷を与えようとしない。それがあなたにとってどんなに危険なことか……シンは、それがよくわかっている」
「ビャク……それでも、シンの助けになりたかったのよ」
「焦りは禁物。まずは、ここ、ネルからでしょ?」
「そうだったわね」
「それに、もうじき終わるわ」
「ビャクは……クラトスの軍には手を出さなかったのね?」
「ナガト殿を討ったから……それ以上は手が回らなくて、ね」
「手が回らないですって? 嘘でしょう?」
自分を覗き込むアイサからビャクグンは目をそらした。
「あの王子なら、オスキュラさえ何とかなれば、クラトスに勝てると思ったからよ」
ビャクグンの言葉にたがわず、王子軍はオスキュラ北方軍の混乱に動揺するクラトス軍に牙をむいている。
(そう、これは彼らの戦いなのだ。それがどんなに悲惨で醜いものでも)
アイサはじっと耐えた。




