7.トハナミの戦い②
モリハ王の死の知らせが届くと、王弟クラトスは自分の居城があるギランにダンタスが率いるネル駐留のオスキュラ軍を呼んだ。
ススルニュアの傭兵部隊がそっくりいなくなったことと砦での戦闘が災いして、オスキュラ軍はその数を半数近くまで減らしている。
それだけではない。
離反したススルニュアの傭兵部隊の二つともが、まるごとトハナミにいるとの情報が入り、これを聞いたクラトスは焦った。
もはや体面を気にしている場合ではなくなったのだ。
この日、ダンタスがクラトスに会うのは一月ぶりだった。
クラトスはダンタスを盛大に歓迎し、早速宴の席が設けられた。
歌に踊り、次々と運ばれる贅沢な料理に高価な酒の数々……だが、その豪華な宴の主賓として招かれながらも、ダンタスの機嫌は悪かった。
(ロッツとその配下の遺体が見つかったと報告が入り、まだ生きているのではないかという一縷の望みが絶たれてしまった。その上、ススルニュアの傭兵部隊が敵に寝返るとは……これだからススルニュアの者は信用できぬ。金に汚い傭兵どもめ)
ダンタスはクラトスに型通りの礼をすると、クラトス自らが注いだ酒に乱暴に口をつけた。
(スルガの奴め……覚えていろよ。戦死者と負傷者を除いても、我々にはまだ二千数百の兵がある。クラトス軍と合わせれば六千以上だ。クラトス軍一の武将ナガトを失ったことは痛手だが、王子軍はススルニュアの傭兵部隊を加えても四千そこそこのはずだ)
酒を飲みこみながら、ダンタスはクラトスの指にある大きな宝石に目をとめた。
(確かにこの国は小さい。しかし、その北にエメラルドやルビーといった宝石の原石が出るシャロベ山系を持つ。大陸一厳しい気候だが、ボリー川では砂金もとれる。人手さえ注ぎ込めば、大きな利益が見込めるのだ。この国を手に入れれば、オスキュラは宝の箱を一つ手に入れたも同然だとロッツも言っていた。その上、最近小賢しい動きをするグランに、ここから圧力をかけることもできる、とも。そう、ネルはこの先、いくらでも使える国だ)
思いを巡らすダンタスに、再び酒が注がれた。
「このたびは、してやられましたな?」
ダンタスの険しい表情を窺っていたクラトスは、勿体ぶって言った。
「所詮、金で動く奴らです。大方、王子に見慣れぬ額の金でも積まれたのでしょう」
ダンタスは怒りを抑えて答えた。そんなダンタスにナガトという武将を失い、単独ではススルニュアの傭兵部隊を得たスナミと互角の兵力しか持たなくなったクラトスは、媚びた笑みを浮かべた。
「なるほど。我々も一時は欺かれましたが、今は危機を切り抜け、ここにこうしてまみえている。さて、兄モリハは、その息子スナミ王子を次の王にと言い残しましたが、果たしてスナミ王子がオスキュラのやり方をどこまで理解できるか……」
「その通りですな。我々オスキュラが手をお貸しするのは、亡き王の弟君クラトス殿、あなただ。スナミ王子がどんな小賢しい手を打とうとも、オスキュラの後ろ盾があるクラトス殿との力の差は歴然としている。我々がこのまま一気に攻めれば、向こうはひとたまりもありますまい」
ダンタスの言葉に力がこもった。
クラトスはそれを見て満足そうに頷いた。
「それでは、ここ数日の内に、ことを決することになりましょうか?」
「そういたしましょう。我々もここまで来た以上、長引かせる気はない。少々出鼻をくじかれた形にはなったが、お互いの兵の士気を高めたところで打って出ましょう」
クラトスは酒のグラスを持ち上げ、自分の中指に輝くエメラルドの指輪に目をとめた。
「ところで……あの娘は見つかりましたか?」
「あの娘? ああ、パシパの炎を封じた娘ですか?」
ダンタスはスルガに対する怒りが蘇り、顔を赤くした。
「どうやら幻の国の男とトハナミにいるらしい……そちらの方も手を打たねば」
「捕らえたら、是非見てみたいものです。すばらしく美しい瞳をしているそうではありませんか?」
クラトスはうっとりと指輪のエメラルドを見つめた。
「左様にお望みであれば。しかし、まずはスナミ王子を倒し、スルガを殺すことが先ですぞ?」
ダンタスはきっぱりと言った。
ダンタスを筆頭とするオスキュラ北方軍の隊長格が滞在したのはクラトスの居城だったが、それ以外のオスキュラ兵はギランの城壁の外にテントを張っていた。
そこへはクラトスのもとから水や食料、そして燃料が届く。
それらの物資を一手に引き受けていたのはギランの商人、そしてどこにでも通じているのがクルドゥリの者だった。
ことのほか厳しいネルの寒さであったが、ネルの辛みの効いたスープが兵の体を温める。
毎晩配給される強い酒も彼らにとって大いにありがたかった。
砦での一件の後、かすかにあったクラトス軍に対するわだかまりも、ススルニュアの傭兵部隊を率いるスルガに対する一抹の恐怖もいつの間にか薄らいで、オスキュラの兵たちはすぐ先に待つはずの勝利に酔い始めていた。
王の死後、数日が経った。
王子に弔意を伝えるため、トハナミを訪れた王弟クラトスの代理が王の亡骸に形式上の別れを告げると、間もなくオスキュラとクラトスの連合軍がギランを立ったという報告がトハナミに入った。
いよいよ戦いが始まる。そして彼らが決して楽な相手ではないということは、これを迎え撃つ王子側の誰もが承知している。トハナミの町全体が張り詰めた空気に包まれた。
「ビャクはどこにいるのかしら?」
礼拝所でトハナミの町の人たちと一緒に過ごしていたアイサは、シオンの部下のハッセに聞いた。
ハッセはシオンの仲間の中でも特に穏やかな男だった。
「こちらに向かっている軍をご自分の目で確かめたいと仰って出て行かれましたが、もう戻られるはずです」
アイサは黙って頷いた。
ハッセは周りの人々が自分たちを伺っていることに気づいていた。
不意に王子のもとに現れたかと思うと、王の死後は王子を助けて混乱する王の側近をまとめ、クラトスと対抗すべく資金を提供しているトハナミの客。その上、ススルニュアの傭兵部隊まで引き連れてきた自分たちのことを、トハナミの住人は降ってわいた幸運ととらえている。
(これはクルドゥリの先にも大きな影響を与える一大事な戦だ。俺も気を引き締めなくては。それにしても……アイサ様は海の国からいらしてまだ日が浅い。まして海の国にはこのような戦いはないと聞いた。それなのに、この落ち着きはどうだ? ビャクグン様を信頼なさっているというだけで、いつ敵の大軍が攻め入るかも知れないこの状況の中で、こうまで淡々としていられるものか? それに……)
「アイサ様、王子は勝てる?」
礼拝堂にいた子どもの一人が大人たちの制止を振り切ってアイサに聞いた。大人たちも制止したものの、聞きたいのはその子どもと同じだということが伝わってくる。
「必ず勝つわ。信じて待ちましょう」
アイサを見上げていた子どもが頷く。
(アイサ様の存在はビャクグン様とはまた違った力を人々に与える。この子どもも恐怖が消えたわけではないだろう。それでも、このように誇り高い顔をする)
「そろそろ始まるわね、ハッセ」
「はい。ビャクグン様の準備はもう済んでいます。さあ、城郭にある物見に行きましょう。王子もそこにいらっしゃるはずです」
ハッセは言った。




