6.ネルの砦⑱
ナガトは声を張り上げ自分たちはネルの者だと叫び、味方を集めながら林を抜けた。
林からは徐々に戦いの気配が消えていく。
「襲ってきたのはオスキュラ軍だった」
ナガトは林を振り返った。
「ナガト様」
兵の一人がかすれた声を上げた。
そちらを見れば、暗闇からナガトに近づく影がある。
シオンとその仲間だ。
「お前たちは?」
日は落ちていたが、味方の兵のかざす松明がナガトの前に立った敵の姿を浮かび上がらせた。
「オスキュラ人ではないな……だが、裏切り者のススルニュア人でもなさそうだ」
射るような目をして見つめるナガトに向かって、シオンが黙って剣を抜く。
瞬時にその場の雰囲気が殺気立った。
ナガトの部下も自分たちを取り巻く見知らぬ相手に剣を向けた。
シオンが間合いを詰め、剣を振るう。
そのシオンの鋭い切っ先は、しかし、ネル一の武将ナガトに躱された。
「お前たち、ただ者ではないな。どうしてもこのいきさつを話してもらうぞ」
ナガトの気迫はすさまじかった。
ナガトに従うネルの兵が一斉にクルドゥリの者たちにかかっていく。
数合交えた後ですっとシオンが引いた。
そのシオンの後ろから、ひとりの華奢な男が現れた。
男はしんと冷えた目でナガトを見つめている。
「何者だ?」
「別にあなたには恨みはないのですが」
その男は一見、戦いに無縁に見えた。
長い黒髪を一束に束ね、その顔立ちは優しげにさえ見える。
憎しみも、恐怖も、正義を信じた者の強さもない。
それでもナガトは思わず身震いした。
「いったい……何者なんだ?」
「先ほどは……名を尋ねられたのに」
男は言った。
ナガトの脳裏にオスキュラの使者の姿が浮かぶ。
印象の薄かった使者と目の前の男は別人に見える。
しかし、その心を引く笑みは同じだった。
「お前はあの使者なのか? お前は何者だ?」
信じられないように目の前の男を見つめるナガトの表情が徐々に怒りに変わった。
「これで三度目……」
「ネルだ、相手はネルの兵だ」
「裏切り者のススルニュア人ではないぞ?」
「退け、いったん砦に戻れ」
ダンタスの伝令の兵が叫んでいるのがかすかに聞こえた。
オスキュラの兵が引いて行く。
「どうやら、ここまでのようです」
場違いの美しい声だった。
「お前……私を騙したのか?」
「はい」
「何故我々の邪魔をする?」
痛いほどの気迫で自分を見つめるナガトに、ビャクグンは静かに言った。
「風の民といったらお分かりですか?」
「風の、民だと?」
ナガトは息を飲んだ。
「はい。ネルの行く末はネルの国民が決めるもの……我々のようなよその者が介入することではありません。ですが、オスキュラがかかわってくるのであれば、話は別です」
ナガトはふと笑みを漏らした。
「風の民とて、自分らの利益のために動く、というわけか。ならば、我々は同じだ。俺はオスキュラを利用する。俺はどんな手を使ってでもクラトス様をネルの王にする。それが俺の役目だからな」
「そう……では、クラトス軍一の武将、ナガト殿のお相手をさせていただきます」
ビャクグンは言った。
ナガトはさっきまで自分の傍にいた使者を見つめた。
この男には隙というものがなかった。それどころか、自分の心臓の音ばかりが意識される。
自分の周りが霞む。
目の前の男だけが鮮やかで、これ以上ないほどにくっきりと見える。
(それなのに……いや、だからこそか……それに捕らわれて体が思うように動かない。俺は……大きなものに見据えられた小物だ……)
そう思った途端、恐怖が走った。
その感覚に追いつめられてナガトは剣を握りしめた。それから何かに追い立てられるように目の前の男に思い切り太刀を振るう。
「うっ……」
ナガトの剣はビャクグンに届くことはなかった。
振り下ろされるナガトの剣をよけ、ビャクグンがナガトの心臓を一突きにしたのだ。
(あれでは、痛みを感じる時間さえあるまい)
倒れていくナガトを金縛りにあったように見つめるネルの兵を見ながら、シオンは思った。




