6.ネルの砦⑨
トハナミと並ぶ大きな城郭のある町ギラン。ここにネルの王弟クラトスが住む。
ネルに駐留するオスキュラ軍が陣取っているのはその南西。彼らが陣を張る付近には高木の針葉樹が目立つ。北の山々から流れ出す川の水量は豊かだ。
夕暮れに五人の部下を連れて、オスキュラ北方軍指揮官の参謀ロッツが陣を離れた。ロッツは急遽ギランに向かうことにしたのだ。
土地に不慣れなロッツたちは土地の者に道案内をさせている。
夕闇が迫り、やがてあたりが暗闇に包まれた。だが、彼らの足並みに乱れはない。
遠くの小高い丘の上に、ギランの城郭の灯りが見えてきた。
「もう戻ってよい」
ロッツが道案内の男に言った。
オスキュラの兵にびくびくしていたネルの土地の男は、ほっとして引き返して行った。
道案内がいなくなるとロッツの傍らにいた男が言った。
「しかし、急なことでございましたね」
「クラトス様に送った使いが戻らない。後を追わせた者もだ。ギランで何があったのか……直に確かめねば気が済まんのだ」
ロッツは答えた。
「スナミ王子の仕業だと?」
「または……王子に与する者がいるのか」
「考えすぎではありませんか? もうこの国はクラトス様のもの、いえ、オスキュラのものとなったも同然です。今更、スナミ王子側に何ができるというのです?」
別の男が笑った。
「それでもな……嫌な感じがするのだ」
「わかりました。それならば、必ず確かめなくてはなりますまい。あなた様の勘はよく当たります」
ロッツの一行はギランの城壁の灯りを目がけて馬を急がせた。
その一行に追いついてきた馬があった。
「ロッツ殿ですね?」
馬の主は軽やかに馬を操りながら無防備に近づいた。
「何者だ?」
ロッツを取り囲む男の一人が聞いた。
返事はない。
「お前は誰だ? なぜ私のことを知っている?」
ロッツが低く聞いた。
「それは申し上げられませんが、ロッツ殿がクラトス様にお会いになるのは困るのです」
追って来た男は答えた。
「では、邪魔をしていたのはお前か」
ロッツの言葉が鋭くなった。
ロッツの一行を呼び止めたのは一人の男。
月の明かりがその男を照らした。
一目見て手練れと見えるロッツの一行を相手に、力むことも、たじろぐこともない。
「たった一人とは……我々も侮られたものだ。よほど腕に覚えがあるのか、それとも道理のわからぬ馬鹿者か?」
「さあ、どちらでしょう?」
ビャクグンの顔にかすかな笑みが浮かんだ。
「私をロッツと知っていた。お前はスナミ王子の手の者か?」
ロッツが重ねて問う。が、すぐにその目が冷たく光った。
「まあ、嫌でも話したくなるさ」
「オスキュラ北方軍の名だたる参謀であるロッツ殿、あなたはどうしてもクラトス様につくのですね?」
ビャクグンはゆったりと聞き、ロッツは笑った。
「ああ、今はこんな所だが、ネルはどうして役に立つ。この私と、これからのオスキュラにとっては、な」
「なるほど。そんな話も命があってこそですが」
ビャクグンも微笑む。
「生意気な奴だ」
ロッツの傍らの男が剣を抜いた。
それを合図に、ロッツの前に出た二人の男が飛び出す。それを受け流して、ビャクグンは再びロッツに対峙した。
受け流されたものの、態勢を立て直した男の一人がビャクグンの背後で倒れる。
その胸には既にナイフが刺さっていた。振り向きざま、ビャクグンの剣が近づいたもう一人を襲う。
「確かに、強いな」
言うが早いか、ロッツの剣がビャクグンの頭上に振り下ろされた。
華奢なビャクグンはひとたまりもないように見えた。
その上、部下の三人が抜かりなくビャクグンの退路を断っている。
ロッツの顔に確信の表情が浮かんだ。
だが、
「ちっ」
振り下ろした剣を躱され、ロッツの表情が驚きに変わった。
(手加減はできない)
続けざまにロッツが剣を振るう。その太刀筋を静かに見ていたビャクグンがその切っ先を受け止め、わずかにその流れをそらして身をかわすと、次の瞬間に、傍らに迫ったひとりを斬った。
「今度はこちらから」
ビャクグンの投げた短剣がロッツを守る残りの二人を襲う。そして……再び襲いかかったロッツの剣をビャクグンの剣が受け流すと、そのままロッツの首の動脈を切った。
鮮血がビャクグンのマントにかかる。
「シオン、何故来た? そんなに私が心配か?」
返り血のついたマントを捨てながら、ビャクグンは闇に身を隠していたシオンに言った。
「いいえ、ご報告があります。スルガ殿がオスキュラ本隊のススルニュア傭兵部隊の説得に成功しました。彼らは全て、スナミ王子側につきます」
シオンは慌てて言った。
「そう? でも、監視は怠りなくしておくれ。私はこれからトハナミ戻り、それからネルの王弟クラトスに会いに行く」
「承知しました」
「じきに日が昇る。ご苦労だが、これからだ」
「打合せ通りにタイミングを計るのが、なかなか難しいです」
「そんなに堅く考えなくてもよい。次善の策がある」
ビャクグンは軽やかに馬に乗り、答えた。
シオンの顔に余裕が戻る。
(あの方はクルドゥリの希望だ。まだお若いが、その肩にはこれからのクルドゥリの命運がかかっているのだ)
遠ざかる次期長老を見送り、シオンはそこに倒れている死者に目をやった。
(ビャクグン様の手にかかった者たちは、自分に何が起こったのかすらわからないままに死んでいく。私があの方と打ち合ったら……いったい自分の腕で何合までもつだろう?)
シオンの顔に賞賛と畏れ、どちらともいえない表情が浮かんだ。




