6.ネルの砦⑦
アイサとビャクグンはスルガの執務室へ連れて行かれた。
そこは大きな机と書棚、後は椅子が数脚置いてあるだけの簡素な部屋だった。
(さて、堂々とここまで来てしまったけれど……ビャクはどうするつもりだろう? スルガと呼ばれた男……この砦を預かる傭兵部隊の隊長らしい。ススルニュア人か。ビャクの勝ちだ)
アイサがビャクグンを見ると、ビャクグンはウインクした。
「何をしている?」
スルガに従うエイルという男が睨む。その外見だけでなく、言葉もススルニュア訛りだ。
(完敗ね)
アイサは肩をすくめ、ひょろりとしたオスキュラの男ヒュメゲルに目を向けた。
「とても信じられない。こんな、こんな娘が……いや、見た目だけではわからんが……どうやったらこんな娘にパシパの炎が封じられる?」
アイサをじろじろ見ていたヒュメゲルが呟く。だが、すぐに我に返って、迷いを払うかのように喚き出した。あいつは自信を持ってお前だと言い切った……お前は人の皮をかぶった悪魔なのか?」
ヒュメゲルは気味悪そうにアイサを見た。
「何故黙っている……?」
ヒュメゲルの顔に再び血が上ったかと思うと、ふと、その顔に意地の悪い笑みが浮かんだ。
「お前……どうやってあの炎を封じた? 言え。さもないと、その美しい化けの皮をはいでやるぞ?」
ヒュメゲルが懐から短剣を取り出し、それをアイサの顔へ向けた。その切っ先がアイサの顔に触れる。
「ヒュメゲル様、落ち着いて下さい。お気持ちはわかりますが、そういきり立っては取り調べができません」
見かねたエイルが間に入った。
「うるさいぞ、エイル」
ヒュメゲルが乱暴にエイルを押しやる。
一方、スルガはそんなやりとりも目に入らない様子で、アイサを、そしてビャクグンを見ていた。
(これはどういうことだ? 相手は捕虜のはずだが……こちらの方が圧倒される)
スルガはそんなことを思った自分に苦笑した。
だが、真実なのだ。
「本当にお前があの炎を封じ、神殿を破壊したのか?」
スルガはアイサに聞いた。
「ペルトが保証しているではないか」
ヒュメゲルが怒鳴る。
「この見た目に騙されるなよ? そもそもおかしいじゃないか、こんな状況で……私に対してこんなにもふてぶてしいとは。普通なら泣き叫んで跪き、懇願するはずだ。ただの娘じゃない。やはり、こいつは……」
「お前があの炎を封じたのか?」
スルガはヒュメゲルなどそこにいないかのように繰り返した。そして、こう聞きながらも、スルガは自分がその答えを知っていると思った。
「そうよ」
予想通りの答えを、屈託のない凛とした声が答える。
「確かに封じたのは若い娘だったという……だが……それは簡単にできることではないはずだ」
スルガは言い、傍らのエイルも頷いた。
「簡単だったわけでもありません」
静かに成行きを見守っていたもう一人の捕虜、ビャクグンが言った。
「お前は何者だ?」
目の前の男がどこの国の者なのか、スルガにはわからなかった。
華奢な体に繊細な顔立ち。だが、戦いに慣れたスルガはその中に得体のしれないものを感じて、本能的に間合いを取りたい衝動に駆られた。
「私はオスキュラの王や王子たちがその所在を探らせている、幻の国の次期長老」
美しい声だった。
「まさか、そんな嘘が通用すると思うか? 助かろうと思うなら、もっとましな嘘をつくのだな」
武官のスルガの緊張が高まっていく一方で、いかにも文官らしいヒュメゲルが甲高い声を出した。
「どう思おうとそちらの勝手ですが、その国の手がかりだけでも手に入れられたら大手柄なのでは? オスキュラの軍には幻の国の情報が入れば、必ずオスキュラ王に知らせるようにと厳命が下っているはずです」
声を荒げているわけでもないのに、この目の前の男に圧倒される。
「本当ですか?」
エイルがスルガを見た。
「ああ。パシパの炎を封じたのはたった一人の娘だった。だが、それを助けた者たちがいる。その国は我々が知ることの無かった国だと聞いた……王や王子たちは執拗にその所在を探している」
こう答えながらも、スルガはビャクグンとアイサから目を離さなかった。いや、離せなかったのだ。
「それが本当なら……さらに大手柄だ。パシパの炎を封じた娘だけでなく、それを助けた幻の国の者か……すぐ本国に知らせなくては。いや、その前に、まずはダンタス様に連絡を……」
興奮が絶頂に達したヒュメゲルが伝令の兵を呼ぼうとした時だった。
「ヒュメゲル殿、少し落ち着いてもらえないか?」
捕虜の二人を見つめていたスルガが言った。
「何だと?」
ドアに向かったヒュメゲルの足が止まった。
「考えが……まとまらないのでな」
「今更何を考えるというのだ? 雇われの傭兵部隊長ごときお前が何を考える? オスキュラ北方軍の総指揮を執られるダンタス指揮官にこのことをお知らせすることに、何の異議があると言うのだ? 我々のすべきことは明らかだろう?」
ヒュメゲルは苛立ち、そんなヒュメゲルにスルガは噛んで含めるように言った。
「なるほど、あなた方オスキュラ人は神の雷による災いを知らない。むしろ、神の雷の恩恵にあずかってきた側だ。だが、我々ススルニュア人はあの火には言葉では言い表せないほど苦しめられてきた。それを封じてくれたというなら……ヒュメゲル殿、この娘は我々の恩人ということになる」
「お前……スルガ、何を言っている?」
「エイル、ヒュメゲル殿には席を外してもらおうか」
スルガは腹心エイルに言った。
エイルは息を飲んでスルガを見た。だが、それも僅か一瞬だ。
「ヒュメゲル様、失礼します」
大柄なエイルが、たちどころに長身のヒュメゲルを拘束する。
「エイル、やめろ。スルガ、裏切るつもりか? こんなことをして何になる? 誰かいないか、裏切……」
ヒュメゲルはそれ以上叫ぶことができなかった。エイルがヒュメゲルの鳩尾に拳を入れたのだ。エイルは意識を失ったヒュメゲルの身体を軽々と奥の書庫に運んで行った。
「いいのですか? 彼はオスキュラ人。オスキュラ軍があなたにつけた監視役でしょうに」
興味深そうにビャクグンが言った。
「そうだ。だが、仕方がない。国がオスキュラに席巻されて、我々もオスキュラの兵に成り下がった。しかし、目の前にパシパの炎を封じてくれた恩人がいるのに、その人をオスキュラに売ることなど……断じてできん」
「ビャク」
アイサの目がドアに向いた。
部屋のドアが乱暴に開かれて、灰色の固まりと、スナミ王子が飛び込んで来た。
「ハビロ」
アイサが明るい声を上げる。
「やれやれ、砦の隊長と一緒だったとは。だが、これで手間が省ける」
スナミ王子と王子率いるネルの兵がスルガを取り囲む。異変を感じてエイルが書庫から飛び出して来たが、そのエイルにも鋭い剣が向けられた。
とっさにエイルも剣を抜く。
「騒ぎ立てすると、隊長の命はないぞ?」
スナミはアイサの縄を器用に解きながら、ネル兵に囲まれたスルガを顎で示した。既にビャクグンは縄を解いている。
「誰かいないか? 返事をしろ」
叫ぶエイルをネル兵が抑え、スナミはアイサに預かっていた剣を渡した。
「確かに返した。しかし、重くて苦労したぞ」
「ありがとう」
アイサが触れると剣が一瞬輝いた。
「あなたはスナミ王子……ですね?」
ネルの兵に囲まれたスルガは眉を寄せた。
「そうだが……どこかで会ったか?」
「お姿を拝見したことがあります。ですが、何故ここに?」
「おもしろそうだったからだ。悪いが、この方たちは返してもらうぞ?」
スナミの後ろから、シオンが部下を連れて部屋に入って来た。
「ビャクグン様、アイサ様、ご無事ですか?」
「ああ。それより……」
ビャクグンは言った。
「全てご指示通りに」
シオンが答える。
「ありがとう。ちょうどいい。今後のことを話し合いましょうか?」
ビャクグンは部屋の面々を見回した。
「ススルニュアの傭兵部隊長と話し合いとは、どうなっているんだ?」
今度はスナミが眉を寄せ、ビャクグンとスルガを見比べた。
「あなたの方こそ、どうなっているのです? この砦は私の部下に守られている。王子、いくらあなたでも簡単にはここまでやってこられないはずだが」
スナミに対するスルガの口調が厳しい。
「コウが便利な薬を持っているのでな」
「……殺したのか?」
一瞬にして殺気立ったスルガにスナミは笑って見せた。
「いいや、眠り薬だ。すぐに目が覚めるだろう」
「そう……か」
スルガが息を吐く。
「隊長、た、大変です。何者かが……砦の、中に……」
おぼつかない足取りで部屋にたどり着いたススルニュア人の兵は侵入者を見て目を見張った。エイルは剣を抜いたまま抑えられ、鋭い眼光をしたネルの兵がスルガを囲んでいる。しかし、その物騒な光景にもかかわらず、彼らの隊長であるスルガは穏やかだった。
「ああ、わかっている。ちょっとした客だ。動ける者から順に元通り持ち場に着くよう伝えてくれ」
「しかし……」
「隊長の身の心配には及びませんよ」
ついさっきまで捕虜だった男、ビャクグンが微笑んだ。




