6.ネルの砦④
ネルの国王モリハの住まいはスナミ王子のテント群の奥、丘の中央にあった。そこに張られた王のテントはどれもスナミ王子のものよりも一段と豪華な模様が施され、テントに使われる金具はすべて金色に輝いている。
デュルパとコウを従えたスナミ王子が父王のもとに急ぐ。王のテントの周りに集まっていた者たちが王子のために道を開けた。
「父上はどうしたのだ? 先程お会いしたときは落ち着いていらしたのに」
スナミ王子は王が横たわるテントに入り、寝台の上で苦しそうにしている父モリハを見て眉を寄せた。
「それが……急に苦しみ出されて」
主治医が懸命に手を尽くす中、王子に続いた王の側近たちが緊張の色を浮かべる。
「スナミか……お前たちは、しばらく下がっていろ」
王子に気が付くと、王は弱々しい声で言った。側近たちが下がる。王は窪んだ眼を一人息子のスナミに向けた。
「スナミ……心配かけてすまないな」
「父上」
スナミは父親の枕元に近づいて膝をついた。
病はスナミの父モリハを蝕み、その余命がいくばくもないことを感じさせる。だが、モリハ王を絶望させているのは死に行くその身よりも、一人息子のスナミのことだった。
「スナミよ、私の命はもう尽きかけている。私はお前を跡継ぎとして次期王としたいところだが、弟のクラトスはそれを許すまい。オスキュラの後ろ盾を得たクラトスの力は強い。お前は国を追われることになるかもしれん。ならば、お前はクラトスの臣下となるか?」
王は懸命に息子を見つめた。
「父上、それはお許し下さい。たとえ父上が叔父上を次期王としても、どのみち目障りな私は国を追われるでしょうから。それとも、体よく抹殺されるかな?」
王子は人ごとのように言い、王は力なく息子の手を握った。
「では……お前はどうするつもりなのだ?」
王モリハは息子が情に厚く、トハナミの民に愛されていることを知っていた。
「トハナミの者たちはお前を慕っている。お前が求めれば、彼らはお前のために戦うだろう。だが、今のお前ではクラトスには勝てまい。クラトスに攻められれば、このトハナミは多くの民を失うだろう」
モリハはスナミの瞳を覗きこんだ。
「はい、そんなことはさせません」
スナミは頷いた。
「お前ひとりならば、どこででも自由に生きて行けるだろうに……私の一人息子であるばかりに、逃げも隠れもできん……その上、胸糞悪いオスキュラの奴らがお前を見張っているとあっては……」
「運命に逆らう気はありません。私は自分のできることをするだけです」
「それでいいのか?」
モリハの手が震えた。
「はい。このネルの地に生まれ、父上のもとで育ったことを私は何よりも誇りに思っております」
スナミはきっぱりと答えた。
「時が悪かった……オスキュラに目をつけられることがなかったら、お前は私の跡を継ぎ、立派に国をまとめただろうに。スナミ、お前はトハナミの民を守ると言う。お前は……自害する気か?」
モリハはやつれた顔で息子を見上げた。
その瞳から涙が溢れる。
若いころからその武勇で知られた父親の涙をぬぐい、その手を握りかえすと、スナミはいたずらっぽく笑って首を振った。
「そうしようと思っていたのですが……父上、実は、先ほどある商人が思いがけない人物を連れて来まして」
「思いがけない人物?」
モリハは怪訝な顔をした。
「ええ、誰だって想像がつかないでしょう。それが風の民、その国はクルドゥリというそうですが、その次期長老とパシパの炎を封じた娘だというんですから」
スナミは声を落としてはいるものの、少し得意そうに、小さな子供が秘密を打ち明けるように言った。
「何だと?」
もちろん、モリハは耳を疑った。
「スナミ、死にゆくこの私をからかおうというのか? それとも、優しい嘘で安心させようと言うなら……ずいぶんと下手な嘘だぞ?」
「いいえ、決してそんなつもりはありません。つい先ほどのことでした。本当のことです」
「スナミ……」
王モリハの顔にわずかばかり赤みと……その目にかつての鋭さが戻る。
「私の老いぼれた頭がまだ正気であるなら……風の民とは伝説の民ではなかったか? しかも、パシパの炎を封じた娘だと? オスキュラが必死になって探しているが、まだその行方の手がかりすらないという。大国オスキュラと宗教都市パシパに泡を吹かせた娘だ……あの火がなくなってどれほどの人々が胸をなでおろしたことか……」
「はい」
頷くスナミに、モリハ王はその目を向けた。
「それでスナミ、もしや、その方々がお前に力を貸すと?」
「いや、まだ何とも。話が終わらないうちにオスキュラの監視役に乗り込まれまして、二人は連れて行かれました」
「何だと? スナミ、お前はそれを見過ごしたのか? このネルの地でそのようなことを許すわけにはいかん」
王はカッと目を開き、寝台から起き上がろうとした。しかし、それさえ思うようにならない父をスナミは優しく寝かせた。
「彼らには彼らの計画があるようでしたので。これから様子を見に行きます。しかし、その前に父上、父上のお心はお若い時のままです。老いぼれなどと二度と言ってはなりません」
微笑むスナミにモリハは嬉しそうな笑みを浮かべた。それからその顔が引きしまる。
「神の雷を放つ元となるパシパの炎……それが、こともあろうに一人の娘によって封じられたと聞いて私は耳を疑った。恐ろしい炎の力に酔ったパシパ、それを利用することを選んだオスキュラ……決して、油断できんぞ? それと手を組もうという弟クラトス……あいつは、今はうまくオスキュラを利用しているつもりだろうが、じきにオスキュラに利用し尽くされる。ネルは滅ぶかも知れん」
モリハはその命が尽きかかろうという今も、ネルの先を案じていた。
「父上」
「スナミ、パシパの炎を封じたという娘は、どんな娘だったか?」
「人の心を射るような娘でした。そういえば不思議な剣を持っていたな。父上、時を動かす風が私の方に吹いてきたようです。ですから、どうかお気を強くお持ち下さい」
「そうか、風が吹いてきたか。わしもその風を見てみたかったが……さあ、お前はもう行け。その方たちがまことお前の風なら、オスキュラなどに渡すわけにはいかんぞ?」
歴戦の勇者だったスナミの父は、往時の気迫を思わせるような目をスナミに向けた。
「わかっております、父上」
スナミは頷いた。
「この命ひとつでトハナミの民を守ることができるならば、命など惜しくない。いくらでも叔父上にくれてやろうと考えていました。しかし、どうやらそれだけでは済まないようです。私はネルをオスキュラの属国にさせるわけにはいかない。私はもう後へは引けなくなりました」
「武運を祈る」
モリハの声ははっとするほど力強い。
「ありがとうございます、父上。デュルパ、後を頼む。俺はこれから出かけてくる」
スナミは側近のデュルパでさえめったに見ることのない冴え冴えとした顔で言った。
「承知しました」
「王子、思った通りだ。心臓の鼓動を乱す薬が王の水の中に入っていた」
頷くデュルパの後ろから、部屋に入って来たコウが王のピッチャーを指さした。
「王の周りの者を調べてみましょう」
「デュルパ、頼む」
「この辺りでは見慣れぬ薬だ。オスキュラから渡されたものかもしれないね」
コウが厳しい顔をする。
「叔父上……」
「王子、これからオスキュラの奴らがいる砦に行く気でしょ? 僕も行きます」
「足手まといになるなよ、コウ」
「もちろん」
コウは間髪入れずに答え、スナミの後に続いた。




