6.ネルの砦③
中に入ってみると王子のテントは予想以上に広く、火が焚かれていて暖かかった。焚かれた火の熱を厚くてどっしりとしたテントの布地が逃さないのだ。
「人払いをしろ。誰もここに近づけるな」
美しい敷物の上に無造作に座って、ネル国の王子スナミは言った。
アイサは王子の周りにいた兵がテントを出るのを見ながら、用心深く気配を探った。
かすかな違和感を持ったからだ。
ハビロがぴったりとアイサの隣に立つ。
「よくしつけられている」
スナミ王子は呟き、それから一行に声をかけた。
「好きなところに腰を下ろして楽にしてくれ。またおもしろい話でも聞かせてもらおうか」
「王子、まずは、こちらの品をお納め下さい」
シオンはスナミ王子に見事に細工を施された宝石類を差し出した。
「これほどのものを……有難い話だ。これを換金したら、どれくらいの兵が養えるものかな?」
「王子の兵を半年ほどは」
「そうか」
「王子は兵を挙げるおつもりですか?」
シオンはスナミを窺った。
「いいや、ちょっと聞いてみただけだ。俺は叔父上に逆らう気はないよ。それより、こっちこそ聞きたい。何故お前はこれほど俺に肩入れするのだ? 俺に貢いでも何の得もないぞ? 俺の周りをうろついておべっかを使っていた者たちもとうに叔父上へと鞍替えしたのだ」
くつろいでいるように見えながら、スナミの瞳は油断がない。
「我々には我々の事情がございますので」
シオンは微笑んだ。
「わからんな」
「今日はお話できるかもしれません。それも主次第ですが」
シオンはビャクグンを振り返った。
「主? この男か?」
スナミは時折自分の元を訪れる、風変わりだが金も情報も持っているシオンと若い男、そしてその連れに目をやった。連れの方は毛皮の帽子を深くかぶっていてその顔は見えなかった。スナミは若い男に注意を向けた。美しいだけではない。スナミはこの男に計り知れないものを感じた。
男の方もスナミを測るよう見、それから今まで何度となく人の心を奪ってきた笑みを浮かべた。
「私はクルドゥリの次期長老ビャクグン、そして、この娘はアイサです。パシパの炎を封じるためにやって来てそれを果たし、今は私たちのもとにおります」
ビャクグンは動揺するシオンたちを目で制し、落ち着き払ってスナミ王子を見た。スナミは息を飲んだ。美しい笑みを浮かべた男の言葉が意外過ぎて、あっけにとられたのだ。
「クルドゥリ? 聞いたことがないぞ? しかしパシパの炎のことは聞いている。だが、いきなり何を言い出す……信じられん……デュルパ、どう思う?」
スナミは、誰もいない自分の後ろを振り返った。立派なタペストリーの後ろから一人の男が姿を現す。
(このテントの違和感はこれか……タペストリーの後に身を隠す場所があったなんて。それにこの人、綺麗に気配を消していたわ)
アイサは現れた男を見た。北の気候に鍛えられた独特の厳しさがある。白髪の混じった髪は黒く、その黒い瞳も鋭い。
デュルパと呼ばれた男はビャクグンを見ていた。
「クルドゥリという国については今までに聞いたことはございませんが、思い当たる節はございます。風の民と我々がお呼びする人々のお国ではありませんか?」
彼の表情は冷静そのものだったが、アイサは彼の心が大きく揺れるのを感じていた。彼は一縷の望みを見出したものの、あえてそれを押さえつけ、冷静にふるまっているように見えた。
「確かに、私たちはそう呼ばれています」
「そうですか……お国の名はクルドゥリと仰るのですか……風の民の国については、今までいくつもの噂がありました。ですが、誰もその所在はもちろん、その国を見たものはおりませんでした。それでも、ネル国の大事には、その言葉によって我々を助けてくれると言われています。あの火については……一人の娘によって……銀色の髪と緑の瞳を持つ娘によって、封じられたと聞いておりますが……」
デュルパはそう言いながら、ビャクグンの隣に隠れるように座っていたアイサを見た。アイサが帽子を取り、顔を上げる。デュルパはその美しい銀の髪と緑の瞳を見つめた。
「本当だ。だが……あれは本当にあなたがなさったと?」
デュルパはアイサから目を離さず、聞いた。
「はい。クイヴルの王子シンと、クルドゥリの力を借りて」
アイサは答えた。スナミ王子もアイサを見つめたまま言った。
「あの炎は施設ごと爆破されたと……いや、施設を掘り返してみると、あの炎は、あった……だが、目に見えない壁に覆われて、誰も近づけなかったという。果たしてそんなことがあるのだろうか?」
「お見せできなくて残念ですが、あの力はもう失ってしまいました」
アイサは正直に言った。
「それでは信じることは難しい。しかし……おや、変わった剣をお持ちだ」
デュルパがアイサの持つ白銀の剣に目をとめた。
「ご覧に入れましょう。私の国の剣を」
アイサは軽々と剣をデュルパに渡したが、デュルパにとってそれは信じられないほど重かった。
「抜いてみて下さい」
アイサに言われた通りデュルパは剣を抜こうとしたが、どうしても抜くことが出来ない。
「貸してみろ」
今度はスナミが抜こうとしたが、やはり無理だった。
「どういうことだ?」
「これは私の剣。だから私にしか抜くことが出来ないのです」
スナミから剣を受け取ったアイサは簡単に剣を抜いて見せた。
「なるほど、不思議なものだ。風の民の次期長老、そしてパシパの炎を葬った娘か。で、そなたたちがここへ来た理由とは?」
王子が表情を引き締める。この時、ハビロが外へ向かって低いうなり声を上げた。外でもみ合う音が聞こえる。
「何事だ?」
王子の問いで傍にいた兵が外へ様子を見に行く。
「この商人たちの中にオスキュラが追っている者がいると……恐ろしい剣幕でペルト殿がオスキュラの傭兵部隊を引き連れ、この周りを囲んでいます」
戻った兵が言った。
「奴らはあなたのことをパシパの炎を封じた娘だと気付いたというわけか」
スナミが言った。
「では、本当に……?」
デュルパがまたアイサを見る。
「だから、そう言っているでしょ」
アイサは自分を見つめるスナミとデュルパに答え、ビャクグンを見た。ビャクグンはアイサに頷き、シオンに言った。
「お前たちはひとまず逃げなさい。私とアイサはここで捕まるから。それから、奴らの出す密書は全て押さえること。スナミ王子、我々のことは知らなかったことにしておいて下さい。王弟につけいられるのはまずい。では、またお会いいたしましょう」
「スナミ王子、王子はいらっしゃいますかな?」
テントの外から甲高いペルトの声がする。
アイサは黙ってスナミに自分の剣を差し出した。スナミは一瞬探るような視線をアイサに向けたが、すぐに剣を受け取ると近くの兵に言った。
「入れろ」
スナミの兵がテントの入り口を開く。
とたんに、先程の警備兵とは動きの鋭さが格段に違う部隊が入り込んで来た。それを率いているのは、あの小柄なオスキュラの男ペルトだ。
帽子を取っていたアイサを見て、男に抑えられない興奮が湧きあがる。
(間違いない。これはパシパにいた娘、あの炎を封じた娘だ)
「娘とこの者たちを取り押さえろ」
ペルトは声を張り上げた。
「ペルト殿、この者たちはここ何年も私のもとで取引をしている。怪しい者ではないと思うのだが……」
スナミが驚いたように言う。
「いいえ、この娘は国元から必ず捕らえるようふれの出ている悪魔です」
ペルトは得意そうに答えた。
「悪魔だと? まさか、悪魔というには……まるで似ても似つかないではないか?」
「いいえ、王子、間違いありません。私は現にこいつをパシパで見ているのです。こいつはパシパの炎が働かないよう小細工した我が国の敵だ。さあ、引き渡していただきましょう。さもなければ、たとえ相手が王子であろうと、我が国も黙ってはおりませんぞ?」
「そのようなことであれば、もちろん是非もないが。だが、まさかこんな所に……」
スナミはまだ信じられないようすで時間を稼いでいる。
ビャクグンがアイサをかばうようにその前に立った。
それを合図に、シオンたちが取り囲む兵に襲いかかる。
「捕まえろ」
ペルトの金切り声が響く。簡単に押さえられると思っていたが、王子の客は手ごわかった。
「さっさと片付けろ」
ペルトの声で外にいたオスキュラの警備兵たちがビャクグンとアイサ、そしてシオンたちに群がる。デュルパの合図で、王子の兵がオスキュラ兵に加担すると見せかけて足を引っ張り、シオンたちがばらばらにテントを脱出した。
「追え。いや、まず、娘だ。娘を逃がすな」
シオンたちがいなくなると、ビャクグンはいかにも武術は苦手と言う様子で早々に降参し、アイサも取り押さえようとした兵を蹴りつけ、力任せに手を振りほどいたものの、やがて大人しくなった。
「何ということだ……どうやら奴らは、私の知る者たちではなかったようだ。私を騙したのだな。あの動き、ただの商人であるはずがない」
シオンたちの鮮やかな動きに内心舌を巻きながら、スナミ王子はその場には似つかわしくないのんびりとした調子で言った。
「謀られましたな、王子。いや、むしろ王子が何かを企んでおられたのでは? もしそうなら、我が国としては黙ってはいられませんな?」
シオンたちを逃して苛立ったペルトがその矛先を王子に向け、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ペルト、言葉を慎め。オスキュラからの監視役だかなんだか知らないが、たかがオスキュラの一兵に過ぎないお前が、我が国の王子に向かって無礼だぞ。王が病に臥せっておられるのをいいことに、この国に入り込み、好き勝手にしおって」
デュルパが王子の前に立ち、ペルトを睨んだ。
ペルトは一瞬ひるんだが、その顔が怒りでどす黒くなる。
「デュルパ殿、そう息巻いていられるのもいつまでであろうな?」
「何を」
デュルパはいつでも受けて立つ構えを見せた。
「デュルパ、まあ、待て待て」
すこぶる機嫌を損ねたデュルパと、後ろに引き気味のペルトの間にスナミが立った。
「王子……申し訳ありません」
デュルパが後ろに下がる。
「ふん、この忙しい時にごちゃごちゃとうるさいことだ。その二人を連れて行け。残りの者は逃げた者を追え」
得意になって声を上げ、アイサとビャクグンを引き立てようとするペルトに、今度は身を潜めていたハビロが飛びかかろうとした。
「行きなさい、ハビロ」
アイサの声でハビロは動きを止めた。それから一瞬アイサの方を見ると、素早くテントの外へ姿を消した。
「ほう」
スナミは感嘆の声を上げた。
「危険だ。あれも殺せ」
ペルトが怒鳴る。
「いや。殺すな」
きりりとしたスナミの声が響いた。
「何ですと?」
振り返るペルトとその兵たちをスナミが見据える。
滅多に見せることのない鋭い視線だった。だが、すぐにそれは人なつっこい笑みに変わった。
「私がもらう。なかなか立派なオオカミだ。気に入った」
「はっ、酔狂なことですな、スナミ王子。それではご随意に」
ペルトは憮然と答え、足早に王子のテントを出て行った。
「王子、これからどうする気?」
スナミ王子の背後に立ったのは、さっきの少年だった。
「コウ、俺はこんな面白い客をみすみす奴らに渡す気はないよ。これから後を追う」
「あの人、何もかも計画通りといった感じだった。もし、あの人が本当にクルドゥリの次期長老だとしたら……」
コウの瞳が輝く。
「スナミ様、これはもしかすると……」
デュルパもスナミを見る。
「まだわからないさ」
あっさり言ってテントを飛び出したスナミのもとに、伝令が駆け寄った。
「王子、至急王のもとへおいで下さい。王の病状が……」
「わかった、すぐ行く」
意気揚々とアイサとビャクグンを引き立てていくペルトを一瞥し、スナミは王のテントへ急いだ。




