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Bright Swords ブライトソード  作者: 榎戸曜子
Ⅰ.闇の炎
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3.シン②

 シンは林の中の登り道をストーの家に向かってゆっくりと歩いていた。春はまだ浅かったが、どこからともなく梅の花のいい香りがしている。あと何日かすれば日の光は増して、あたりは輝きに満ちるだろう。真冬の頃より少し太った木の芽をそっと起こすように、一つ風が吹いた。

 シンはそんな様子に目を止めると、また、坂を登り始めた。下を向き、ぶつぶつと呟く。シンはストーの家で見つけた幾何の問題を解いていたのだった。

 その顔がすっきりと明るく輝き、満足の微笑みが浮かんだとき、シンはちょうどストーの家の前に来ていた。それは円柱形の石造りで、ちょっと風変わりな建物だった。その建物の木の扉を、シンはいつものように黙って押した。だが、扉はびくともしない。今日は鍵がかかっている。

(おや、先生、また気まぐれ旅行かな? それはそれで土産話が楽しみだけど)

 慣れた手つきで物置小屋の隙間から鍵を取り出し、シンは家に入った。

(客用のカップが出してある。誰か訪ねて来たのだろうか?)

 机やテーブル、床の上に書物が広げられたままなのはいつものことだ。

 シンは地下の書庫を覗いた。

(この国のどこを探しても、こんなにたくさんの昔の本はないんじゃないだろうか? 伝説の、幻の民ならば話は別かもしれないが。それも彼らが生き残っていればだけど)

 これらの本をどうやって手に入れたのかについては、ストーは何も言わなかった。

 シンが友だちのセグルに話したら、セグルはもっともらしい顔をして、それはもともとどこかの古城にでもあったものだろうと言っていた。


「ストーさんは、ひょっとしたら、昔そういう城で働いていたんじゃないか?」

「それじゃ、どうしてこんなところで暮らしているんだい?」

 セグルに首をかしげて見せたのはチュリだ。

「何かへまでもして、首になったとか?」

 セグルの脇からカヌが言った。

「あのストーさんがへまだって? お前と一緒にするなよ、カヌ」

 チュリもセグルも笑った。

「じゃあ、何なんだよ? 何か悪いことでもしてるとか……まさか、そんなことあるはずないか」

 人のいいカヌは自分で言っておきながら、きまりが悪そうになった。

「人を疑うなんて、お前にしては珍しいな」

 セグルがからかう。

「そんなことあるはずないって言ったろう?」

 カヌが頬を膨らます。

「よくわからない人だけどね」

 チュリも笑って頷いた。

(ストー先生はへまをするような人ではないし、悪人でもない)

 彼らのおしゃべりは続いたが、シンは知っていた。

 シンは一冊の本を手に取った。もう何度も読んだものだったが、今、また目に()まったのだ。分厚い本で、古いページが茶色く変色し、(へり)は劣化してぼろぼろだ。文字は薄くなっていて、消えているところもある。その言語は古代アヌ語。今から千年以上も昔の言葉だ。もう誰からも忘れられて使われることはない。ほんの偶然に発見された書物がひっそりと残り、それも、完全に時の彼方に消えていくのを待つばかりだ。

 だが、例外的にその読み方を知る者がいる。

 ストーもその一人だった。発音の方は少々怪しいと言っていたが。

(いったいこれほどの知識をどこで得たのだろう?)

 ひょろ長い手足、痩せた身体、白髪交じりの髪、少し猫背で、物音一つ立てずに歩く。

 そう、ストーはやる気なら気配すら絶てる。物音を立てず、歩き、人に近づく。彼にはシンが城で習う正統な剣の先生とは違った強さがあった。

 シンはストーからあらゆることを吸収した。

 王都でも滅多に習うことのできない古い時代の学問、風変わりな武道、森の歩き方、動物の扱い方、古い伝承、旅先で見た土地や、そこに住む人々の暮らし。

 ストーはシンの知る誰よりも物知りだった。


 シンは痛んだ分厚い本を注意深く抱えて、地下室から階段を登り、最上階の三階に向かった。

 木でできた階段はぎしぎしと鳴り、部屋は埃っぽかったが、一部屋しかない三階の窓を開けると、気持ちのよい風が吹き込んだ。

 ここまで登ってきた小道が見える。

 それに沿うように流れているのはラル川だ。

 点在する林を縫って流れるラル川を下っていくと、畑や牧場。

 森に囲まれたラダティスの城もある。

 そして、その先がクロシュの町だ。


 深呼吸をして胸一杯に気持ちのいい空気を吸い込むと、遠くで爆竹(ばくちく)の音が聞こえた。

(そうだ、今日は春祭だった)

 シンは祭りのダンスや、花火や、パレードを思い浮かべた。

『他の町や村からも、人がやってくる。村を離れていた者も帰ってくる。いろんな奴らに会えるよ』

 セグルが言っていたっけ。

(ポムの店で会う約束だったな)

 クロシュの街中にあるポムの店は、おいしい料理で評判だ。シンのような中途半端な年令の者には酒もいいかもしれないが、やはり大皿で出てくるミートパイ、シチュー、串焼きの肉や新鮮な果物が魅力だ。

 食べ物のことを考えているうちに自分が空腹だったことを思い出したシンは、食堂に降りてリンゴを見つけると、また三階の窓辺に戻り、椅子を引いて一心にページをめくり始めた。


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