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Bright Swords ブライトソード  作者: 榎戸曜子
Ⅱ.古の国
117/533

5.月は東に日は西に②

「どうぞ、こちらでおくつろぎください」

 シンとアイサを案内した若者は扉を開き、お辞儀をすると去って行った。

 緻密な織りの絨毯、古くてエレガントな家具、手の込んだ照明……壁やソファーやカーテンに使われる布も美術品のようだ。

 ハビロが所在なさそうにうろうろしている。

「ハビロはくつろげないようね」

 アイサは言った。

「とても立派な部屋だとは思うんだけどね」

 案内された部屋を見回してシンは肩をすくめ、それから剣に手をかけ、目を閉じた。

「どうしたの?」

「うん、今、ナハシュが確認した。ここのシステムは僕らの話を盗聴していない」

「盗聴? 確認ですって?」

(クルドゥリの門の前に立った時もそうだった。ナハシュとシンは深く結びついている……)

 無言でシンを見つめるアイサにシンは答えた。

「うん、君、あのとき心の中で門を開けることを考えただろう? 君はあの森が海の国の技術と共通していると感じたはずだ。そして、僕らの剣は僕らの思ったことに反応する。もしかしたら、この剣はクルドゥリを守っているシステムに働きかけることも出来るんじゃないかと思ったんだ」

「シン、いつの間に……」

「シェキの洞窟で鍛えられた。少し疑い深くもなったよ」

「どういうこと?」

「考えてもごらんよ。君の剣がクルドゥリの門を開けていたら、どうなったと思う? クルドゥリの長老は僕らを警戒するだろう。この国自体を揺るがす力を僕らが持っているとしたら、当然のことだけど」

 アイサは難しい顔で黙り込んだ。

 シンが続ける。

「僕は、ナハシュが早速ここのシステムを支配しようと反応したのを感じたよ。そんなことが知れたら、僕らはクルドゥリにとって油断のならない危険人物とされてしまうかもしれない。海の国の剣は持ち主の意思にしか従わないし……厄介だと思われたら、僕らの命が狙われることもありえる」

 アイサは思い切り眉をしかめた。

「そんなこと……」

「ないと思うかい? ここの電脳は彼らの命綱だ」

「それで……シンは、ここの電脳を支配しようとするナハシュを止めたの?」

「それは無理だ。あいつは僕の意思とは関係なく、勝手に動いているから。ただ、クルドゥリの電脳には気づかれないようにしているはずだ」

「私、いくらこの剣があっても、ビャクたちに命を狙われて生き延びられる自信はないわ」

「僕だってそうだよ。だからこの剣がクルドゥリの電脳とかかわれることは知られない方がいいんだ。アイサ、長老と会っても軽はずみなことはしないこと」

「わかったわ」

 頷くアイサを見て、シンはほっとした様子で剣を取った。

「ナハシュは君の剣もここのシステムに繋がるように操作するだろう。いざというときのためにね」

「いざという時って……シン、そんな必要があるかしら? 彼らを裏切るようで嫌だわ」

「甘すぎるよ、アイサ」

(シンが変わったように思える)

 当惑しているアイサの耳に軽やかな足取りが聞こえ、扉がノックされた。

 シンが扉を開ける。

 そこにクルドゥリの若い娘が立っていた。

「ビャクグン様からです。お口に合えばよろしいのですが」

 娘が押してきたワゴンの上にはお茶の他に、様々な色や形をしたお菓子が並んでいる。材料も豊富だ。いつもなら大喜びの所だが、シンの変化に気を取られていたアイサは(ろく)な返事ができなかった。

「ありがとうございます」

 シンがアイサの分まで娘に微笑む。

(シン、こんなに人当たりがよかったかしら?)

 アイサはますます驚いた。

「ビャクグン殿はどうしていますか?」

 シンは娘から茶を受け取りながら聞いた。

「ビャクグン様は今フタアイ様とご一緒のはずです。旅のご報告をなさっているのでしょう」

 娘は答えた。

「スオウとルリとシャギルは?」

 アイサが聞いた。

「スオウ様、ルリ様、シャギル様は、きっと広間の奥のサロンで仲間と旅のお話をされていますわ。あの方たちのお話なら、皆、どんなことでも聞きたがりますけれど、今一番彼らが聞きたがっているのは、間違いなくお二人のことしょう。何しろ、海の国の方と古の国以外の方が初めてクルドゥリを訪れたのですから。クルドゥリ中が大騒ぎです」

「この地を知る者、我らの他無し。我ら、人知れず栄える。遠き世から、この門を開く者、現るまで」

 シンはこう言って娘の顔を窺った。それはスオウが門を開くとき唱えた詩の一部でナハシュがシンに伝えたものだった。

 口を閉ざした娘の表情が硬くなった。

「失礼しました。驚かせてしまったようですね。これはクルドゥリの詩のひとつのようだが、 遠き世から、この門を開くことを歓迎しない人たちもいらっしゃるのでしょうね?」

 娘から目を離さず、シンは穏やかに聞いた。

(そうだ。もし、クルドゥリの人が遠い世から門を開く者が私たちだと考えるなら……私たちがクルドゥリの生き方を変える張本人ということになってしまう。グラン王に自国の存在を知らせたとなると、クルドゥリの長老は、あの詩の文句を文字通りに実行しようとしているように見えるけど……今までと違う生き方を選ぶとなれば、当然戸惑う人も、反対する人も出るだろう)

 アイサはこの時やっと、シンと自分がクルドゥリを訪れたということがとんでもないことだったのだと気づいた。

「ビャクに誘われて、みんなとここまで来てしまったけれど……大変なことになったわ」

 呟くアイサに、だが、娘は言った。

「ご心配はいりません。この国の先については、私たちもずいぶん話し合ってきたのです。いつかこの日が来ることは覚悟していました。ビャクグン様はお二人を見い出しただけでなく、ゲヘナを滅ぼした後に、お二人をこちらへお連れになった。国の者はその意味をよく知っております」

(クイヴル王家の象徴として兄エモンと戦いながら、一方でシンはオスキュラとも対抗しなくてはならないだろう。そして、その手腕には、グランだけでなく、クルドゥリの将来もかかってくるというわけか。クイヴルがしっかりしなければ、同盟を組むことになるグランも国の規模が小さいクルドゥリも、オスキュラに飲み込まれるのだ。シン、こんな重荷を背負いきれるの?)

 アイサはお茶のカップの向こうで憂いの色を浮かべるシンを窺った。

(もう……ファニ、クイヴル、その上、グランにクルドゥリですって? どうしてこの人はこんなに重荷を背負ってしまうんだろう? 根っから英雄気質ではないのに、責任感だけは強い。先々の、人の気づかないようなことには気づくくせに、自分の気持ちは平気で放っておけるのだ……まったく、どういうめぐりあわせか知らないけれど……これ以上シンの気苦労を増やしてどうしようって言うのよ?)

 アイサは無性に腹が立ってきた。

(ああ、でも、オスキュラはせっかく支配下においたクイヴルを易々と手放さないに決まってる。シンがファニを取り戻したいなら、協力者は必要だ……クルドゥリの人材と財力は大きな力になる。グランだって、陰ながらシンに手を貸すと言っているし……それに、シンがグランと同盟を結ぶことができたら、それは将来クイヴルにとっても、オスキュラを牽制する力になるだろう。もう、動き出してしまったんだわ……だけど……そもそもオスキュラの力って、どの程度なんだろう?)

 あれこれ思いを巡らしていたアイサは、もう一度シンを見た。憂いは残しているが、シンは落ち着いて見えた。すべきことに対する決心は揺らいでいない。

(今、国を開くことが、クルドゥリにとって吉と出ようが、凶と出ようが……それはクルドゥリが決めることだ。そして、シンはこの機会を生かすしかないんだわ)

 アイサは思い直した。

「それでは、今しばらくごゆっくりなさってください」

 娘が部屋を出て行く。

 シンが空になったカップを置いた。

 アイサは早速シンにお茶のおかわりを入れ、自分も飲み干した。

「親切だね。それにしても、気合いが入ってるなあ」

 シンはアイサの手に触れた。

「アイサの元気が伝わってくる」

 シンは笑った。


「お邪魔だったかな?」

「居心地はどう?」

 シャギルとルリが部屋に入って来て、シンはアイサの手にのせた自分の手をぎこちなくひっこめた。

「ハビロが落ち着かないの。私たちもビャクの差し入れで、やっとくつろいだところよ」

 アイサが答え、ルリが意味ありげに笑う。シャギルもにやりとして肩をすくめてから、わざとらしく情けない顔をした。

「俺たち、逃亡生活が板についちまったからなあ」

 そう言いながらシャギルはソファーに座り、菓子をつまんだ。

「ねえ、ルリ、長老と話して落ち着いた?」

 アイサが聞いた。

「どうにかね」

 ルリもソファーに掛けた。

 その所作がこの部屋に劣らず優雅だ。

「もともとお前たちを迎えたら、国を開く方向へと動きが加速するだろうとは思っていたよ。国の外にいる時間が長い俺たちは、特にその必要を感じていた」

 シャギルはルリを見ながら言った。

「ええ、いつかこうなることはわかっていた。でも、長老がグランのケルビン王に直接お会いになったと知ったら、やはり、動揺してしまったわ」

 そこで扉が開いた。

「二人とも不自由はないか?」

「お待たせしたね」

 今度はスオウとビャクグンが入ってきた。しかし……

「ビャク……?」

 シンとアイサが声を上げた。

 スオウが苦笑する。

「長老がお二人とお話ししたいそうです」

 男性用の詰襟の服を着たビャクグンがまじまじと自分を見つめる二人に言った。

「ビャク、ここではいつもその格好なの?」

 アイサは思わず聞いた。

「さあ、どうしましょうか? アイサはこの格好は気に入りませんか?」

 ビャクグンが微笑む。

「いいえ、ビャク、素敵よ」

 アイサはすぐに答え、シンはそっとアイサを見た。

「で、アイサはどっちがいいですか?」

 小首を傾げてビャクグンが聞く。

「女の人の時かな? そっちの方に慣れてしまったようだわ」

「それじゃあ、出来るだけそうしていましょう」

「いいの?」

「ええ」

 二人が楽しそうに笑った。

「そんなこと、なんでアイサに聞くんだよ?」

 シンは小声で文句を言い、スオウは肩をすくめ、ルリとシャギルは顔を見合わせた。


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