2.旅支度②
「決まってしまったな……」
ヴァンが言った。
「仕方がない。感慨に耽っている場合でもなくなったようだ。こうなったら思いつく限りの準備をしよう」
ラビスミーナが立ち上がった。
「ラビス、いったい、いつ、お前が感慨に耽けったっていうんだ?」
ヴァンは呆れ顔で言った。
「いちいち細かいことを気にするな。アイサ、行こう。ヴァン、お前の出番だぞ」
「そうくると思ったよ。だが、作業に取りかかる前に、ちょっと腹ごしらえだ」
「こういう奴が一番最後まで生き残るんだな」
ラビスミーナは、つくづくヴァンを見た。
「当たり前だ。新しいものを生み出すには、時間が大切なんだ。がむしゃらに命を、自分の持ち時間を無駄に削る奴の気が知れないね」
ヴァンは意味ありげにラビスミーナを見返した。
「私が命を無駄にしているって言うのか? 逆だ。有効利用しようと思った結果が今の私だ」
(これは平行線になる……)
そう感じたアイサは素早く言った。
「私も久しぶりにここに来たら、お腹がすいた気がする」
「そうか、それはいい。しっかり食べて体調を整えておかないと運を呼び込めないからな」
ラビスミーナはアイサに微笑んだ。
「姉様も一緒に」
「ああ、いいだろう」
「アイサが言えばいいのかよ。しかし、ラビス、お前が運を当てにするとは弱気だな」
「私はいつだって勝算を練っている。勝つための努力ならいくらしてもかまわない。それが運さえ呼び込む」
ラビスミーナは至って真面目に答えた。
「努力家だったのか?」
ヴァンが皮肉な調子でからかう。
「知らなかったとは、心外だな」
相変わらずの攻防を繰り広げる二人の後に続いてアイサは食堂へ向かった。
すぐに食べられるものなら何でもいいとラビスミーナは言ったが、厨房の方はそうはいかないとばかりに料理を運び込んだ。
結局三人は次々と皿を空けていき、落ち着いた頃にヴァンが言った。
「まずは、水と食料だな」
「お前、また食べ物の話か?」
ラビスミーナの眉が吊り上る。
「いや、地上に行ったら、まずアイサがぶつかる問題だよ」
「お前がいかに補給物資に重きを置いているか、よくわかった」
「真面目な話だ。地上の人間には何でもなくても、我々には耐性がない細菌もあるだろう? 怪我や病気にも気をつけなくてはならない。つまり、幅広い医薬品だな」
「道理だ。早速手配しよう」
ラビスミーナは素早く頷いた。
「次に貴重品入れが要る。これは俺が作る。アイサの身を守るには指輪のつくり出すシールドがあるが、ゲヘナの炎を封じて、そこから逃げ出すには……やはり何か要るな」
「手っ取り早く爆薬など、どうだ?」
物騒なラビスミーナにヴァンも答えた。
「いいと思う。使えるかと思って、用意しておいたものがある」
「ヴァン」
ラビスミーナは顔色を変えて立ち上がり、次の瞬間にはヴァンの胸ぐらをつかんでいた。
「お前、最初からアイサが行くことを認めていたんだな?」
「落ち着けよ、ラビス。大巫女と、王と、その側近であるレンの連中が出した結論だ。アイサが承知した以上、こうなることは明らかだった。どんなに俺たちが反対してもな。そうなれば、俺には俺のできることをするしかないだろうが」
自分の怒りを真っ向から受け止めるヴァンを睨みつけたが、ラビスミーナはヴァンから手を離し、乱暴に腰を下ろした。
「ヴァン、ありがとう。とっても助かるわ」
黙り込んだラビスミーナの代わりにアイサが言う。
「こんなことしかできなくてな」
ヴァンはアイサを見つめ、ラビスミーナはそっと溜息を漏らして立ち上がった。
「私は医療品の手配をしてくる。お前はもう休め。後は我々が何とかするから」
「ラビスの言う通りだよ。あとは任せてくれ」
アイサは逆らえなかった。ここに来て急に睡魔に襲われたのだ。
目が覚めると、そこは懐かしい自分の部屋だった。
もう日が高い。
(朝……いや、もう昼か)
いったい何時間眠ったのだろう。アイサは生き返ったような気分だった。
今までのことが遠い昔のように思われる。
母の残した悪夢を自分のものとし、それを見据えることにした。
その第一歩が、もうすぐ踏み出される。
姉たちのところへ行こうとアイサが部屋を出たところへ、父からの迎えが来た。
「食堂にてエア様がお待ちでございます」
気がつくとかなり空腹だった。
(あれだけ食べて寝たのに)
アイサは自分に感心した。
エアは家族専用のこぢんまりしたダイニングルームで待っていた。
そこからは、直接庭に出ることができる。
庭には、人工ではあっても、川のせせらぎがあり、時々に方向も、強さも変わる風が花や木々を揺らしていた。
「昼食にしよう」
エアは言った。
昨日といい、今日といい、食事はとても美味しく感じられた。
それを正直に言うと、エアは笑った。
「城に来たことは、正解だったようだ。おそらく、地上に行くことにしたのも」
「私は親不孝者ですね」
「存分に生きて欲しい。それがお前が生まれた時の、アエルと私の願いだった。生きて、必ず戻るのだよ」
「はい」
「アイサ、ここにいたのか」
ヴァンとともに部屋に入ってきたラビスミーナが明るい声で言った。
「呑気に昼食とは結構ですね、父上。我々はよく働きましたよ。ヴァン、私たちも一休みしよう。それから戦果の報告といこう」
「何を言ってるんだ、ラビス。働いたのは最初から最後まで俺一人だ。お前は文句を言っているか、寝ているかのどちらかだったろう?」
二人が食卓に加わった。
「使い走りぐらいはしただろう? 文句を言った覚えはないな。感想を述べたまでだ。とにかく、発明品製作はお前の守備範囲だろう?」
ラビスミーナは悪びれずに答えた。
「お前はいつも偉そうだよな」
ヴァンはふざけてラビスミーナを睨みつけ、食卓のサンドウィッチをつまんだ。
ラビスミーナはもう二つ目を食べている。
「ラビス、ヴァンに見捨てられたら大変だぞ?」
エアは笑い出した。
にぎやかな昼食を終えると、一同はラビスミーナの部屋に行った。
彼女の部屋は、応接室、書斎そして寝室と三部屋から成っている。
応接に入ると早速ヴァンが説明を始めた。
「まず、このポシェットだ。これは君の思念を感知し、君にしか開けることができない。このベールは……姿を見えなくすることができる」
ヴァンは不思議な光沢を持った布をアイサに渡した。
それを広げてテーブルに掛けると、テーブルは全く見えなくなった。
「なくなったわけではないよ。触れればちゃんと触れられる。そして、たためばハンカチ程度だが、広げればかなり大きくなる」
「ヴァン、これはまだレンでは使用許可が出ていない我々の技術だったな? まあ、確かに、ここセジュではあまり知られたくない代物だが」
「はい、エア様。ですが、アイサは地上へ一人で行くのですからこのくらいことは許されるでしょう」
「そうだな」
エアは頷いた。
「ある程度の奴なら、姿を消しても気配でわかるものだ。アイサ、ベールを使っても油断はするなよ?」
「大丈夫よ、ラビス姉様」
「この超小型爆弾は逃げるときに役に立つよ。そして、こっちは時限装置付きだ」
「地中の鉱石を採掘するときに使うものだな?」
「はい、エア様。改良して小型にし、爆発力も調整できます」
「使うときは、間違っても相手に同情はしないことだ」
ラビスミーナが念を押した。
「それから医薬品一揃い。この錠剤も持っていくといい。海中を漂うときの酸素補給に使うやつだが、何かの役に立つかも知れない。それと即効性の栄養剤だ」
「ありがとう、ヴァン、ラビス姉様」
アイサは感謝して受け取った。
セジュの人間は地上に行くことを固く禁じられている。そのためにあらゆる監視の装置があった。
しかし、今度ばかりは例外だ。
レンから正式な許可が下りたのだ。ゼフィロウ領主エアと大巫女ガルバヌムが、地上から戻ったアイサを必ず受け入れるという約束を再度確認してもいる。
それでもおおっぴらに地上に旅立つことは憚られたので、見送りはエア、ラビスミーナ、ヴァン、そしてガルバヌムの四人だけだ。
彼らはシェルのポートを避け、エアの私用のドックがある城の地下に向かった。
「まったく……エア、お前はいつの間にこんなものを造ったのじゃ?」
ガルバヌムは傍らを歩くこの城の主を見上げた。
「おや、もうお忘れか? 以前にご案内したことがあったはずだが?」
エアは澄まして答えた。
「何を言っておる。以前より、遙かに大規模になっているではないか」
「そうかな? 多少、手を加えてはいたが」
「ファマシュよのう」
ガルバヌムは笑みを浮かべ、ドックを見渡した。
彼らのいる地下は様々なタイプの最新式の潜水艇を備え、コントロールルームも他のどこよりも先進的なものだ。
他にも医学、工学、化学一般の実験、研究施設があって、多くの研究者が喜々として働いていた。
「類は友を呼ぶとは、よく言ったものじゃ。だが、わしは、何よりもお前の精神が深く、健全であることがありがたい」
「大巫女様から危険だと見なされれば、私とて、こうやって好きなことはしていられないだろう。神殿は我々セジュ人の安全装置のようなものだからな」
エアは皮肉混じりに答えた。
「我々さえも変わっていくものじゃよ」
大巫女の視線の先にはアイサがいた。
「アイサ」
ラビスミーナはアイサの瞳を覗き込んだ。
「お前の力はよくわかっているつもりだ。だから今更くどくど言うこともないだろう。無事に帰っておいで。待っている」
ラビスミーナの表情が緩む。
「珍しいな、ラビスが優しく見える」
エアがからかった。
「天変地異の前触れでないといいが」
ヴァンも肩をすくめる。
「少なくとも、我々にとっては天変地異にも等しい大事件だ。セジュの国の者が地上を訪れるというのだから」
ラビスミーナが応じる。
「汝の為すべきことを為せ」
ガルバヌムがアイサに言った。
「願わくば、よき風となれ。このセジュと、地上の人々にとって」
エアの声がアイサの胸に響いた。
「行ってきます」
一人ドックの廊下を歩き、アイサはゲートの前でシールドを張った。ゲートが開く。アイサを守るシールドが深い海底から水面へ上昇していった。




