CODE.38
先生が亡命した――――それが夢であってほしいと、そう思う。思う、と感じるからには、自分はやはりそれが事実なのだと分かっているのだろうか。
私が目を覚ました時には、既に先生は影すら残さず消えていた。一番軽傷だったのが私なのか、目覚めていたのは私だけ。皆を起こし、とりあえずほぼ全員が怪我を負っていたために病院へと向かった。もちろん、腕を折られたイースなど、重傷を負った者もいた。比較的軽傷の者が肩を貸すなどして、どうにかといった様子で病院へとたどり着いたのだ。
「そうか、ではアクトとセシア、そしてイースは動けるような状態ではないと」
「はい。あなた達も比較的軽い怪我ですが、無茶はしないほうがいいでしょう」
医師の診断に、思わずため息をついてしまう。アクトとセシアは、投げられてぶつかった際に受け身が取れなかったため、腕と足をそれぞれ折ってしまったということらしい。いかに治癒の応用魔法とはいえ、重傷を一発でなおすことはかなりの魔力量を必要とするため、私達軽傷者と違い完治に多少時間がかかってしまう。
「せいぜい二、三日あれば治るでしょう。あなた方はもう大丈夫ですが」
「そうか……では、後は頼む。今動けるものだけ、ついてきてくれ」
国王様が一礼だけし、踵を返す。多少医者の方は委縮してしまったようだが、私達も気にすることなく一礼の後に踵を返す。
王城の、いつもの国王様との謁見の部屋。ただ、それは景色だけがいつもと変わらないだけ。今の私達には、衝撃の強すぎた事件が起きた場所。
「……ふう……にわかに信じがたいことではある。しかし、認めぬわけにもいかぬだろう……」
ため息を一つ、国王様が漏らす。国王という立場。それが、国王様が認めたくない事実から目をそらすことを許さない。それは、私達兵士も同じ。
「前国王直属部隊顧問兼王国軍全体軍事アドバイザー、イチカワ タクミは昨日、この場で我々に攻撃、そして敵対勢力である魔王軍へと――――――――亡命をすると宣言した」
少し俯く面々。味方と認識していた、そして尊敬していた者の、突然の亡命。今だ、信じたくない。
「我々はこれを重く受け止め……『問題』の解決に取り組まねばならない。そのために行うべきは一つ。イチカワ タクミの――――――――――抹殺」
思わず、下唇を強く噛む。あの先生の戦闘能力は、最近更に上がっている。以前は魔力量などに物を言わせた、強引な戦いが得意だった。しかし、最近ではCQCだけではない。狙撃、近、中距離の銃撃戦、そして剣を用いた戦闘も腕を上げ、もはや戦士として死角はなくなっていたといっていい。魔力操作も精密さを増している。
「しかし、我々が唯一あの男に勝る可能性のある手段、隠密行動を得意とするイースは、知ってのとおり動ける状態ではない。待っている時間すら、今では惜しい」
それはもっともだ。今の内なら、まだあまり遠くには行けない。今を逃せば、追跡はより困難なものとなる。しかし、追跡に気付けば、先生だって移動速度は上げるだろう。なにより、追跡に対する警戒も強くなってしまうはずだ。
「そこで、我々があの男を止めるには、もはや強攻策しか残っていない。そして戦力になりうるのは、主に第二、三部隊の二つ。頼めるか?」
国王様の問いに、私とゼルキスは無言でうなずいて答える。やらねばならない。可能にする力のある者の義務。これ以上の犠牲を出す前に――――
私達は国王様の命で部下を招集、少しの間をおいて再び謁見の間へと集合した。その場にいるのは私達の部隊と国王様、そして一部の国の重鎮のみ。
「いいか、この作戦は機密作戦である。酷なことではあるが、この作戦の優先度は、生還することよりもあの男の抹殺にある。こんな作戦を出すことは、私の権限を使ってでも止めたい。しかし――――やらねばならぬ。分かってくれ」
「分かっております。国王様は、心配なさることなどありません」
「あの戦闘力は脅威……国に被害が出ることはほぼ確実。それだけは絶対に防ぎます」
「ああ……頼む、頼んだぞ…………」
「私とお前の隊だけで行くのは久しぶりかもしれんな」
「ああ。だが、その初任務がこんな作戦とは……」
先生の唯一の痕跡、魔力の大きさを辿りながら私達は進んでいた。意外と近い。
「休み休みにでも動いているのか……?」
「……こんな時にも発揮するかは分からないが、先生には怠け癖があるからな。ゼルキス、そうだとしても私達の戦力では太刀打ちできない可能性も高い。油断するなよ」
「分かってる。むしろ、返り討ちの方が可能性は高い……だからこの配置なんだろ?」
弓、銃器を持った兵がそれぞれの隊に2人。彼らは第一隊から借りてきた兵だ。私達の兵数を、先生は把握しているはず。ならば、それを逆手にとって、全員で戦っていると見せかけ意表を突く。それしか、私達に残された手はない。問題は、彼らが回り込む刹那の時間ですら、私達に持ちこたえられるかどうかだ。先生の戦闘技術は、先程も言った通りかなり上昇している。ただでさえ勝ち目の薄い戦いというのに、それは私達に更なる敗因要素となってのしかかる。
「よし、もうかなり近づいたな……いいか、皆、よく聞いてくれ! 先程も伝えたとおり、私達は全力を持って先生……いや、イチカワ タクミと正面衝突を行う! 絶対に……絶対に持ちこたえてくれ!」
「いいか、力だけなら俺達は負けてない。第二隊だって、魔力操作ならまだあの男に勝る! それを最大限に生かすんだ!」
立ち止り、振り返って檄を飛ばす。部下達が答えを返すべく頷き、それを見た私達もまた、頷きを返す。進軍を再開し、先生の物と思われる魔力を辿る。
次第に近づいてきたその魔力。改めて大きさを知る。普段は近くにいすぎて感じなかったが、普段からこれだけの魔力を放出しているとでもいうのだろうか。
「いたぞ……!」
ゼルキスが、魔力ではなく匂いで見つける。その先を見れば、川辺で水を飲んでいるらしい。私は右手と左手それぞれに剣を持ち、左手の肘から上を立てる。振り下ろし、直後ゼルキス達を含めた、弓、銃を持った4名を覗いて一気に先生めがけ突っ走る。4名はほぼ同時に四散するように横に走る。私も最後尾を追うように駆け出し、剣に炎を纏わせた。
戦闘開始の合図代わりに、ゼルキスの拳と小さなナイフがぶつかり、甲高い音と火花を上げた。
「いったん退け!」
その声にゼルキスが横っ飛びに退き、それと同時に私達第二隊の面々が魔法を放つ。打ち消すべく風の障壁が発生し、その隙にゼルキス達を含め、全員が先生を囲んだ。
「なんだ、わざわざ追っかけてきたのか? ご苦労なこった」
腰から小さな銃器を追加で取出し、構えながら言う。ふん、と鼻で笑うように、しかし最後の方には既に殺気を滲ませたそのセリフに、私達は一瞬足がすくむ。しかし、その一瞬のすきで攻撃できるほどではない。
「同士討ちは恐れるな! 思うほど当たる物でもない!」
そう言いつつ、私とゼルキスが攻撃をしかける。炎を纏った剣と、唸りを上げて迫る剛腕に流石に動く標的。ゼルキスと一瞬視界が合う。私は一撃目を使って体を捻り、より強く、広く、速い横なぎを見舞う。左手に持っていた小刃と激突、火花が上がる。銃口を向けられるが、咄嗟に横っ飛びで後ろから迫った剣をかわす。
「連携は流石と言ったところだな」
それでもなお余裕を見せる。ゼルキスが地面を殴り、とんでかわすも体勢を崩す。そこを再び剣の一撃が襲うが、小刃で防がれ、踏み台代わりに肩を使って気に向かい飛ぶ。私はそれが攻撃の予備動作と悟り、迎撃の姿勢を取る。そしてその思考は正解だった。火花を散らし、私の剣が止まる。ぶつかったのはカタナ。既に銃はしまったらしい。再びゼルキスが地面を殴る。私はそれで体勢を崩すが、部下たちが一斉に攻撃を仕掛け、身動きの取れないそこを狙う。しかし風で阻まれ、その企みも不成功に終わった。
私はゼルキスに目配せをする。その意図を了解したらしい彼は、思いっきり振りかぶりながら突撃していく。私も炎を増やし突進するように攻撃を仕掛ける。両の手に持った刃物で両方を止める。同時に私達は一瞬の接触のみで後ろに跳ぶ。驚いている様子のその頭部や胴体を、炎や氷の弾丸が襲う。それを撃つ直前の殺気にでも気づいたらしい。両の手を無理矢理引き寄せたかと思えば、そのすべてを小刃とカタナで弾く。と、同時にカタナに凄まじい魔力が集中する。
「まずい……!」
「あばよ!」
薙ぎ払うように振るわれたカタナは、雷と風の奔流を生む。全方位に薙ぎ払われたそれは、容赦なく私達の意識を刈り取った。
「なぜ……なぜ、亡命を……!」
辛うじて残った意識を繋ぎ止めながら、私は問う。
「俺があの国に愛想を尽かしたから……それだけだ」
その問いに、淡泊に答える。私は再び下唇をかみしめ叫んだ。
「嘘……! 嘘だ……! 先生…………!」
「もはや俺は……お前達の『先生』ではない。ただの『敵勢力の兵士』だ」
そう言ったのを最後に、カタナを強烈な風と雷の魔力が覆う。再び薙ぎ払われたその奔流に、私は視界が黒くなっていくのを感じた。