第6話 どうやって生きてきたのだろう
セーレイとはエルフの言葉で「掟」という意味だけど、掟破りの結果生まれた赤ん坊につける名ではないだろうと思う。
わたしはずいぶんと長く生きた。
エルフと人間の間に生まれ、エルフの里から母共々追い出されたのはもう100年以上昔のこと。
銀色の髪以外、外見的にエルフの特徴をほとんど持たなかったわたしは、かろうじて人間社会に紛れることができたし、身体の内側に溢れるエルフ的特徴――つまり魔力に恵まれて今この地位を得るまでとなったわけだけれど。
人間は人間で汚い部分が多い。我が身に半分流れる清廉な森の民の血が、それを嫌悪する。
だからヒトを美しいと感じたのは初めてのことだ。
月光を浴びて眩くきらめく白茶の髪、驚きに瞠る黄玉はどこまでも澄んでいて……水面から返る乱れた光が、憂いを湛える顎のラインに陰影をつける。
彼女は人間ではないと直感が囁きかけた。それが一層、わたしの興味をかきたてる。エルフでも人間でもない、美しい人。
「待って!」
走り出した彼女を後先考えずに引き留め、そこで全てが繋がった。
このドレスはティーカ嬢が着ていたものだ。見えている罠に突っ込んでいく様は、あの愛らしいタヌキを彷彿とさせる。
罠があると言えば「ひっ」と小さく悲鳴をあげてわたしのシャツを握り込んだ。わたしに対しての恐れなど微塵も持っていないらしい。そう、まるで餌付けに成功したタヌキのようにね。
「あなたは誰かな? なぜここに?」
再び逃げてしまわないよう、美しい人をしっかりと腕に抱えて問う。
彼女は少しの沈黙を挟んでから、唇の先を僅かに尖らせた。
「ブルーベリー」
「え? ブルーベリー?」
「そう。美味しいブルーベリーを探してたの」
昨日、この城へ到着したそのときにもブルーベリーがどうのと言っていたっけ。
「あなたはブルーベリーが好きなのかな?」
「美味しいものはなんでも好き! 知ってますか、オクディーラ伯爵のお屋敷のブルーベリーがとっても美味しいんです」
「それは知らなかったな」
「でもね、このお城のブルーベリーのほうがもっと美味しいんだって教えてもらいました」
もう逃げないだろうと思って手を離したのに、彼女はそれに気づきもしないでわたしの胸にくっついたままだ。その姿にわたしの庇護欲が際限なく刺激される。
「残念だけど、城の敷地を探してもここにブルーベリーは植えられていないんだ」
「えぇ……? ない……? ブルーベリーないんですか……。じゃあ帰ります……お世話になりました……」
「んっふふふ。そんな顔をしないで。我が領地の特産品なのは確かでね」
この世の終わりのような表情がパっと華やいだ。
というか、帰るってどこにだろうか。まさか自分の任務を忘れていやしないだろうとは思うけれど。
「じゃあ、植えてあるところ探します!」
「領民の大事な農地に入られたら困ってしまうな」
「えぇ……駄目ですか……」
「そこで提案なのだけど、わたしがブルーベリーを用意するから、またここで会えないかな」
小さな体がはたと動きを止め、互いの視線がぶつかる。
その距離の近さにやっと気付いたのか、慌てて数歩離れ、背後の罠を思い出して足をもつれさせながらさらに横へ数歩。
噴水の縁に躓きそうになったのを支え、その縁に座らせた。この危なっかしい生き物は、今まで一体どのようにして生きてきたのだろうか。
「ブルーベリー食べたいです」
「きっと気に入ってもらえると思うよ」
「美味しかったら秋までいます」
「秋は栗が美味しい季節、かな」
「じゃあそれを食べてから考えてもいいです」
ブルーベリーの収穫時期は品種によって違うけれど、最も遅いものなら初秋まで採れる。
寒くなればリンゴを喜ぶだろうし、暖かくなったらイチゴをあげようか。そんなことを考える自分が滑稽ではあるのだけど、もしかしたらこれが生まれて初めて感じる執着というものかもしれない、とも思う。
風が吹いて、彼女の身体が小さく震えた。
と同時にぽわっと頭に耳が生える。角が丸くなった三角形のふわふわな耳は、さっき口の周りを拭いてあげたときにも見たのだけれど……。
こんなに簡単に正体を見せてしまって、今まで一体どのようにして生きてきたのだろうか、と再び疑問に思う。
「だいぶ冷えてきたね。今夜はお開きにしようか」
「はい。明日ブルーベリー楽しみにしてます」
「うん。またこれくらいの時間に、ここで」
軽く手を振ると、彼女は跳ねるような足取りで城の裏口のほうへ向かった。なるほど、裏口から出てきたのか。
それはそうと、迷い込んだだけの無辜の民を演じるなら、向かうべきは正門のほうだろうに。
オクディーラが何を目的に彼女を送り込んだのかはわからないけれど、少なくとも人選については大きなミスをしたと言える。彼女の性質はスパイに向かない。素直で邪気がないのだから。
「わ、わぁーーーっ」
裏口のほうから細い悲鳴が聞こえると同時に踵を返す。
「マ――ああ、くそっ」
そういえば彼女は名乗らなかった。呼び方さえもわからない関係性に苛立ちを覚えながら、焦りを抱えてただ走る。
今夜の彼女は身なりも整っているし、警備の人間に見つかったのならそれほど悪い扱いはされないだろうけれど。
裏口付近まで来ても彼女の姿はなく、ただドレスが落ちていた。しかも不思議なことに、ドレスはもぞもぞ動いている。
「これは……」
ドレスをめくりあげると、なぜか罠にかかったタヌキがそこにいた。昼間の跳ね上げ式とは違い、獲物が暴れることで輪が引き締められるタイプの罠だ。
家禽を狙うイタチを捕まえようと、使用人がそこかしこに罠を仕掛けたのがあだとなったようだ。といっても、人間ならそこに罠があるとわかるようにしてあるはずなのだけど。
タヌキは「もうおしまいだ」と言わんばかりにコロンと横になっている。抵抗ひとつ見せないなんて、本当にどうやって生きてきたんだろうね、この子は。




