第12話 それは影だよ
夜、オクディーラ伯爵の厚意で城の従者、使用人にいたるまでが宴席に預かった。
酒に潰れた者、踊り疲れた者、休む暇なく給仕や片付けに追われた者。誰もが寝静まって、今この時間は己の衣擦れすら騒音に感じるほどだ。
そんな中、隣室の扉が開く気配がある。チャッチャッチャとリズミカルに鳴るのはタヌキの足音だろうか。
今夜わたしとマヨに逢瀬の予定はないし、そもそもこんな夜更けに彼女を外へ連れ出したことはない。十中八九、伯爵に会いに行くのだろう。
わたしは杖を手にマヨの後を追った。
庭師が丹精込めて作り上げた庭は、夜でもささやかな照明が美しい姿を浮かび上がらせる。
ぽてぽてと歩みを進めるタヌキはふと足を止めたかと思えば、足元を嗅ぎまわり始めた。彼女が気にしているそれは自身の影なのだけど、本人は気付いていないらしい。掘っても何も出ないよ……。
庭師のかけた罠にも同じくらいの敏感さを持ってほしいものだけれど。ただこの姿すら愛らしいと感じるのだから、わたしも重症と言えるかな。
「タヌキ」
どこからか囁き声が聞こえた。
考えるまでもなくそれはオクディーラ伯爵の声だ。マヨはようやく影掘りをやめ、再び歩き出す。
会話を聞き取るためには、死角を選んでできる限りふたりに近づかなければ――や、彼らは話なんてできるのだろうか? マヨがタヌキ姿で言葉を発するところは見たことがないけれど。
「タヌキ、こっちへ。もう一歩」
伯爵はマヨの名を知らないらしいと理解し、僅かに優越感がくすぐられる。
一方マヨはぽてぽて歩いていたのが突然走り出した。なんと彼女の進行方向には小型の檻があり、しかも中にはフルーツの盛り合わせまで。
彼が大荷物だったのは、この罠を密かに持ち込むためだったようだね。そして我が城の従者や使用人にまで酒を振舞ったのは、罠を設置するのを見咎められないように、か。なんとも大胆な計画だ。
さすがに目の前の大きな罠にはかかってくれるなよ、という願いも虚しく、マヨはぽっかり開いた入り口をくぐってしまった。
しかしその檻はマヨより大きな……たとえば猪のような獣を対象としたものらしく、扉は一向に閉まらない。マヨは自分の状況にも気付かないまま、フルーツを美味しそうに頬張っているようだ。
「反応しないか。蹴り糸を絞り過ぎたな、馬鹿めが」
罠を用意した人間に対する愚痴だろうか、伯爵が悪態をつきながら木陰から姿を現した。
近づく伯爵の気配でマヨが顔を上げ、やっと自分の置かれた状況に気付いたらしかった。
しかし逃げることなく、ぐるぐると身体全体で回って周囲の状況を確認したかと思うと、そのまま伏せてしまった。扉は開いているのだから、逃げればいいものを。
「よし、いいこだ。そのまま出るんじゃないぞ。……ほんとに出ないな。なんだその、この世の終わりみたいな顔は」
見れば伯爵の手には麻袋がある。マヨを入れて持ち運ぶのだろうか。
これで伯爵とマヨの関係が良好でないことは明らかだ。協力関係が破綻したのか、元々協力関係など存在していなかったのか、その判断はつかないけれど……わたしには願ったりだね。
我が敷地に無断で罠を仕掛けているのだから、それだけで伯爵を捕らえることはできるけれど……。まだ言い逃れの余地はいくらでもある。
聞きたいことは山ほどあるし、万全を期すためにも決定的な言葉がほしいところだ。そう、たとえばこのタヌキがティーカ嬢だと理解していることを示すような言葉とか、ね。
もう少し様子を見てみようか。
「即刻領地へ戻し、本当の父に会わせてやる。さぁ来い。来いと言っておろうに!」
檻から出ず首を傾げるばかりのマヨに、少しずつ伯爵の語気が荒くなっていく。
「下賤な畜生にはわからんか? お前がこの城から姿を消せば、ティーカの不在を訴えて気に食わん若造を追い落とせよう。それに、あのタヌキどもときたら……お前を連れて来ねば領地をめちゃくちゃにしてやると大騒ぎだ! 畜生どもが!」
あの坊主頭はタヌキの仕業だろうとは思っていたけれど、なるほど。化けタヌキの一族に脅されてマヨを迎えに来た、といったところかな。
つまり、タヌキの一族とオクディーラに協力関係はないと考えて良さそうだ。
マヨがなぜティーカ嬢の代わりとなったのかは未だ不明だけれど、うん、わたしにとってはいい情報ばかりだね。
ちょっと弱いが、タヌキとティーカ嬢を同一視するような言質も取れたことだし、そろそろわたしも出ていこうか。
と、一歩を踏み出しかけたとき、オクディーラ伯爵が調子っぱずれな声をあげた。
「タヌキ、何をしている?」
気になってマヨを見れば、彼女は檻状の罠の中でせっせと葉っぱを集めていた。柵の間から短い手を伸ばし、必死に葉をかき集めて檻の中心に積み上げていく。それはまるで焚き火でもしようとしているみたいだ。
枯れ葉で小さな山を作り終えると、マヨはその山の周りをぐるりと一周まわってから山に飛び込んだ。飛び込んだと言ってもまったく飛べてはいなかったし、表現としては「滑り込んだ」のほうが近い様相だったけれども。
ただ、驚いたことには――。枯れ葉がぶわっと舞い上がるが早いか、なんと煙がもくもくと檻の中に立ち込め、マヨの姿を隠してしまった。
さらにその直後、ガシャンと金属がぶつかる音が響く。
「痛い! 狭い!」
煙が消えたあと、檻にいたのは若い女性だ。白茶色の髪と黄玉の瞳を持った美しい女性。それが猪用の罠の中心で正座しているのだった。




