第1話:ドラゴンの目の前で「給油ランプ」点灯しました
ポーン
『この先、300メートル、渋滞があります』
聞き慣れたナビの音声。
画面上部には【岡山市北区 中央町】の文字。
金曜の夜じゃ。飲み屋街からの客を期待して、わしは愛車「ジャパンタクシー(深藍)」をゆっくりと流しとった。
「はいはい、了解しました」
わしはナビに向かって短く答え、ハンドルを切ろうとした。
その時じゃった。突如として周囲が濃い霧に包まれ、ネオンの光がかき消されたんよ。
車体がガクンと揺れ、タイヤのアスファルトを噛む音が、ジャリジャリという乾いた土の音に変わった。
(あん? 工事中か? おえんなぁ、また予告なしで掘り返しとんか)
わしは舌打ちを堪えつつ、冷静にワイパーを動かし、ふとナビ画面に目を落とした。
画面がザーッと砂嵐のように乱れ、再起動がかかる。
ピロリン♪
『GPS信号を捕捉しました。現在地を更新します』
画面の地図が、見慣れた碁盤の目の「中央町」から、見たこともない等高線だらけの地図へと書き換わっていく。
そして、画面上部の現在地表示が、パッと切り替わった。
【岡山市北区 中央町】
↓
【アストラディア王国 西部荒野・ドラゴンの巣窟 付近】
(……あ?)
わしは老眼鏡の位置を直し、画面を二度見した。
(ア……アストラディア……? 何ならそれ)
わしは記憶の引き出しをひっくり返した。
勤続30年。岡山市内の道なら路地裏一本まで頭に入っとる。
アストラディア?
聞いたことがねぇ。
新しいキャバクラの店名か? それとも最近できたタワーマンションの名前か?
いや、それにしても「王国」たぁ、ぼっけぇ(ものすごい)大層な名前をつけたもんだが……。
わしは窓の外を見た。
そこには、紫色の空と、見渡す限りの赤い荒野が広がっとった。
遠くの空を、巨大なトカゲのようなものが飛んどる。
「…………」
わしは再びナビ画面を見た。
【アストラディア王国】。何度見てもそう書いてある。
(……アストラディアって何なら!!)
わしは心の中で盛大にツッコミを入れた。ハンドルを握る手に力が入る。
(どこならそこは!! 津山より向こうか!? それとも瀬戸大橋渡ったんか!?)
(わしは中央町を流しとったんじゃぞ!? なんで『ドラゴンの巣窟』におるんじゃ!!)
車内には、わしの虚しい叫び(心の声)だけがこだました。
だが、ナビは冷徹に、さらなる絶望を告げる。
『警告:LPガス残量、低下。残り走行可能距離、あと15km』
(なっ……!?)
わしは震える手で、ダッシュボードを叩いた。
この世界において――いや、この車において、ガス欠は即ち「死」を意味する。
なぜなら、この車のエアコンと、謎の機能【車体結界(絶対防御)】は、すべてエンジン(発電機)で動いているからじゃ。
ガスが切れれば、結界は消え、わしはこの灼熱の荒野で干物になるか、さっきから上空を旋回している巨大トカゲ(ドラゴン)のおやつになる。
(ガスを買うには、金がいる。金を得るには、客を乗せなきゃならん)
わしは血走った目で、荒野を見渡した。
ここは地獄の一丁目。だが、タクシー運転手にとっては「流し」の漁場じゃ。
(頼む……! 人間でもオークでも何でもええ! 手を挙げてくれ!)
祈りが通じたのか。
バックミラーの端に、砂煙が見えた。
こちらに向かって、必死の形相で走ってくる集団がおる。金髪の青年、杖を持った少女……どう見ても「仮装行列」か「映画の撮影」じゃ。
だが、彼らの背後にいるのは、どう見てもCGではない、口から炎を漏らす本物の巨大トカゲだった。
(……げぇっ! マジもんじゃが!)
わしは背筋が凍るのを感じた。だが、次の瞬間には、長年の職業病が体を動かしとった。
左手で「空車」の表示灯を確認し、ハザードランプを点滅させる。
キキッ、とタイヤが赤土を噛む乾いた音が響く。わしは絶妙なブレーキングで、走ってくる一行の進行方向に、滑るように車体を割り込ませた。
窓を開けると――わしは「プロの顔」を作って声をかけた。
「お客さん、ご乗車ですか? 少々急いだほうがよろしいかと」
(はよぉ乗れ! あんなデカいトカゲに噛まれたら、板金代いくらかかる思うとんじゃ!!)
わしは左手でスイッチを操作した。
ピピピピ……ウィィィィン
電子音と共に、左側のパワースライドドアが滑らかに開く。
「へ?」
先頭を走っていた金髪の青年――勇者が、突然目の前に現れた黒い鉄の塊を見て、目を丸くして急停止した。
無理もない。この世界に、横にスライドして開く扉など存在せんじゃろう。
しかも、この車は背が高い「ジャパンタクシー」じゃ。彼の背負っている大剣も、引っかかることなく飲み込める大開口じゃ。
「の、乗ります! 乗せてくれぇぇぇ!」
勇者が叫び、仲間たちを無理やり後部座席に押し込む。
定員4名。勇者一行は3人。法令遵守的にも問題なし。
「はい、ドア閉まります。ご注意ください」
わしは再びスイッチを押す。
ウィィィィン……ガシャン
ドアが閉まるとほぼ同時に、彼らのすぐ背後まで迫っていた巨大なドラゴンの顎が開き、極大のブレスが吐き出された。
ゴォォォォォォォッ!!!
視界が真っ赤な炎に包まれる。
車内からは、女性陣の「キャァァァァ!」という悲鳴が響く。
だが、わしは炎の中で冷静にギアをドライブ(D)に入れ、サイドミラーを確認した。
「あーあ……また窓が汚れるな。洗車したばっかりなんですがねぇ」
車体を包み込む数千度の炎は、ボディ表面の数ミリ手前で見えない壁――【車体結界】に阻まれ、塗装一つ焦がしてはいない。
車内温度は、変わらず快適な「24度・自動」をキープしている。
「な、なんだこれ!? 燃えてない!? 涼しい!?」 「この乗り物……結界魔法か!?」
パニックになる後部座席を一瞥し、わしはアクセルを踏み込んだ。
「お客さん、シートベルトお願いしますね。メーター倒しますんで」
キュルルルッ!
ハイブリッド・エンジンが唸りを上げ、タクシーはロケットのような加速で炎の中を突き抜けた。
バックミラーの中で、ドラゴンが「解せぬ」といった顔で砂煙の中に遠ざかっていく。
とりあえず、危機は去った。
わしは左手でメーターの「実車」ボタンを、親指でカチリと押し込んだ。
『ピッ! 賃走(700G)』
さて、ここからが本番じゃ。
わしはルームミラー越しに、呆然としている勇者と目を合わせた。
「……で、どちらまで?」
勇者たちは、まだ状況が飲み込めていないようじゃった。
ふかふかのシート、冷えた空気、そして静かに流れるラジオ(※なぜか異世界の吟遊詩人のヒットチャートを受信しとる)。
外の地獄とは別世界の快適空間に、彼らの脳処理が追いついていない。
「……ま、魔王城まで」
勇者がうわ言のように呟く。
わしはナビ画面に『魔王城』と入力した。 ピロリン、とナビが応答する。
『目的地セット。距離500km。推奨ルートを表示します』
「魔王城ですね。承りました。……距離あるんで高速使います? 下道だと時間もかかりますし、メーター上がっちゃいますけど」
「え? コウソク? メーター?」
勇者がキョトンとしとる。
ああ、そうか。この世界にはタクシーの概念がねぇんか。
わしは最も重要なこと――わしの生命線について、確認しておかねばならん。
「ああ、そうそう」
わしはハンドルを握りながら、真顔で告げた。
「うちは『円』使えんので。お支払いは『金貨』か『魔石』になりますけど、お持ちですよね?」
わしの視線は、勇者の腰にあるジャラジャラと音を立てる革袋に向けられとった。
この期に及んで金の話か、という顔をされたが、これはビジネスじゃ。ボランティアで命懸けの運転はできん。
それに、さっき見た燃料計の目盛りは、もうギリギリじゃ。
(この客からふんだくって、ナビのネットスーパーでガスを買わんと……わしがこの荒野で遭難する)
わしは、営業用スマイルを深めた。
「……お支払い、大丈夫ですよね? もし無賃乗車なら、さっきのドラゴンの前にUターンすることになりますが」
わしの笑顔に、ドラゴン以上の圧を感じたんじゃろうか。
勇者は青ざめた顔で、革袋を抱きしめながら「は、払います! 金ならあります!」と首を縦に振った。
「よし。契約成立だ」
わしはアクセルをさらに踏み込んだ。
異世界個人タクシー、本日最初のお客様は「勇者一行様」。
我が名は、三田馬士郎。
伊達にガキの頃から「メーター走ろう(回そう)」と馬鹿にはされとらん。
メーターを回すためなら、ドラゴンの懐だって飛び込んでやるわい。
(第1話 完)




