上級貴族の婚活
だいたい三十年ほど前から、この国には大きな異変が起きている。貴族の令嬢ほぼ全員が、前世の記憶とやらを持って生まれるようになったのだ。
その前世の記憶というのは、あらゆるパターンにおいてとある「乙女ゲーム」に終始する。
しかもこの世界(この国)は、その乙女ゲームの世界だというのだ。
何でもその乙女ゲームは、シリーズ化されてスピンオフも多く、この国の、特に上級貴族は全員が何らかのキャラクターとして登場するのだという。
ここまでは、へー、そんな不思議なこともあるんだねーというような反応だったのだが、やがてそれは貴族の社会問題へと発展する。
そう、どうやらその乙女ゲームの中では、上級貴族の子息のうち、約7割が性格が最悪だというのだ。
どうやらその乙女ゲームにおいて、主人公は悪役令嬢という人々らしい。
彼女らは一般に身分が高く、それに釣り合いの取れる男と婚約しているのだが、ある日ヒロインと呼ばれる下位貴族の可愛い系の女が現れ、その男を奪ってしまう。悪役令嬢が恋をしながら二人に復讐する、というのがシリーズを通じた流れである。
貴族の令嬢はこのうち、悪役令嬢、ヒロイン、モブのいずれかに分けられるのだが、悪役令嬢はもちろん上級貴族の男を避け、ヒロインも悪役令嬢からの断罪を恐れて上級貴族の男を避け、モブも性格が悪いとやはり上級貴族の男を避ける。
結果、世は上級貴族の令息にとって、婚活氷河期時代と化していた。
この問題が表面化したのは約二十年前。それから、貴族たちは息子の、主に性格面での教育に力を入れるようになった。もちろん、婚活のために他の要素も落とせない。
しかし、別世界の乙女ゲームとやらの中では依然として男たちはヒロインに誘惑され、懲りずに断罪され続けているらしい。
というわけで、三十年経った現在、18歳の次期公爵アルベルト、つまり俺も、そういう状況と相対している。
先日、親と国王陛下が頑張って取付けてくださったとある上級貴族の令嬢との婚約が破棄され、結構好きだっただけに傷心中なのだ。
貴族学園の上級貴族令息たちの間でも、話はたいていどうやって結婚するか、である。
「アルベルト、どうだった?」
「ダメだった……」
いつも一緒に行動しているメンバーの元へ、学食を持ってとぼとぼと帰る。今日もバラの花束で復縁をお願いしに行ったのだが、変質者でも見るような目で拒否され、走って逃げられた。
乙女ゲームの中で、俺は一体何をしたんだ……?
「そうか。俺はもうあきらめたよ」
そう言って遠い目をするのは、同じく公爵家の跡取りで、俺の婚約者の兄でもあるキールだ。2年前、幼馴染の公爵令嬢(俺の妹)に振られていたが、そうか。
「それは賢明だな。妹は最近、中級貴族のイケメンと仲良くしてるよ。あいつら、ここぞとばかりに自分磨きしてきてるからなあ」
「えっマジで? うわあ、分かってても辛くて死にそう」
どこが良いのか兄としては全く分からないが、キールは彼女が大好きだったからな。
「ああ、こんなところにいたのか。今日も学食が多すぎるので、よかったら一緒に食べてくれないか」
そう言ってやってきたのは、いつも一緒にいるメンバーの三人目、第一王子のミカエル殿下だ。まあ上級貴族なので俺たち3人とも顔はいいが、その中でもトップかつ品の良い、正直俺としてはなぜモテないのか理解できない、次期王様である。
「さては断られたんですか?」
殿下も、数ヶ月前に「もうムリ」と言われ婚約を解消している。相手は俺の同い年の姉である。
「うん……」
「うちの姉がどうもすみません」
「いや、まあ、彼女のほうでは伯爵令息にいい人を見つけたらしいから」
ちくしょう、妹なら小言も言えるが、姉は怖くて手も足も出ない。俺の大切な友達を振るなんて、ひどいやつだ!
「よし、過去の恋を振り返るのはやめて、将来国を背負って立つ者たちとして、とりあえず婚活をどうするか考えよう」
こういう場合、進行役をするのはなぜかキールだ。
「とりあえず、公爵から伯爵令嬢はダメだということがこれまでの経験から明らかになっている」
うんうん。
「そこで、男爵や子爵の令嬢を調査してみたが、こちらはヒロイン階級のためムリだった」
まあ、命には代えられないという気持ちはわかる。それに比べて、悪役令嬢階級の俺たちと同じくらいの身分の女は、婚約したとてそこまでひどい目にあうわけでもない。やっぱり育ちがいいからわがままなんだよな。
「そこで、姫君という線を考えたんだが、どうだろう」
ひ、姫君!? そんな恐れ多い――いや、俺たちの身分的にはアリか?
「残念ながら、私の姉妹たちは皆他国に結婚先が決まっている」
「そうか、俺たちは無理か……あれ、でも、殿下なら行けるんじゃないか? 他国との同盟で結婚できるだろう?」
「それが……」
と、殿下が俯いた。憂いを帯びた表情も、やっぱりモテそうなんだがなあ。
「他国にも私たちの結婚事情が知れ渡っているらしくて、この国の男、特に上級貴族はひどいという話が出回っているらしくて……」
な、なんと。あれ、俺たちもう終わりなのでは?
「と、なると、もうあとは平民から、しかないか」
沈痛な面持ちで、キールが一番考えたくなかったことを言った。やっぱり、そうなるか。まあ、子供が生まれなかったら貴族家が滅亡していくだけだからな。
「だが、平民の血を入れたら俺たちは上級貴族じゃいられないぞ? そういう社会じゃないか」
「だからだよ。俺たちの親はぎりぎり滑り込みセーフの世代だから、まだこの段階では上級貴族であれている。しかし、この状況が今後も続くとすれば、俺たちが奇跡的に嫁を得たとして、未来は暗い」
まあ、確かに。無理やり結婚しても、子供もたくさん生まれるわけじゃあないだろうしな……。
「そこで、今のうちに身分を下げて、とりあえず貴族としての家柄だけは保てるようにするというのは、どうだろうか」
な、なるほど。たしかに最終手段だが一理ある!
「いや、無理だ……」
そこで、殿下が口を挟んだ。この世の終わりのような顔をして。
「実は5年ほど前、結婚できなくて困った叔父上が、国民からきさきを募ってオーディションを行ったんだ」
「ほう。で、結果は?」
半ば予想しつつも、俺は聞いた。
「選ばれた女性が、結婚式の前日、夢を見たとかで断ってしまったんだ。結婚したあと、王宮でイジメられて逃げ出して、結局幼馴染と再婚したから、あんな辛い思いをするくらいならこんな話蹴って彼と結婚する、とかなんとか」
その場に沈黙が下りた。ここは、上級貴族が学食を食べるブース。聞き耳を立てていた他の令息達も、一様に重いため息をつく。
「おい、ちょっと待てよ!」
と、すっかり暗い雰囲気の食堂(令嬢たちは恋人のいる別のブースにいるので男のみ)の片隅で、一人の男が立ち上がった。
「この国の貴族って、男女の割合はだいたい同じくらいだよな。と、いうことは、上級貴族がここまで嫌われるなら、その分余っている令嬢が何処かにいるのでは?」
「た、たしかに! 俺たちが知らないだけで、上級貴族の令嬢に人を取られた下級貴族の掘り出し女性がいるかも!」
おお! と一気に食堂が活気づく。あら元気やねえ、と食堂のおばちゃんが言った。うんまあ、いくら貴族と言ったって、所詮は思春期の男の集団だから。
「待て、検証もせずに夢を見るな。裏切られたときが残酷だぞ」
一人の冷静な意見が、その場の熱気を抑えた。
そうだ、さっきの男爵子爵令嬢も、姫君たちにも、他国の姫君にも、平民にも、裏切られてきたじゃないか。
「そのとおりだ。皆落ち着け。いいか、これは俺の妹の話なんだが、やはり婚約者を振ったあと、近衛騎士に流れたんだ……」
「き、騎士……だと!?」
「そうだ。知っての通り、騎士には平民でもなれるから、補充はし放題。もちろん性格も良いし、分母が大きいからイケメンだって当然いる。しかも、俺たちもやし貴族とは違って強い」
その場を、絶望という沈黙が覆い尽くした。やがて皆が、鍛えられたテーブルマナーで音も立てずに自棄食いをし始めた。
そして、十分程経ったあと。
「なあ、みんな。俺は医療の分野について調べたことがあるんだが、なんと最近の医療では、性転換というものがあって、――男が女になれるらしい」
「おい、お前それはつまり――俺たちのうち半数が女になって、なんとか上級貴族の血脈を維持しろという、そういうことか」
ざわざわと、驚きと諦めが広がってゆく。
「もう、そうするしかないんじゃないか。俺たちだって、家や国を守らなくてはいけないわけだし」
「そうだよな、このままじゃあ国が滅びるもんな」
そうだ、そうだ、と口々に男たちが立ち上がる。彼らはどうやら、率先して女にでもなってやる覚悟らしい。それほど、俺たちにのしかかる絶望は大きかった。
数年後、実際に性転換の技術が実用化され、……結果として俺たち残った男性貴族は絶望した。女体化したもと男性貴族たちは、軒並み"乙女ゲームの記憶"とやらを思い出し、余っていた騎士たちに走ったのである。
そうして、国は滅びていった――。
「うっわあああああああ!」
俺は自分のベッドで飛び起きた。
「はあ、はあ、はあ。なんだ、夢か」
父がくれた上等なベッド、ネグリジェ。ここは、間違いない、あの壊れゆく王国じゃなく、俺次期公爵アルベルトの部屋だ。
まさか、結婚できないだけであんなことになるとは。まあ、そんなことはあるまい。そう、ないはず……。
知らず、俺は普段の自分の行状を思い出していた。次期公爵としての忙しさにかまけ、婚約者にはあまり気を使っていない。むしろ完璧すぎる婚約者と、その関係が息苦しくて、ちょっと隙のある男爵令嬢にもらったクッキーに心を動かされていた。
ああ、これか。この現状が、あんな悲惨な夢――いや、あれは、果たして、本当に夢だったのか?
もしかして、まだ見ぬ自分からの警告なのでは?
俺は怖くなり、そういえば、と夢の中でも友人だった二人に急いで連絡を取った。
返ってきた返事は、というより、むしろ出したと同時に相手からの手紙が届いた。
そうか、二人も同じ夢を見たのか――。
変わらなければならない。このままでは、せっかく警告を受け取っていながら、あの絶望を繰り返してしまうことになる。
俺は急いで、色々言いつつも愛しい婚約者への手紙を書き始めた。