元悪役令嬢は書庫にこもりたい4
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翌朝、めずらしくヴェロニカとハルトムートは朝食を共にしていた。しかし、夫婦の間に会話は無く、カチャカチャという食器の音だけが食堂に響いている。
ヴェロニカは、チラリとハルトムートの方に視線を向けた。いつもは、ヴェロニカが朝食を取るずっと前に、ハルトムートは朝食を終えている。今日は何故ハルトムートがここにいるのか少し気になったが、すぐにヴェロニカは食事を再開した。
今日読みたい本の事で頭がいっぱいだったからだ。
不意に、ハルトムートが溜息を吐いた。
「どうなさいました、旦那様」
ハンスが問い掛けると、ハルトムートは浮かない顔で口を開いた。
「うちが懇意にしている商会の経営がうまくいっていないらしい。あの商会は絹織物の販売で成長したのだが、隣国が安く絹織物を販売しているので、最近は隣国の商品の方が売れているようだ。あの商会には投資をしているようなものだし、何とかしたいのだが……」
「……じゃあ、こちらはブルーム地区の職人と手を組んだらいいかも……」
何気なく、ヴェロニカが呟いた。
「え?」
ハルトムートに聞き返されて、ヴェロニカは慌てた。余計な口を挟んだかもしれない。
「申し訳ございません、旦那様。独り言なので、どうぞ忘れて下さい……」
「いや、ブルーム地区の職人と言ったな。君の考えを聞かせてもらいたい」
ヴェロニカは、仕方なく話し始めた。
「……ブルーム地区の職人は、技術が優れていて、他の職人の作った絹織物より手触りが良いと新聞で読みました。それに、あの地区の職人は芸術家肌でもあり、絹を綺麗な模様に染めるようです。なので、ブルーム地区の職人と手を組んで、品質の良さを武器に、貴族に売り込んではどうかと思ったのです……」
隣国の真似をして絹織物を安く販売しても良いが、それだと、蚕を育てる農家の収入も減ってしまう。
ヴェロニカの言葉を聞いたハルトムートは、何かを考え込むようにして黙ってしまった。やはり、機嫌を損ねてしまっただろうか。ヴェロニカは不安になりながらパンを口に入れた。
◆ ◆ ◆
数日後、またヴェロニカとハルトムートは朝食を共にしていた。ハルトムートが、真っ直ぐにヴェロニカを見つめて言う。
「……ヴェロニカ」
「はい」
「礼を言わせて欲しい。君に助言してもらった通りブルーム地区の職人と手を組んで、試しに絹織物を貴族に売り込んだら、驚くほどうまくいったよ。ありがとう」
「……いえ、そんな……」
謙遜しながらも、ヴェロニカは嬉しかった。誰かにお礼を言ってもらうなんて、久しぶりだ。
ヴェロニカが微笑むのを見て、ハルトムートは目を瞠った。初めて、ヴェロニカを美しいと思った。
◆ ◆ ◆
その後、ヴェロニカとハルトムートは毎日のように食事を共にするようになった。ハルトムートは毎日忙しく働いているが、時間がある時は、朝食だけでなく夕食も共にしてくれる。
ヴェロニカは、食卓では専ら読んだ本の内容をベラベラとハルトムートに話すだけだ。しかし、ハルトムートは嫌な顔一つせず聞いてくれる。
ハルトムートにとっても、ヴェロニカから聞く話は刺激的で楽しいものだった。ヴェロニカから地理や経済の話を聞き、それが領地経営の役に立った事もある。
いつしか、二人にとって食事の時間は大切なものとなっていた。
そんな二人の姿を見て、使用人達の態度も変わっていった。メイドは笑顔でヴェロニカの髪の毛を整えてくれるようになったし、料理人は食事の感想をヴェロニカに聞いてくるようになった。
しかし、ヴェロニカは油断していなかった。ハルトムートはヴェロニカの事を愛していない。まだ離縁される可能性は残っている。
「あの、旦那様」
ある日の夕方、食卓でヴェロニカは話を切り出した。
「私、孤児院の子供達に勉強を教えるボランティアをしたいのですが、よろしいでしょうか」
お互い自由に過ごす事になっているが、さすがに主人であるハルトムートには許可を取っておこうと思った。
「ボランティア? 別に構わないが、君は子供が好きだったのか?」
「……まあ、子供が好きというよりも、自分の為ですかね。私は、子供に真摯に向き合える人間になりたいんです」
「……そうか。私から見れば、君はもうそういう人間になっているような気がするが、やってみるといい」
ハルトムートが、穏やかな笑顔を見せた。ヴェロニカは、ホッとして頭を下げた。
「ありがとうございます」
こうして、ヴェロニカはボランティアを始める事になった。
ヴェロニカのボランティア生活が幕を開けます!