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限界まで酷使した肉体と精神でいつしか、ねこの助は考えるのをやめた。
唯一、考えたのは小説の事くらいである。
この時からねこの助は家族と関係を持つ事に執着などがなくなっていた。
ねこの助にあったのは仕事へのやりがいだけである。
そんなねこの助に待っていたのは家族との亀裂であった。
母が変異型の若年性健忘症を患った時には父が施設に入れる為に金を欲した。
最初は家族一丸となって協力しあったが、ねこの助にはその事実を受け入れるだけの覚悟も余裕もなかった。
結局、ねこの助は仕事以外では自室に引きこもってゲームをして気をまぎらわせるしかなかった。
ねこの助には二人の妹と弟がいたが、妹の方は高校を中退して家を飛び出した挙げ句に身籠ってから実家に戻って来るという破天荒ぶりであった。
この破天荒ぶりで父と繋がりが強く、母が健忘症を患った後に父に取り入る事で家庭内の実権を握った。
妹自身はそれが当たり前だと思っていたかは定かではないが、ねこの助にとっては興味外の事であった。
妹はそんなねこの助が気に入らなかったのか、兄とは呼ばずにクズ呼ばわりしていた。
弟の方はねこの助に性格が近かったが、ねこの助以上に我慢する性質があった。
おまけに手癖も悪かったのか、出来心かは定かでないが、たまにねこの助の財布から金を盗んでいたらしい。
弟の方は発達障がい認定されていたのもあってか、世の中を蔑んだ言い方をするようになった。
そして、肝心の父親は仕事を辞めてから母に付きっきりであった。
母が施設に入ってからも、父はパソコンで仕事を探しているのか、それとも別の何かだったのかは定かではないが、以降はやたらとねこの助達の金に固執するようになる。
昔は料理なども趣味でやっていた父であったが、ねこの助が正社員になってからは外食や出前に費やすようになる。
挙げ句には無反応なねこの助が黙認したと思い込んだのか、ねこの助の納めていた税金の過払い分なども勝手に自分のものにしていた。
こんな事があり、ねこの助は正社員になってから、しばらくして家を飛び出した。
妹の時と違い、父はねこの助の加入していた生命保険も破棄した。
ねこの助は正社員になってからは一人暮らしをはじめるようになったが、この時には既に精神がボロボロだったのか、幻聴と周囲の音の区別が解らない程に心を病んでいた。
加えて、正社員になってからはねこの助は完全に昼夜逆転の生活を送っていた。
深夜2時に出勤し、1時間掛けて職場へ向かい、帰るのは午後13時である事も増えた。
おまけにねこの助は他の人間以上に休む事をしようとしなかった。
仕事を考える時がねこの助にとって救いとなっていたのもあるだろう。結果としては、ねこの助は常に限界ギリギリまで身体と精神を酷使する回数が増えた。
これだけでもかなりの負荷だったのだが、ねこの助は宗教絡みで会館警備も行っていた。
こちらは名目上はボランティアである。それに対して、ねこの助が何か言う訳ではないが、会館警備と仕事のある日は四六時中起きており、最長で36時間不眠だった事もある。
こうして見ると解ると思うが、ねこの助は常人が考えているよりもかなり自分の事を犠牲に社会の歯車となって活動していた。
唯一、ねこの助が自分足り得たのはゲームの中だけであった。誰かに胸の内を話すでもなく、ねこの助は自分の家族同様に殻に篭ってしまう。
それがきっかけであろう。
ねこの助は退職してからは一人暮らしの不安なのもあってか、頼る相手も見極めきれてないのか、オープンで話すようになる。
ねこの助は損得勘定が苦手であってか、リスクを考えずに物事を言う事が多くなった。
ネットと言う見えない世界でも、ねこの助と言う人物は変わらなかった。
自己犠牲の精神を持つねこの助にとって自分の存在価値とは人の支えになれた時である。そこに損得勘定と言うものは存在しない。
ねこの助は全ての人々を救うとはいかなくとも、目に見えるものは困っていたり、弱っていたら、そのままに出来ない性格であった。
そして、いつか消えてしまう自分の存在による規模などをたまに考え、何らかの証として人の記憶に片隅にでも残っていれば、ねこの助は満足であった。
承認欲求とも自己顕示とも取れるが、いずれにしても、ねこの助はネットでも生き方を変える事はなかった。
そのねこの助の人を気に掛ける生き方はねこの助の特性として強みであると同時に致命的な欠点でもあった。
だからこそ、ねこの助の生き方は目に見えるか、そうでないかだけの認識であり、彼自身にとってはネットでも現実でも大差ないものなのである。