1
西暦2000年初頭。ここに仕事を探す若者が一人いた。
歳は二十歳前後だろう。高校卒業後、印刷会社に入社するも病名不明の謎の病に掛かって仕事が出来なくなり、1ヶ月の自宅療養の末に再び訪れるも印刷会社にクビを言い渡されてしまう。
以降は様々な仕事を転々とするも長続きはせず、同居している家族からは腫れ物扱いされるまでに至り、暇さえあればテレビゲームをしていると言う生活であった。
そんな彼を見かねたのか、母親がある仕事の話を持って来る。
それは季節柄限定の新事業の海外大手がやっている倉庫系列の義務スーパーの仕事であった。
「たまたま見掛けたんだけれど、どう?興味ない?」
母親が持って来たその話に若者は興味を持ち、早速、その義務スーパーにアポの電話をして面接の為の準備をはじめる。
面接はある程度の好印象を与える事が出来た。
面接でのコミュニケーション能力には自信はなかったが、若者独特の体力への自信と勢いで若者は面接に合格する事になる。
「最後に質問などはありますか?」
「ありません!」
はっきりと断言する若者に面接官は苦笑すると面白いものを見るように若者を見据える。
「そこは嘘でも良いから、何か用意しておくと良いですよ。
あとから聞いてませんと言うよりはだいぶ、マシになります。
ただ、そうですね。あなたがうちの所属のスタッフになれば、或いは・・・いや、これは憶測ですね。いま、話をするのはやめておきましょう」
面接官は含みのある言い方をすると「これから宜しく」と若者と握手してから、その後、彼に職務案内する。その際に他の面接で来ていた若者達が私服で来ていたのに対して、若者はただ一人だけ、ビジネススーツで来ていたのであった事に驚きを隠せなかった。
現在の面接とは違い、当時の面接とは履歴書は手書きが常識であり、格好については自由と言われてもキチンとビジネススーツを着用するのは義務のようなものであると言うのが、常識であり、彼もまた、それが当たり前の知識として、いままでで培ってきた知り得た常識であったのだ。
(皆、本当に仕事をする気で来ているのか?──いや、恐らくはこれから社会人になる学生か何かなのだろう)
若者はあれこれと考えていたが、職務案内が開始されると先程まで悩んでいた事をすぐに忘れる。
そして、職務案内が終わって改めて、面接を受けた者はビデオを見せられる。
そのビデオの内容は簡潔に社内ルールに対する基礎知識を学ばせる教養ドラマのようなものであった。
元々、勉学の類いが苦手な若者にとって、この手のビデオの内容はとても解りやすいものであった。
そうして、若者──当時の塁滝ねこの助はその海外大手の倉庫式業務スーパーで働く事になる。
──これはねこの助が、いままで働いた中で最も長く続いた仕事と末期に患った統合失調症で入院してしまい、退職するまでに至るまでのヒューマンドラマである。
当時の印象が強く誇張なども含まれるだろうが、体験談自体はほぼ事実であると思われる。
これはそんな塁滝ねこの助の十数年前にもなる話。
いまとなっては時効だから流石に名前を伏せれば、問題ないだろうと判断したので過去の話を記す事にした。
仕事をする上で参考にして頂ければ、何よりである。
いま、過去の話を記せば、当時の仕事環境に周囲は驚くであろう──それだけ、過去と現在では在り方が違うのだから。