第8話 侍女エメリー
エメリーがロレインの元で侍女としての教育を受け始めてもう2ヶ月が過ぎた。
アレックス隊長の部屋でお茶とお菓子を出してくれたロレインは、エメリーを一目見て気に入り、姫様達と仲良くやっていけると、太鼓判を押したという。
そんなロレインがマイケルの母と知った時、エメリーはこんな何も知らない自分がロレインの息子のマイケルと…と恥ずかしくなってしまった。
でも、ロレインは礼儀作法など何も知らないエメリーに優しく教えてくれた上に、自信を持ちなさい、と言って励まし続けてくれた。
「あなたはどこに出しても恥ずかしくない、素敵な女性です。マイケルは、そんなあなたが好きなのですよ。
しっかりと顔を上げて、前を向きなさい。」
エメリーはそう言われる度に、ロレインの優しさが嬉しく、自分に自信を持とうと前向きになれるのだった。
4ヶ月前、国王陛下の親衛隊に所属してるエメリーは自衛軍との親善試合でマイケルと戦った。1時間にも及んだ2人の戦いの後、エメリーは丸一日意識がなかった。
目覚めた時、マイケルはそばにいてエメリーの手を握っていた。
微笑むマイケルの瞳がエメリーには虹色に輝いて見えた。それは、エメリーが12歳の時に初めてマイケルと会った時と同じ優しさに溢れていた。
あれ以来、マイケルは時々エメリーの部屋に魔力を使って飛んでくるようになった。
マイケルは御屋敷の執事と、自衛軍司令官の仕事を掛け持ちしていて忙しく、エメリーに会いに来ても抱きしめてキスすると慌ただしく帰ってしまう。
でも、そのキスがだんだんと激しくなっていく様で、エメリーはうれしいような、恥ずかしいような、怖いような、そんな気持ちになっていた。
今日これから、エメリーは親衛隊の宿舎からエレノア姫のいる御屋敷に移ることになっている。そして、御屋敷にはマイケルが執事として住んでいて、エメリーが来るのを待っている。
宿舎の私物を全て片付け、がらんとした部屋で、エメリーは窓辺に椅子を動かして、昼でも明るく輝く大きな赤い月と青い月を見つめていた。
「月の姫君のお導きで、ここまで来る事ができました。
ありがとうございます。
これからが私の大切な勤めです。
どうぞ、見守ってください。」
エメリーは月の姫君が微笑んでいてくださるような気がしていた。
エメリーはロレインに連れられて姫様達の住むお屋敷へと移って来た。
姫達はここでは豪商のお嬢様として、のびのびと、だが両親が留守がちなので寂しく暮らしていた。
もう直ぐ15歳になるエレノアは、お姉さまが1人できたみたい、とエメリーの手を取り、ブンブンと振って喜んでいた。
まだ7歳のアメリアはロレインの影に隠れていたが、やがて顔を出してエメリーに抱きつき、離れなくなってしまった。
エメリーはアメリアと手を繋ぎ、アメリアに屋敷の中を案内してもらった。
ロレイン、エメリーの他にも下働きの侍女や力仕事をする男衆、料理人などがいて、賑やかに挨拶を交わしていると、馬番のアレックス爺が出て来た。
アメリアはタッタッとアレックス爺に駆け寄ると、だっこして、と甘えている。アレックス爺も嬉しそうに、アメリアお嬢さまは、いつまでも甘えん坊ですな…などと言っている。
この爺が赤い大陸スカーレット随一の魔力の持ち主、親衛隊隊長のアレックスだとは、誰も思わないだろう。
やがて、執事のマイケルが顔を出し、優雅に微笑んだ。ブラックのフロックコート、グレーのストライプパンツ、白の蝶ネクタイを締めた姿はとても素敵だった。
「エメリー、よく来たね。エメリーの部屋はまだ案内してないのかな?」
と言うと、では、私が案内しましょう、と皆を置いてさっさと歩き出した。
廊下をいくつか曲がり、マイケルがここだよ、とドアを開けた。白い壁に、女の子らしい淡い色のカーテンやベッドカバーが目を惹く、可愛い部屋だった。
「まぁ!」
とエメリーは小さく言って両手を頬に当てた。
「気に入ってくれたかな?」
「えっ?もしかしたら…」
「エメリーが気に入りそうなモノを揃えたんだけど…。どうかな…?」
とマイケルが自信なさそうにエメリーに聞いた。
エメリーは嬉しくって返事もできずに泣き出してしまった。
「お、おいっ?どうしたんだ?気に入らなかったかい?」
と、狼狽えるマイケルの胸にそっと顔をくっつけた後、エメリーが顔を左右に振った。
「嬉しすぎて…。こんなに可愛いお部屋は初めてで…
ありがとうございます。本当に嬉しい!」
ニコッと笑ったマイケルはそっとエメリーの背中を押して部屋の中へとエメリーを誘う。
「隣はね、俺の部屋なんだ。ほら、ここで繋がってる。」
と、部屋の中にあるドアを開けた。そこは落ち着いた部屋だった。
「エメリー、このドアはいつでも開けておくよ。何かあったら俺のところにおいで。
俺がここにいない時も心で呼んでくれたら、いつでもエメリーのそばに来るから。いいね?」
マイケルはエメリーを抱きしめ、キスをして囁いた。
「エメリーがこの御屋敷に来るのを待ってた。」
エメリーの唇が、離れていくマイケルの唇を追いかけ、2人はいつまでもキスしていた。
ディナーの時間は、ロレインに見守られ、マイケルに助けられながら、侍女の役目をこなした。
アメリアのシャワーを少し手助けし、アメリアが眠りにつくまでそばにいて、そっとベッドから離れた。
その後、エレノアの部屋に行き、御用はございませんか?と尋ねて、少しおしゃべりをした。
全ての仕事を終えたエメリーは自室でシャワーを浴び、寝巻きに着替えて、ベッドに潜り込んだ。マイケルが選んでくれた可愛いものに囲まれた部屋で、エメリーは幸せだった。
なのに…
これからの事を考えると、不安ばかりが頭に浮かぶ。
ー幸せなのに…。
なぜ?
突然、エメリーの眼に涙が溢れてきて、ポロポロと流れ落ちてしまった。枕に顔を埋めて泣いていると、どんどん不安になる。
ー怖い…寂しい。
私はこんなに弱くない!
私は親衛隊のエメリーなのに!
エメリーは不安で不安で体が震えてしまい、どうしようもなくなった。
すると、トントントン…とノックする音が聞こえて、マイケルの声がした。
「どうしたの、エメリー。入るよ、いいかい?」
エメリーは泣いてる顔を隠そうとして、枕に顔を強く押し付け、なんでもありません、と言った。
マイケルがエメリーを見て、泣いてるじゃないか、とエメリーの傍に座った。
泣いてなんかいません、と言うエメリーから枕を引き剥がして、マイケルは微笑んだ。
「寂しくなったの?
大丈夫だよ。
俺の部屋に行こう。
どうしたのか、話して聞かせてほしい。
ゆっくりでいいからね。」
マイケルはエメリーを抱きかかえて、自分の部屋に連れて行った。2人でマイケルのベッドに腰掛けると、エメリーは泣きながら、
「こんな事は…初めてなの。
…今まで泣いたことなんかないのに。
今、とても幸せなのに、なんでこんなに不安で、怖くて寂しいのか、わからないの。
わからないから…どんどん不安になって…
涙が…
心配かけてごめんなさい…私は大丈夫です。
部屋に戻ります…」
マイケルはエメリーを抱きしめてから、エメリーを見つめて言った。
「不安で、怖くて、寂しい…なんて当たり前だよ。
俺だってそうだよ。
いつも不安で、なんでも怖くて、1人でいると寂しい。
エメリーはセオドラ国王陛下の親衛隊の騎士だった。
今まで誰よりも努力して、頑張ってきた。
不安に思う前に行動する。
強くて当たり前…。
いつもいつも、緊張して過ごしている。
でもね、今ここでは違うんだよ。騎士じゃない。
エメリーは今、俺と2人で座っている普通の17歳の女の子なんだ。不安で怖くて寂しいって、普通なんだよ。
俺と2人の時ぐらい、普通の17歳に戻ったっていいじゃないか。そうだろ?
不安なときは俺に甘えてほしい。
泣きたいときは俺の胸で泣いてほしい。
寂しいときは俺に抱きついてほしい。
エメリー、俺のそばにいて、俺に甘えてくれ。」
エメリーはマイケルにしがみついて、大きな声で泣いてしまった。
マイケルは背中をトントンとして、エメリーが落ち着くのを待ち、そっとベッドに寝かせて囁いた。
「今夜は2人で抱き合って眠ろうか。エメリーが眠るまで俺がずっとエメリーの顔見ているから。」
やっと、エメリーがかすかに笑った。
エメリーが涙でぐちゃぐちゃの顔をマイケルの胸に埋めて言った。
「マイケル、大好き。
12歳のあの日、初めて会った時からずっと大好き。
…やっと言えた。」
「エメリー、俺もだよ」
2人は長いキスをした。
マイケルはエメリーの耳元で囁く。
「今日はこのままお休み。」
マイケルは約束通り、エメリーが眠るまでずっと顔を見ていた。そして、エメリーが穏やかな寝息を立てた時、マイケルはそっとエメリーを抱きしめて、自分も眠りについた。
エメリーが侍女として御屋敷に入ってしばらくしたある日、豪商人の姿のセオドラ国王と王妃ゾーイ殿が揃って御屋敷を訪れた。
国王夫妻はしばらくエレノアと3人で話をしていたが、突然エレノアが泣きながら部屋を飛び出して行った。部屋のそばで控えていたエメリーは、それを見てエレノアの後を追った。
エレノアは赤い薔薇が咲き乱れる庭の長椅子に座って泣いていた。俯いて、手の甲で涙を拭いながら泣く姿は、まだ幼い少女の様だった。
エメリーはしばらくエレノアを遠くから見つめていたが、そっと近づいてエレノアの前に屈んで、話しかけた。
どうされたのですか?と聞くエメリーに背中を向けたエレノアが、
「エメリーは知ってたんでしょ?
そして私に黙ってたんだ…!」
と泣きながら言った。
「エレノア様がこの国の姫様で、16才になったら王太子になられる、という話ですか?」
と、答えると、ほら、やっぱり…という顔をエメリーに向けて、エレノアはまた泣いた。
「セオドラ様とゾーイ様は、エレノア様になんと仰ったのでしょうか?」
と聞くと、エレノアは嗚咽を堪えながら言った。
「どうしたいのか、自分で考えて決めなさいって。」
しゃくりあげ、少し考えてこう続ける。
「昔の言い伝えがあるから、私をここで静かに育てたんだって言うの。私に国を滅ぼすような、可哀想なことはさせたくなかったんだって。
それでね…。
王太子になりたくないなら、それでも構わない。王族の誰かに継いでもらってもいいのだから、よく考えなさいって…そう言ったの。
お父様もお母様も、勝手だわ!
今まで黙ってたなんて。
なんで…なんでもっと早く…教えてくれなかったんだろう!」
エレノアは再び泣き出した。エメリーはしばらく泣きじゃくるエレノアを見ていたが、ハンカチを手渡してこう言った。
「それで、なぜ泣いているのでしょうか?
ご両親は無理強いはせず、エレノア様の意思を大事にする、と仰ったのですよね?」
エレノアはポツリと呟いた。
「私…びっくりしちゃったの。」
エレノアはエメリーをまっすぐに見て言った。エレノアの目も鼻も真っ赤になって、淡い栗色の髪の毛が頬にくっついていた。
「そんな事、思ってもいなかったんだもん。
…だって、そうでしょう?
いきなりお前は王太子になるって言われたら、誰だってびっくりして、困るでしょう?
私、どうしたらいいのか、わからないんだもの…。
自分で決めるなんて、できないよ…」
エメリーはエレノアの隣に腰掛けて、エレノアの手を取って顔を見た。
「確かに…そうですね…。
いきなりでは、びっくりして困る…。
私も同じ様に言われたら、びっくりして、ものすごく困って…お父様のバカ…とか言ってしまうと思います。
お母様なんか、大っ嫌い!
私の事はほっといて!
こんな家、出て行ってやる!
う〜ん、あと、なんて言ってやりましょうか?」
エレノアが少し笑ってエメリーを見た。
「…そう言えばよかった!」
「言わなくてよかったです。
もし、言っていたら、今頃ご両親は卒倒していたかもしれませんから…。
エレノア様はご両親に言われた事が嫌で泣いていたのではなく、どうしたらいいのか、わからずに泣いていたのですね?」
エレノアは頷いた。
エメリーはエレノアの手を強く握りしめて尋ねた。
「エレノア様…。
エレノア様は、私が何故この御屋敷に来たと思われますか?」
エレノアは首を振る。
「エメリーは私達の侍女でしょう?」
エメリーはにっこりと笑って言った。
「私は、エレノア様と共に在るためにここに来たのです。
私はエレノア様が楽しい時には、その幸せを分けていただきたい。エレノア様が辛く、悲しく、苦しい時にはおそばにいて、共に前に進んでいきたい。
私はエレノア様と一緒に笑い、泣き、悩んでいきたいのです。
誰かと一緒に進んでいけば、どんな試練も乗り越えられると、私は信じています。
エレノア様、私と一緒に一歩を踏み出してみませんか?
急ぐ事はありません。
出来る事から始めればいいのです。」
エレノアは黙ってエメリーを見つめ続けていた。
エメリーは立ち上がり、そして右手を左胸に当てた。微かな風と共にエメリーが騎士の姿に変わった。
そして片膝を付き右手を左胸に当て首を垂れた。そして、ゆっくりとエレノアを見上げた。
「エレノア様、
私達には月の姫君のご加護があります。恐れることはありません。私は、私の持てる力の全てであなた様をお護りし、共に歩んで参ります。」
エレノアはエメリーの前に立った。
「騎士だったのね、エメリーは…。
私を護ってくれる、騎士だったんだ。
これから、いつもそばにいてくれるの?
私はどうすればいいのか、教えてくれるの?
だって、私、何もしらないし、何もできないもん。
それで…
色々教えてもらって、色々やってみて、
無理だと思ったら…
私、王太子になるのをやめてもいいんだよね?
普通の女の子でいてもいいんだよね?
お父様もお母様もがっかりしたり、しないよね?」
「ご両親は、エレノア様がどんな決断をされても、決して落胆されたりはしません。エレノア様の幸せだけを願っていらっしゃるのですから。
そうでなければ、いくら言い伝えがあるとしても、エレノア様達をこの御屋敷で育てようとは思わないはずです。可愛い娘達を手元から離してでも、幸せに過ごしてほしいと願っていらっしゃるのです。」
エレノアはエメリーの手を取って、ありがとうと言った。
「私、お父様たちのところに戻るね。もう一度、話してみる。エメリー、ありがとう。」
走り出したエレノアの後ろ姿を見送っていると、マイケルがそっと姿を現してエメリーの肩を抱いた。
「ありがとう、エメリー。」
マイケルは小さな声で言った。
「俺、エメリーの事、惚れ直した。今すぐキスしたい。」
エメリーはマイケルにそっと寄り添った。
エレノアは自分の道を決めた。
王太子に相応しい人間になれるか、自分を試してみる、とエレノアは国王夫婦に言ったという。
少しづつ、エレノアの立太子に向けての準備が始まった。
マイケルが自衛軍の司令官だったと知ると、エレノアは目を丸くしていたが、
「私のそばで、私の事、守っていてくれたんだね。ありがとう。これから、よろしくお願いします、マイケル司令官!」
と、言ってマイケルの手を取った。
マイケルとエメリーがアレックス隊長の助言をもらい、エレノアに魔力の指導をしてみると、エレノアには飛んだり、姿を変えたりと、決して強い魔力とは言えないが、王族らしい魔力が現れた。
将来は司令長官として、自衛軍を指揮する立場になるエレノアに、マイケルが心構えを一つ一つ指導していった。
エメリーは正式に自衛軍の所属の大佐として任命された。
入隊式の日、マイケル司令官と戦ったエメリーの姿が目に焼き付いている自衛軍の隊員達は、皆、エメリーを尊敬の眼差しで見つめ、敬礼をした。
そこには数ヶ月で見違えるように逞しくなった隊員達の姿があった。
サイモン秘書官はエメリー大佐の秘書官も兼任することになり、更に忙しくなっていた。
しかし、サイモンはご機嫌だった。
その理由は、ある日、マイケルがもじもじとして、買い物に付き合って欲しいと口籠もりながら言ったからだった。
なかなかはっきりと何を買いたいと言わないマイケル司令官に、サイモンが詰め寄った。
「えぇい!そんなんじゃ、何が買いたいのかわかりません!
司令官!はっきり言いなさい、はっきりと!」
「可愛いモノが買いたい!カーテンとかベッドカバーとか!
小物とか!!エメリーの部屋にいるもの全部!!」
と言うと年甲斐もなく顔が赤くなっているマイケルに、サイモンは、よく言えましたと言いながらニターッと笑った。
結局、サイモンの可愛い恋人のミミにも来てもらい、3人で街にある女の子に人気の店に行く事になった。そこでマイケルはミミに相談しながら、思いつく色々なモノを買った。
エメリーは気にいるだろうか、と心配するマイケルにミミが言った。
「マイケルさま!
だぁ〜い好きな恋人からプレゼントされた物を喜ばない女の子はいないです〜!ね、サイモンさま!」
その後、気分が良くなったマイケルが、サイモンとミミに町一番の高級レストランで一番高いフルコースをご馳走し、お土産までつけた事は言うまでもない。
サイモン秘書官は2人のスケジュール表を睨みながら、チラチラとマイケル司令官を盗み見る。
ー司令官!
口の固い私に感謝してくださいよ。
何を買ってたかで
2人の進捗状況が丸わかりですからね!
奥手な上司は、ほんと世話が焼ける!
お二人が一緒に休めるように、
私がうまく調整しますからね!
私に感謝してくださいよ!
そうじゃないと、どんな事になるか、
…わたしは知りませんよ!
程なくして、エレノアは王族の遠い親戚の息子、ノアとして自衛軍の副司令長官として配属された。その傍にはいつもエメリー大佐の姿があった。
マイケルと戦った時の姿から、エメリーは炎の大佐とあだ名されていて、赤いマントを翻して立つその姿は、勇猛果敢な戦士だった。常にノア司令副長官の側に控え、眼光鋭く辺りを見回している。
自衛軍にいる間は、エメリーはノア副司令長官付きの大佐として、マイケル司令官の副官とも言える立場にいる。
一切の妥協を許さず、前に進む強い女…。
それがエメリー大佐だった。




