第5話 伯爵令嬢と騎士
忙しく日々を過ごすマイケルの元に一通の手紙が届いた。
ブラウン伯爵家の令嬢、エマからだった。
アレックス隊長を通して縁談は断ったはずなのに…と訝しみながら読むと、一度お目にかかってお話がしたい、と書いてあった。
マイケルは自分の口できっぱりと断ろうと思い、エマと会う事にした。
マイケルが指定した城の四阿で、エマはポツンと1人、侍女も連れずに待っていた。淡いピンク色の髪がそよぐ風に揺れ、纏った紫色のドレスがエマの美しさを際立たせていた。
お待たせしましたか?申し訳なかったです、と詫びるマイケルに、エマはドレスと同じ紫色の瞳を輝かせながら答えた。
「いいえ、私が早く来すぎてしまったのです。あなたに会えると思うと落ち着かなくて…。私の願いを聞いてくださってありがとう。」
2人で向かい合って四阿に座ったマイケルは、私にどんな話があるのでしょう、と冷たくエマに問いかけた。
エマはマイケルに話し始めた。
「私が14歳だった頃、私は初めてあなたをお見かけしました。あなたは馬に乗り、騎士として国王陛下に従っておられました。辺りに目を配りながら進んで行くあなたの事を、とても素敵な方だと、子供ながらに思いました。
父に連れられて城に行く度に、国王陛下の傍に控えていらっしゃるあなたを見て、私の心が踊りました。
いつか、あの方とお話がしたい。
いつか、あの方と腕を組み歩いてみたい。
いつの日にか、あの方の…」
エマは紫色の瞳でマイケルを見つめた。
「そして私は16歳になりました。
夫を迎える話がいくつもありますが、どの方も素敵な方なのに、何故か心が踊るような気持ちになれません。
そんな私を訝しんだ父に、私はあなたの事を話しました。
子供の頃にお見かけした方が忘れられない、いつもいつもその方のことを想っていると。
父は私の願いを聞いて、あなたに結婚を申し込んでくれました。
でも、あなたにとって話したこともない私と結婚など、気が進まないことでしょう。あなたがこの話をお断りになったのも理解できるのです。
ですから…。
私の事を知って欲しい。
その上で、あなたが私のことを愛していると思ってくださったときに、結婚を考えて欲しい…。
私とお付き合いしていただけませんか?
こんな申し出を女の私の方からするのは、お嫌でしょうか?」
マイケルは、微笑んでエマを見た。
「あなたはこんな男のどこが気に入ったのでしょう?
どこにでもいる、普通の男ですよ。」
「いいえ、あなたの青みがかった銀色の髪、歩く姿、優しい微笑み…全てが好きです。
人を好きになるのに理屈や理由はいらないでしょう?」
マイケルはエマを見て言った
「正直な所、私はまだ結婚など考えられません。
あなたと結婚する気はありませんし、伯爵家を継ぐなど考えられません。
あなたを愛する日が来るとも思えません。
お付き合いをしても、別れがあるだけです。
傷つくのは、私ではなくあなたです。
それでも私と付き合いたいとおっしゃるのですか?
あなたは心優しい方と聞いています。
私ではない誰かを…」
というマイケルの言葉を遮って、エマが言った
「可能性はゼロなのですか?」
マイケルは言った。
「限りなく…。」
「…それでも構いません。
私の事を好きにならなくても構いません。
私と時々会ってくださるだけで、私は幸せです。
あなたのそばに居させてください。
お願いです。
どうか、わたしの願いを受け入れてください。
…お願いです。」
マイケルは思わず微笑んでしまった。
「面白いお方だ…。
…いいでしょう。
美しい方と腕を組み並んで歩きたいという欲望が、私にないわけではありませんからね。
でも、私はあなたと並んで歩くだけですよ。
それだけですよ。いいですね、エマ殿。」
マイケルは腕を差し出して、エマをエスコートした。
エマは嬉しそうにマイケルを見上げながら、マイケルの腕を取り隣を歩く。
マイケルは、キッパリと断れなかった自分を情けなく思いつつ、歩いた。
数日の内に、マイケルとエマが腕を組んで歩いていたという話が広がった。自衛軍の司令官と伯爵令嬢が腕を組んで歩いていたのだから仕方ない。
サイモンはマイケル司令官に、どうするんですか!と詰め寄った。
「エメリー嬢を取り逃しますよ。」
「私はエマ殿と歩いただけだ。エスコートして腕を組むのは当然だろう。」
と言うマイケル司令官に、恋人と暮らす16歳のサイモンが小声でブチブチと文句を言う。
ーそんな事言ってたら…。
エメリー嬢が…。
全く女心がわかってない…。
そのうち、伯爵が…。
どんな事になっても
…わたしは知りませんよ!
マイケルとエマは何度か2人で城を散策した。
ある日、2人で腕を組み歩いていると、騎士学校の生徒が向こうからわいわいとやって来た。そして、マイケルに気づくとサッと敬礼をし、通り過ぎるまで不動の姿勢で見送った。
その中にエメリーがいた。マイケルはエメリーの前で、ほんのわずかに歩調が遅くなり、エメリーに微かに笑いかけた。そして、エメリーの目はエマを見て悲しげに曇った。
マイケルは自覚しなかったが、エマはその変化に気づいていた。
ある日、エマはマイケルにどうしてもと願って街に出た。伯爵令嬢のエマは、街にも出た事がほとんどないと言う。何をするでもない、ただ街を歩いているだけでエマは楽しそうだった。
そこでもエマはエメリーを見かけた。マイケルの歩調がほんのわずかに遅くなり、マイケルがほんの少し横を見ていた事で気づいてしまった。
マイケルの目線はエメリーを追いかけていた。エメリーの目はエマを追いかけていた。
その後もマイケルの様子でエメリーがいる事をエマは気づいてしまう。自分の事は好きにならなくてもいい、と言っておきながら、エメリーにどうしても嫉妬してしまう。
エマはそんな自分が悲しかった。
とうとうエマの父、ブラウン伯爵が動いた。
マイケルを自分の館に呼び出して盛大にもてなし、酒を飲みながらマイケルに尋ねた。
「…で?エマとはいつ結婚するんだね。伯爵家を継ぐ準備もあるしな…。そろそろ準備を始めたいのだがね?」
マイケルはえっ?という顔をしてエマを見た。エマは慌てて父に言う。
「お父様、マイケル殿が困っておられます。」
「おお、そうかそうか。まぁ2人でゆっくり考えなさい。私はいつでもいいぞ。」
では、あとは2人でくつろぐといい、と言って伯爵はダイニングルームを後にした。
「エマ殿?そんな話になっているのですか?」
「違うのです、マイケル。
父が勝手に…。ごめんなさい。
今日は私の知らない間に、父があなたをここにお呼びしてしまいました。
伯爵である父に招かれたら、あなたが断れないと知っていて、父はお呼びしたのでしょう。
本当にごめんなさい。
今夜はこのままお帰りください。父には私からきちんと話しておきます。」
涙を目に溜めて、エマは謝り続けていた。
マイケルは自分を責めていた。
ーはっきりと断りきれなかった自分のせいだ。情けない。
きちんとエマ殿と話をして終わりにしよう。
エマ殿をこれ以上悲しませるわけにはいかない。
エマ殿のためにも、自分のためにも。
マイケルは何度もエマに連絡をとった。
しかし、なんの返事もないまま時間が過ぎた。
しばらく経った頃、エマから四阿に来て欲しいと連絡があった。
四阿にはエマが1人佇んでいた。エマはマイケルに何も言わせず、話し始めた。
「マイケル、先日は申し訳ありませんでした。
父にはきちんと話しました。
マイケル殿にわがままを言っていたのか、と叱られました。
何度もご連絡をいただいていたのに、お返事もせずごめんなさい。心を落ち着かせる時間が欲しかったのです。」
「エマ殿、私は…」
「マイケル、お願いです。何も仰らないでください。
今日はお別れのご挨拶をするために、あなたをお呼びしたのです。
父に叱られたからではありません。
私はあなたの瞳の中に、ただ1人の女性が映っている事に気が付いてしまったのです。
悲しいですが、私ではない、別の方です。
あなたはその方を想ってらっしゃる…。
私の想いが届かないのは、その方がいるからですね。
お付き合いしても別れがあるだけだとあなたは仰った。
そして傷つくのは私だと。
でも、マイケル。私は傷ついてはいません。
とても楽しかった。
とても嬉しかった。
私はあなたと過ごしたあの時間を忘れません。
短い時間でしたけれど、ご一緒した時を思えば、これから先も辛い事をのりこえられる、そんな気がします。
自分でお願いして、お付き合いをしていただいたのに、
自分からこんなご挨拶をするなんて…。
本当に自分勝手で恥ずかしいです。
マイケル、大好きです。
たくさんの楽しい時間をありがとう。
そして、さようなら。」
エマは後ろも振り返らずに、四阿を後にした。
マイケルはエマの姿が見えなり、辺りが夕闇に包まれても四阿で佇んでいた。
マイケルは自分の心の中に1人の女性がいることに、やっと気づいた。




