第2話 悩む騎士
エメリーのいなくなった騎士の詰め所は、急に寂しくなっていた。騎士達はエメリーがここに配属になったら楽しいのにな、と口々に言っていた。
「そう言えば、アレックス隊長の話はなんだったんだ?」
と、聞く仲間にマイケルは浮かない顔をして話し出した。
「配置替えになるかもしれない。詳しいことはまだわからないんだ。」
えっ?と言う仲間たちにマイケルは、さらに浮かない顔をして言った。
「もう一つは…。」
「まだ、あんのかよ?」
と言う仲間にボソリとマイケルが言った。
「結婚の…打診が来た…らしい。」
相手は誰だと騒ぐ仲間達に、マイケルはボソボソと言う。
「ブラウン伯爵家の一人娘、エマ殿だ。子供の頃に俺を見たとかで、それから、ずっと俺の事を想っていて下さったらしい。」
「え〜っ!あのエマ殿か?」
「おい、おい、おい!マイケルは将来の伯爵様なのかよ!」
「うわぉ〜!あの美しく、優しいお嬢様と!」
「羨ましいぞっ!」
「で…何故そんな顔してるんだよ?」
「何故?なぜって…。」
ー何故だろう?心がときめかない。
アレックス隊長は俺に、自分の心に従って決めろ。強制ではないのだからと言っていたが…。
周りで騒ぐ仲間達の声とは逆に、マイケルの気持ちは沈んでいた。
エマ殿は聡明なお方で、驕らず、優しいお人柄と聞く。そのような女性と一生を共にしたら、楽しく幸せに暮らせるだろう。
伯爵として残りの人生を過ごし、自分の領地を収めていく。たぶん、一生豊かに暮らせるに違いない。
自分の隣には自分を愛してくれる美しい妻がいて、子供達が自分の周りにたくさんいる、そんな暮らしを考えてみる。
それが、俺のやりたい事なのか?
俺はこれから何をしたいんだ?
配置換えと縁談という二つの事が一気にマイケルにやってきて、マイケルは自分の生き方を考えることになった。色々な事がマイケルの頭の中で渦を巻く。
マイケルの苦悩は続く。
マイケルは仕事の帰りに飲みに行こうと誘われたが、なんとなくそんな気分にはなれず、いつもなら馬車に乗る道をてくてくと歩いて帰った。
夜空に輝く大きな赤い月と青い月の光を浴び、少し気持ちを切り替えて、家に戻りたいとマイケルは思った。
家には母親のロレインがいる。
早くに亡くなった父に代わり、ロレインは貴族の屋敷で侍女をしてマイケルを育ててくれた。
騎士になりたいとマイケルが言った時も、自分の道を自分で切り拓きなさい、あなたなら出来るわ、とロレインは応援してくれた。
何故だかそんな母に、沈んでいる今の自分の心の動きを隠しておきたかった。
ー迷っていれば心配するだろう。
心配だけはかけたくない…。
自宅に戻ったマイケルを母親のロレインが出迎えた。
「空腹で死にそうだよ。何かあるかい?」
と笑って聞くマイケルに、
「晩御飯は要らないって言ってたから、ろくなものがないけど…。」
と、ロレインは悲しそうな声を出す。それでも、ラムチョップ、チーズとワイン、パンにスープという食事をさっと用意した。
マイケルと向かい合って座ったロレインは、全部残りものでごめんね、と笑った。
マイケルは、ものすごい勢いでラムチョップに齧り付くと、セオドラ国王殿下の親衛隊から自衛軍に転属する事になるかもしれないんだ、とロレインに言った。
ロレインは、まぁ、国を守る騎士になるのね、すごいわと言って紅茶を飲んだ。そして、何かを待つように、じっとマイケルを見つめていた。
だが、マイケルはそれ以上の事をロレインに話せなかった。もちろん、エマとの縁談話も…。
自室に入ったマイケルは、今日アレックス隊長から言われたことを思い返していた。
子供がいないと思われていたセオドラ国王陛下と王妃ゾーイ殿の間に、姫君が2人もいた事は驚きだった。しかも、誰にも知られずに隠し通していたとは…。
そして、あの言い伝え…。
ー王の長子が女である時、その姿を王太子になるまで隠す事。さもなくば赤い大陸スカーレットは滅ぶ。
平和なこの星で争いなどあり得ない。誰もがそう言うが、数百年ぶりの女の長子が生まれてセオドラ国王陛下と王妃ゾーイ殿は悩んだという。そして、長子は死んだと内外に広め、姫を郊外の屋敷に隠した。
その姫君はいずれ王太子となる。
王太子になる前に、その姫君は国王の遠い親戚の男子と偽って、自衛軍の実務を経験することになるという。
その時に備えてお前を自衛軍に転属させるのだ、姫君を支える役目をお前に担ってもらいたいとアレックス隊長はマイケルに言った。
アレックス隊長はマイケルにもう一つ任務があると言った。それは姫君の暮らす館で、姫君のそばで執事として姫君を守る事。
マイケルにとって想像をした事もない任務だった。
マイケルはアレックス隊長に、何故私をお選びになったのですか?と尋ねた。
すると、アレックス隊長はこう答えた。
「お前の母上に聞いてみるといい。」
マイケルは窓から外を眺めた。大きな赤い月と青い月の光ががマイケルを照らしている。その光は自分を暖かく包んでいる様にマイケルは思った。
マイケルは心の中で月の姫君に語りかけた。
ー母は何を知っているのでしょう?
それに何故、私にそんな大役が回ってきたのでしょうか?
二つの月の間を星が流れて行った。
まるで、前に進めと励ましてくれているようにマイケルには思えた。
コンコンコン、とマイケルはロレインの部屋のドアをノックした。
「母さん、夜中にごめん。やはり、少し話をしたい。いいだろうか?」
ロレインは何の話か分かっているように答えた。
「ダイニングで何か飲みながら話しましょうか?」
ダイニングルームに向かい合わせで座ると、ロレインはワイングラスを二つ出し、赤ワインを注いでマイケルの新しい仕事に!とグラスを掲げた。
何を話したいの?とロレインが聞くと、マイケルは母さんが知ってる事の全て、と答えた。
「長い話になるわ。」
ロレインはそう言って、ワインを一口飲んだ。そして、ワイングラスをゆらゆらと揺らしながら話し始めた。
官史だったマイケルの父が亡くなった時、前王妃の元で下働きをしていたロレインに、アレックス殿が声をかけてくれたと言う。
「ある御屋敷でお嬢様の侍女を探している。しばらくは住み込みになるが、働いてみないか?ロレイン殿の子供も一緒で構わない。
ロレイン殿の人柄は色々なところで聞いている。この仕事にふさわしいのはロレイン殿だけだと私は思っているのだが。どうだろうか…。もちろん、気が進まなければ断っても構わない。」
アレックス殿からの話である事と、給料などの条件がかなりよかった事もあり、一度御屋敷の家族と顔合わせをしてみる事になった。
ロレインがアレックス殿に連れられて、郊外の御屋敷に行くと、そこにいたのはセオドラ国王陛下と王妃ゾーイ殿だった。お二人はロレインの手を取り、娘が大きくなるまでそばにいてやってほしいと願われた。
「この国に昔からある言い伝えを知っているだろう?娘にこの国を滅ぼすような経験をさせたくないのだ。」
と、セオドラ国王は仰った。
王妃ゾーイ殿は乳飲み子を抱いてこられた。お目にかかったエレノア姫は乳母の乳を貰いご機嫌なご様子だった。
王妃ゾーイ殿は、ずっとそばにいてあげれない立場にいる事を嘆き、泣いておられた。そして、誰か信頼できる人に姫を託したいのだと仰った。
「あなたの事はアレックスから、とても優しく信頼できる方だ、と聞いています。男の子がいるのでしょう?2人で姫のそばにいてあげてくれませんか。」
エレノア姫はロレインの顔を見ると声を上げてお笑いになった。それはそれは可愛らしい姫君で、ロレインはこの話を断れなくなってしまった。
それからすぐ、ロレインとマイケルは郊外の御屋敷に移り住んだ。乳母は乳が必要なくなると、姫君の記憶を消されて、充分な手当をもらい屋敷を後にした。
マイケルはエレノア姫を実の妹の様に可愛がっていたとロレインは言う。やがてマイケルが大きくなり、ロレインは住み込みを辞して家を構えた。そして通いで働き、今も続けている。
マイケルの姫達の記憶は、アレックス殿の魔力によって住み込みを辞した時に封印されている。可哀想ではあったが、姫君達の秘密を守るためとロレインは割り切った。
先日、アレックス殿がロレインの元を訪ねて来られ、こう言った。
「エレノア姫はあなたのおかげで健やかに大きくなられた。心から感謝している。そして、マイケルも逞しく、分別のある大人になった。信頼できる私の頼もしい部下だ。
そこで、記憶を元に戻して姫達を護る職務に付いてもらいたいと考えているのだが、ロレイン殿はどう思われるか。」
ロレインはこう答えたという。
「マイケルは心優しく、信頼できる男です。姫達もすぐなつくでしょう。屋敷の執事として、事務も雑用も器用にこなせるはずです。
十分な働きをしてくれると思います。
ただ、女性である姫達の相談に乗る事ができる侍女を1人付けて差し上げてください。まだまだ子供の姫達ですが、これから大人になって行くのですから…。その任はマイケルでは無理だと思います。
姫達を守る力については、アレックス殿の方がよくご存じですよね。」
ロレインの言葉にアレックス殿は深く頷き、わかったと答えた。
「これが私の知っている全てよ。
マイケル、自分の心のままに道を進みなさい。
騎士のあなたには月の姫君のご加護があるのですから、信じた道を行きなさい。」
騎士の母は慈愛に満ちた眼差しで息子を見つめていた。
翌日、マイケルはアレックス隊長に会って自分の決意を告げた。アレックス隊長は何も言わずに、マイケルの話に耳を傾けてくれた。
「母から昨夜、話を聞きました。隊長が私を評価してくださっている事を嬉しく、誇りに思います。
これからは自衛軍で力を尽くし、姫君にお仕えしていけるように頑張って参ります。
エマ殿との事はお断りしたいと思います。私には姫君にお仕えする事と伯爵家に入る事を両立するのは無理です。
それに、今の私には伯爵として生きる道が見えないのです。」
アレックス隊長はマイケルの顔を見て、わかったと答えた。
「早速、自衛軍に転属する手続きを取ろう。明日から行ってもらうことになるが、いいか?御屋敷の仕事はその後になる。
忘れないで欲しいのは、エレノア姫が王太子になられるまで秘密を守ってほしいと、ゾーイ殿が強く強く希望されている事だ。その事だけは必ず守ってほしい。私からもゾーイ殿のためにお願いしたい。
エマ殿の話は私の方からお断りをしておこう。」
その日の夜、家に帰ったマイケルはロレインに、仕事を受けた、とだけ話した。ロレインはにっこりと笑い、わかったわと返事し、何も聞かなかった。
マイケルは自室に戻ると、窓から外を眺め、月の姫君に語りかけた。
「どうぞ私に力を与えてください。自分を信じ前に進める強い心を持たせてください。」
赤い月と青い月はマイケルを優しく照らし続けた。
翌日、マイケルは親衛隊仲間に挨拶を済ませて、アレックス隊長と共に自衛軍本部へと向かった。
そこには自衛軍の司令長官であるセオドラ国王陛下がおられ、隣には実質的に自衛軍を指揮するルドルフ司令官が控えていた。
マイケルは国王陛下の前で片膝を付き、右手を左胸に当てて首を垂れた。
セオドラ国王はマイケルを副司令官に任ずると勅令を出した後、マイケルの目を見て、頼んだぞ、と仰った。そこには、自分の娘を思う父の愛情が溢れていた。
「御意。御心のままに。
国王陛下と赤い大陸スカーレットに月の姫君のご加護が在らんことを!」
とマイケルが国王陛下に申し上げている背後には、アレックス隊長が同じ様に片膝を付いて控えていた。
セオドラ国王陛下は、アレックス、頼んだ、と声をおかけになった。
アレックスは、御意と答え、国王陛下の顔を見て頷いた。
マイケルが任された副司令官の仕事は司令官を補佐する仕事だが、ルドルフ司令官は思わぬことをマイケルに告げた。
「私は体調が良くなくて、来年には退職することになっていてね。後は君に任せたい。アレックス隊長から君の事はよく聞いているんだよ。任せて大丈夫だとアレックス隊長からの太鼓判だ。よろしく頼むよ。」
マイケルは自分が思ったより重い立場に立った事を初めて悟った。
だが、尻込みはできない。
自分を信じて任せようとしてくださるセオドラ国王陛下、王妃ゾーイ殿、アレックス隊長、ロレイン、ルドルフ殿のため。そしてエレノア姫のため、自分のために…。自分のできる限りの事をするだけだ。
自衛軍の庭では隊員が整列して、マイケルを待っていた。ずらりと並んだ150人の隊員は、初めて顔を合わせる年若い男に憎悪にも似た眼差しを向けている事にマイケルは気づいた。
ルドルフ司令官がマイケルを紹介している間も、隊員達の眼差しは冷やかだった。
ー今まで国王の親衛隊にいたような若造に何が出来る!
ーこんな奴に、自衛軍の何がわかるというのだ
ー若造め!
マイケルは考えた。この男達を掌握して懐に飛び込むためには、何をするべきか…。
挨拶を済ませ自衛軍本部の自室に入ると、年若い男が待っていた。
「初めまして。サイモンです。
私は官史ですので、秘書としてマイケル副司令官にお仕えるすることになります。なんでも仰ってください。」
マイケルは片手を差し出して、サイモンと握手をすると言った。
「マイケルだ。副司令官を拝命したばかりだ。これからよろしくお願いしたい。
早速仕事を頼みたい。ここにいる隊員の全員の履歴名簿を持ってきて欲しいのだが…。」
サイモンは、それならここに、と棚の中から分厚い冊子を取り出す。
「必要かと思いまして、先ほど取って参りました。」
気が利くな、というマイケルに、ありがとうございますと笑って答えた顔が若かった。
いつもは余り気にしないことをマイケルは聞いた。
「聞いてもいいだろうか…。サイモン、年はいくつだ?」
「昨年、官史の試験を軽い気持ちで受けたら15歳で合格してしまった、16歳です。
はい、若いですっ!
私がマイケル副司令官付きになったのは、アレックス殿の推薦です。若い秘書官を付けて困らせようとかいう嫌がらせではありません。
私はご一緒に仕事ができる事が楽しみです。至らない所がありましたら、直しますのでおっしゃって下さい。」
と、にぃ〜っとサイモンは笑った。
打てば響く、というのはこういう男の事を言うのだな、とマイケルは考えていた。そして、アレックス隊長の配慮に心から感謝していた。
「私が副司令官殿でしたら、真っ先に皆の情報を頭に叩き込みたいと思うので、先ずは履歴名簿かなと思い準備いたしました。でも150人ですから、どんなに頑張っても1週間はかかりますね。」
今度はマイケルがニヤリと笑った。
「サイモンに私の秘密を教える。絶対誰にも話すなよ!
私には誰にも言った事がない、不思議な力があるんだ。
不思議な能力だよ。
一度見たものは、絶対忘れないんだ。
しかも、すぐ頭に入るんだよ。
文字でも人の顔でも、何年経っても覚えている。
だから、名簿150人分はすぐ覚えられる。
さあ、始めるぞ!」
そう言って、マイケルは名簿のページをゆっくりとめくり始めた。
1時間後にはマイケルは履歴名簿の内容を覚えていた。明日は全員参加で朝会を開くと連絡を頼む、と言うとサイモンは嬉しそうに答えた。
「履歴名簿と顔を一致させるのですね。了解です!」
2日目の朝、マイケルは朝会で隊員一人一人と握手をして名前を聞いた。
3日目の朝、マイケルは誰よりも早く門に立った。斜め後ろにはサイモンが控えていた。
マイケルは次々と当庁する隊員全ての名前を呼んで挨拶をした。
「おはよう、ピエール。早いですね。」
「おはよう、マイクとチャド」
「ジム、マイル、ヤミン、おはよう。いい天気ですね」
皆、名前を呼ばれてビクっとし、マイケルの顔を見た。
全員が登庁したのを確認すると、マイケルは自室で履歴名簿を前にすると、サイモンを呼んだ。
「サイモン、これから名簿に載っていない皆の情報を教えてくれ。良いことも悪いことも、噂話もだ。
サイモンならきっと色々と集めていると思うんだが、当たりかな?」
サイモンは16歳の若々しい顔に邪悪な微笑みを浮かべ、こくりと頷いた。
「お任せください!」
4日目の朝、マイケルは一人一人に声をかけていた。
「母上の具合が悪いと聞いています。調子はどうですか?」
「娘さんは5歳ですね。可愛い盛りだろうな。」
「釣りが好きと伺いました。今度連れて行ってください。」
1週間後にはマイケルを若造とバカにする者はいなくなっていた。
アレックス隊長は、ルドルフ司令官から報告を受けた。
「アレックス隊長の言うとおりだった。マイケルはたった1週間で皆の心を掴んだよ。
あとは自衛軍の指揮をいかに取るか…。まぁ、それもマイケルなら難なくやり遂げられるだろう。
これで、私も心置きなく退職できるな。」




