来なかった今日という日 2
第二章 〜ゾーイと3人の男〜 の中に出てきた、フランクの書いた物語です。人物設定は少し変わっています。
ーセオドラの結婚ー
赤い大陸スカーレットの王太子である俺、セオドラは今日、ソフィアと結婚する。
王太子の正装と濃紺のマントに身を包み、王太子の印である聖剣を腰に下げ、窓辺に立ち外を見ている。窓の外には早朝から大勢のの国民が集まり、俺とソフィアを一目見ようと俺達がバルコニーに出てくるのを待っている。
窓のからは昼でも輝く大きな二つの月、赤い月と青い月がが見える。きっと、月の姫君は俺達の婚礼を祝福してくださっているだろう。
ふと、ゾーイとアレックスはこの二つの月を今見ているのだろうかと考える。
あれから何年もの月日が流れた。今でもあの事を思い出すと苦しくなる。
そう、あの日。
朝、起きたらゾーイが俺の隣から消えていた。ゾーイの屋敷にも帰っていなかった。
どこを探してもいない。事故かと思ったが、そんな報告はない。誘拐されたのかと調べたが、誰からも何も言って来ない。でも、ゾーイはいない。見つからない。
しばらくして、もう1人姿を消した奴がいる事が分かった。アレックスだった。
あいつがゾーイを誘拐し、連れ去ったのだと俺は思った。
俺はありとあらゆる手段を使って、アレックスを探した。誘拐犯として指名手配し、見つけたものには法外な報奨金を出すことにした。
きっと魔力を使って姿を隠しているに違いないと、俺は思っていたが、意外にも2人は魔力を使わずに、普通に暮らしていた。
ゾーイ達が見つかったのは、いなくなってから1年近く経った頃だった。報告によると、ゾーイには子がいるという。
ーそれはきっと俺の子だ。嫉妬したアレックスが子を宿したゾーイを無理矢理連れ去ったのだ。
ーゾーイと2人で俺の子を育てよう。ゾーイの事で皆が何か言うようなら、俺は王位継承権を放棄すればよい。
俺はゾーイを助け出そうと2人のいる所に魔力を使って飛び、姿を消して2人の家に近づいた。しかし、そこで目にしたのは、幸せに暮らす2人の姿だった。
小さな家の居間で、ゾーイはアレックスに抱きしめられて、キスをせがんでいる。アレックスが優しくゾーイの唇にキスを繰り返している。コットに寝ている赤子が泣くと、ゾーイがよしよしと抱き上げ、乳を含ませる。赤子は2人いて、アレックスによく似ていた。
それは俺にとって衝撃だった。
ゾーイは自分の意思でアレックスと消えた!
なぜ?どうして?
俺は城に戻り、浴びるほど酒を飲んだ。
2人で初めて一緒に過ごした夜、眼を潤ませたゾーイは俺に '素敵な、初めての夜をありがとう' と言った。
俺の腕の中で、俺を見つめて '愛してる!' と何度も言った。
キスして欲しい…といつもいつもせがみ、触れ合った唇を離そうとしなかった。
あれは全部、嘘だったのか?俺を騙していたのか?
なぜ俺ではなくてアレックスなんだ?ゾーイはなぜあいつを選んだのだ?あいつに有って、俺に無いものはなんだったんだ!
わからない。わからない。わかりたくなんかない!
もう、何も信じられない。信じない。
俺は酒に溺れるようになった。悪友と街に繰り出し、言い寄ってくる女は片っ端から抱いて捨てた。女は金で黙らせた。
何年もそんな生活を送った。
見兼ねた父上がある時から、結婚しろと次々と女を紹介して来るようになった。王族の娘、貴族の娘、豪商の娘…。会うだけで反吐が出るような女ばかりだった。だから、わざと相手から断ってくるように、酒臭く服も乱れたままで女に会った。
ゾーイの様に優しくて、聡明で、美しい女はもう二度と現れない。俺はどうしようもない孤独に苛まれていた。
そんなある日、俺は父上に言われてある女に会った。俺はいつもの通り、会いに来る女に嫌われるように、酒臭く乱れた服装のままだった。
城の庭にある四阿で、その女は空を見上げていた。色白で白銀の髪、すみれ色の瞳を持つ女は、俺の姿を見るとこう言った。
「セオドラ様はあの青い空の向こうに、何があるかご存じですか?」
「…知らないな」
思わず返事をしてしまった。
「広い広い空間があるのだそうです。不思議ですよね。
わたくしは、生まれた時から体が弱く、ほとんど外に出た事がありませんでした。7歳まで生きられないと言われたのだそうです。自分の部屋から出たこともあまりなく、1人で本を読むのが唯一の楽しみでした。
読んだ本の中に、空の向こうには広い空間があると書いてありました。一度でいいから、青い空の向こう側をのぞいてみたい。それが子供の頃の夢でした。
今は青い空の向こうには行けないとわかっていますが、いつの日にか叶えられるといいなと思いながら、空を見ていました。
こうして外に出たのも、久しぶりです。青い空を見て、子供の頃のたわいもない夢を思い出してしまいました。
セオドラ様の子供の頃の夢はなんでしたか?」
俺は言葉に詰まった。そして、こう答えてしまった。
「夢なんて持ってなかった。」
そいつはびっくりしたような目で俺をみて言った。
「セオドラ様…。では、やりたかった事は?」
俺はこのめんどくさい女にこう答えた。
「俺を捨てたゾーイを連れ戻して、この腕に抱く事だ。」
しばらく考えた後で、そいつはこう言った。
「それは…。それを実現できたらセオドラ様は幸せを感じるのでしょうか?」
めんどくさい!めんどくさい!めんどくさい!!
「俺を捨てた女だよ!そんなことして、俺が幸せを感じるわけねぇだろ!いい加減にしろよ。」
めげない女はこう言った。
「…では、幸せを感じるやりたい事を1つ探しませんか?わたくしも探してまいります。3日後、同じ時間にこの場所で。
わたくしは、もう行かねばなりません。あまり外に長くいると侍女が心配しますので。
それでは、セオドラ様、ご機嫌よう!」
ふわふわとその女は侍女が待つ城の中へと消えて行った。
俺はまるで毒にでも当てられたかのように動けず、そいつの消えた方向を見ていた。
ーなんだ!あの女。名乗りもしなかった。
ーなんだっていうんだよ!
その後、俺はいつものように酒を浴びるほど飲んで過ごした。そして、3日後、俺は四阿にわざと遅れて行った。なぜ行く気になったのか、自分でもよくわからなかった。
もう、諦めて帰っただろう。そう思って四阿を見ると女は座って待っていた。
「セオドラ様! 申し訳ございません。ちょっと疲れて座ってしまいました。まだ、あまり体力がなくて…」
「…」
セオドラ様!と女は眼を輝かせながら言った。
「わたくし、1つ目のやりたい事を見つけました!ぜひセオドラ様に聞いていただきたくて、お待ちしてました。」
俺はなんとなく、女の隣に座った。
「子供の頃読んだ本に 'クリームパフ' というものが載っていて、どんな物か食べてみたいと思ったのを思い出したのです。
実は一度、子供の頃に食べてみたいと侍女に言ったのですが、お腹を壊すからいけません、とバッサリと切り捨てられました。
本には手のひらに乗るような薄茶色の雲のような形で、ふわふわの甘いお菓子だと書いてありました。どんな味なのでしょう。ぜひ食べてみたいです!セオドラ様は食べた事がありますか?」
俺は思わず笑ってしまった。クリームパフ!
「それは、シュークリームの事だ。知らないのか?」
「えっ?シュークリーム…ですか?
セオドラ様は食べた事があるのですか?
それは、普通に店で売っているのですか?
わたくし、食べた事がありません。」
しばらくしょんぼりとしていた女は、すっと顔をあげてすみれ色の瞳を輝かせて言った。
「わたくしのやりたい事が、今日2つも出来ました! 1つ目はシュークリームを自分で買う。2つ目はシュークリームを食べる、です。なんだか楽しくなってきました。」
セオドラ様は何か見つかりましたか?と聞かれ、ない!と冷たく答えたが、諦めない女は
「3日後、また同じ時間にここでお待ちしています。必ず '幸せを感じるやりたい事' を1つ見つけて来てくださいませ。」
そう言ってふわふわと城の中に入って行った。
それから3日毎にその女は四阿で俺を待っていた。そいつは '幸せを感じるやりたい事' をノートに書き始めた。
セオドラ様の幸せを感じるやりたい事、というページは真っ白だったが、女のページはどんどん埋まって行った。シュークリームを買う、食べる…に始まり、アイスクリームを食べる、冷えたスイカを食べる、生チョコレートを食べる、タバスコをいっぱい掛けたピザを食べる、バナナを食べる、クリームブリュレを食べる…と食べ物が続き、俺を笑わせてくれた。
喰い物ばっかりだな、と俺が言うと、はっ!とした顔になった後、女は真っ赤になった。
「わ、わたくし…。どうしましょう!少し恥ずかしいです。」
次からは食べ物以外にも目を向けて考えて参ります…と、女はキラキラしたすみれ色の瞳の眼で俺をみた。
次に四阿で会った時から、女の '幸せを感じるやりたい事' の幅が広がっていた。
スキーをする、舟を漕ぐ、釣りをする、スイカ割りをする、チューリップを育てる、ベリーを摘む、ひまわり畑に行く、海水浴をする、ピクニックに行く、お弁当を作る…
俺は女に会って '幸せを感じるやりたい事' の話を聞くのが楽しくなっていた。3日毎に四阿に行き、たわいもない話をする。主に話しているのは女で、俺は、ヘェ〜とか、ふぅ〜んとか、なるほどね、などと言ってるだけだったが…。
女の '幸せを感じるやりたい事' のページがどんどん埋まり、3冊目になったある日。
四阿に女がいなかった。
しばらく座っていると、女の侍女とおぼしき者が手紙を俺に渡した。
セオドラ様、
申し訳ありません。今日は少し用事が出来てしまいました。四阿には行けそうもありません。
でも '幸せを感じるやりたい事' は、ちゃんと見つけました。
青空の下で走る、です。
わたくし、走った事がありません。体力をつけて走れるようになったら、セオドラ様、一緒に走ってくださいませ。
あ! '幸せを感じるやりたい事' が2つになってしまいました…。
今日の1つめ。青空の下で走る。
今日の2つめ。セオドラ様と走る。
わがままですね。
3日後にはお会いできますように。
その時にはセオドラ様の '幸せを感じるやりたい事' をわたくしにお聞かせ下さいませ。
ソフィア
俺はあの女の名前がソフィアだと初めて知った。
でも3日後、ソフィアは現れなかった。手紙も寄越さない。そして、その3日後も姿を現さなかった。
俺は意を決して、ソフィアの屋敷を訪ねた。飲んだくれではあるがこれでも王太子なので、ソフィアの屋敷を訪ねるために、身なりを整え、王太子の服を纏い、騎士を数名連れて行った。
王太子の突然の訪問にソフィアの屋敷は大騒ぎになった。
俺が、ソフィアに会いに来た、と告げると屋敷の主人は首を傾げた。
「ソフィアは今ここにはおりません。ここ何ヶ月か入院し治療を受けております。…しかし、なぜ、セオドラ様がソフィアをご存じなのですか?」
俺は、父君である国王からソフィアを紹介されて、3日毎に会っていたと、正直に話した。
しかし、ソフィアの父はおかしな事を言った。
「国王様から結婚のお話がございましたのは、姉のフローラでございます。フローラは心に決めた方がいるからと申しまして、お断りしたはずですが…。」
その時、見覚えのある侍女が、私がソフィア様のお手伝いをさせていただきました、と泣きそうな声で言った。フローラお姉様の代わりに一度でいいからセオドラ様に会ってみたいと、ソフィアに頼まれたのだという。
一度会うだけのはずだったのに…と侍女が泣き出した。
俺は、病院に案内せよ、とソフィアの父に命じた。着いたのは、王宮にほど近い病院。その一室で、ソフィアは眠っていた。顔色は悪く、呼吸も浅かった。
俺は病室にソフィアと2人になった。ソフィアの冷たい手を握り、じっと顔を見ていると、うっすらとソフィアが目を開けた。
「セオドラ様…?わたくしの事、バレてしまったのですね。恥ずかしいです…。病院を抜け出して、セオドラ様に会いに行ってました。」
「喋るな。黙ってそのまま、休んでいろ。」
「今日のセオドラ様、お洋服がよく似合って、とても素敵です。胸がキュンとします。」
「黙ってろ」
「はい…。でも、お願いがあります。わたくしが眠りにつくまで、その手を離さないでください。とても暖かくて…。」
「だから、黙っていろ。そばにいるから。」
しばらくして、ソフィアの呼吸が落ち着き、眠りについたのがわかった。それでも俺はその手を離さず握り続けた。
俺は侍女を呼んで話を聞いた。
ソフィアは子供の頃から体が弱いというのは本当だった。病院と屋敷の自室を行ったり来たりする生活で、本だけが楽しみ…というような生活だった。
ソフィアの母は俺に会った事があるらしく、とても笑顔の素敵な方だとよく言っていたらしい。でも、その後には必ず、こう付け加えられていた。
「ソフィアは子供だし、体が弱いからセオドラ様のお相手になるのは無理ね。」
セオドラ様のお相手には無理と言われても、ソフィアの中で俺はピカピカに輝く王太子で、一目でいいからお会いしたい方…だったのだ。
そんな時に、国王陛下からフローラへの結婚の打診があり、フローラはすぐ断った。それを知ったソフィアは侍女にフローラの代わりに一回だけお会いしたいから手を貸して欲しい、と頼んだ。
そして、国王陛下への返書をどうにか偽造し、四阿で会うことになった。憧れの王太子、俺に会うために。
一回だけのはずが数を重ねてしまったと、侍女は泣きながら言った。
「もう、やめましょう。お体に障ります、と何回も申し上げたのですが…。」
ソフィアは、俺が '幸せを感じるやりたい事' を見つけるまで一緒に探したいと言って聞かなかったらしい。
しかし、体調はあまり良くなく、俺と会った後は疲れて食事も取れず、寝ているだけだった。四阿から帰る時、いつもふわふわしていたのは、体調が悪く、真っ直ぐに歩けない状態だったのだ。
今回は特に体調が悪い。このままでは長くはないだろう、と医者に言われているという。
「まだまだ幼いお子様なので、恋に恋してしまわれたのかもしれません。なにしろ、若い男性に会う機会もほとんどない方ですから。どうか、セオドラ様、ソフィアお嬢様を怒らないでくださいませ。罰なら私が受ける覚悟ができております。」
「待て、ソフィアは今、幾つなんだ?」
「先月、15歳になられました。」
どうりで '幸せを感じるやりたい事' に食べ物ばかりが出ていたわけだ。
俺は眠るソフィアの顔を見つめた。
ソフィアはこんな俺のために、自分の命をかけてくれた。俺が幸せを見つけるのを手助けをしてくれようとした。こんな、やさぐれて、飲んだくれている男のために…。
俺は…なんてバカなんだろう。後ろばかり見て、目の前にある幸せに気づきもしないなんて。
その後、俺は素早く行動した。
ソフィアを赤い大陸スカーレット王立病院に移し、治療を受けさせた。いくつかの新薬を使った新しい治療方法も試させた。食事も特に体力がつくように工夫させた。
明るい陽の光が差し込む病室は花を絶やさないようにした。ソフィアが楽しく過ごせるように。新しい本もたくさん置いた。いつでも好きな時に読めるように。
そして、俺は毎日会いに行った。顔を見るだけしかできない時も多かったが、毎日行った。
ソフィアが、わたくしなどのために無理はなさらないで下さいませ、と何回も言うので '幸せを感じるやりたい事' に大きな字で書いた。
ソフィアに毎日会う事
ソフィアの手を毎日握る事
ソフィアに元気になってもらう事
ソフィアとずっと一緒にいる事
そして、小さな字で付け加えた。
…早く大人になってくれ。子供にはキスもできん!
ソフィアはそれを読んで真っ赤になった。そして、わたくし…と言ったまま泣き出してしまった。
父上である国王陛下には、今までの自分の愚行を詫び、心を入れ替えると話した。ソフィアが自分を目覚めさせてくれた…と付け加え、ソフィアがもう少し大人になったら結婚したいと願った。父上は、うんうんと頷いて、よかった…とおっしゃった。
ソフィアの両親にも結婚を願った。心を入れ替え真面目に生きるので、ソフィアがもう少し大人になったら結婚して幸せにしたい、と話した。ソフィアの両親は了承してくれた。
そして、この事はソフィアには言わないで欲しい。大人になったソフィアに自分でどうするかを決めてもらいたいから…と付け加えた。
月日が流れ、ソフィアは体力も付いてきて、体の調子も良くなってきた。そして、病院を出て屋敷で過ごせる時間が増えていった。
屋敷に戻ったソフィアとは3日毎に四阿で会った。
'幸せを感じるやりたい事' はどんどん増えていった。ソフィアは四阿で会うといつもすみれ色の瞳を輝かせていた。
暖かな日々の続くある日、俺はソフィアにピクニックに行こうと誘った。
俺は前もって、離宮でピクニックの準備をしていた。離宮の庭にテントを張り、大きなテーブルにシュークリーム、アイスクリーム、冷えたスイカ、生チョコレート、タバスコのいっぱい掛かったピザ、バナナ、クリームブリュレ…を準備した。
テントには寛いで座れるようにマットを敷き、長椅子を置いた。
ソフィアが離宮に着くと、俺は人払いをして、2人きりになる様にした。
俺はソフィアと腕を組んで離宮の中を歩いた。そして、青空の下、2人でほんの少しではあったが走った。
ソフィアは少し息を荒くしながら、わたくし、初めて走りました!と嬉しそうに言った。俺は頬を薔薇色に染めるソフィアを心から愛おしいと思った。
テントが見えるところに着くと、ソフィアは眼を丸くした。
セオドラ様、これは…!
「ソフィアが食べたいと言っていたものをできる限り集めてきた。ほら、これがクリームパフ、シュークリームだ。」
ソフィアは眼を爛々と輝かせている。
「セオドラ様、わたくしのために…。ありがとうございます。とても、とてもうれしいです。」
長椅子に座り、俺はソフィアの様子を見ていた。
ソフィアは顔を輝かせて色々なものを皿に取っている。
「おいおい、無理して全部食べるなよ!一口づつだ。」
「セオドラ様。わたくしも17歳になりました!充分大人でございますので、食べられる分量ぐらいわかると思います。多分…ですけれど。」
と、ニコッと笑って俺の隣に腰掛け、クリームパフをナイフで切って、食べている。
「そうか…大人になったんだ。…だったら、これぐらいはいいだろうか…」
そう言って、俺はソフィアの顎を少し上に上げ唇を重ねた。クリームパフの味のする、甘い甘いキスだった。
するとソフィアはしばらく黙った後で、眼に涙を溜めて言った。
「…セオドラ様、ひどいです。」
「は、早すぎたか!すまなかった。」
「…いいえ…。わたくしの '幸せを感じるやりたい事' に、いつの日にか書こうと思っていた事が…書く前に叶ってしまいました…。」
俺は微笑みながらソフィアの肩を抱き、頬にキスした。
少し疲れた様子のソフィアを長椅子に寝かせて、寒くないようにブランケットを掛け、膝枕をした。少し寝るように、という俺の言葉に頷いたソフィアは、しばらくすると静かな寝息をたてた。
白銀の髪を三つ編みで一つに纏めて、瞳の色と同じすみれ色の小さなリボンをつけているソフィアは可憐な少女の様であり、しっかりとした自分の意思を持つ大人の女性のようでもあった。
その寝顔は俺を信じて安心し、穏やかな幸せに満ちていた。
目覚めたソフィアに俺は聞いた。初めて会った時、俺に幻滅しなかったのか、と。
するとソフィアはこう答えた。
「あの時、わたくしは幻滅などしませんでした。ただ、セオドラ様がとても悲しい方に見えました。辛い事があったのだな、それで自暴自棄になっているのだなと。なら、わたくしと楽しい事をたくさん見つければいい、そう思ったのです。
辛く悲しい思い出は忘れようと思っても、忘れられません。忘れようとすればするほど思い出し、辛くなるのです。
わたくしが子供の頃がそうでしたから…。辛い事が多いなら、楽しい事で頭を一杯にしよう。そうしたら、辛く悲しい事は頭の中でどんどん小さくなる。わたくしはそう思って楽しい事をたくさん考え、今まで過ごしてきました。
セオドラ様。ゾーイ様の事、無理に忘れようとなさらないでください。ゾーイ様との楽しい思い出を大事になさってください。ゾーイ様と過ごした時間はセオドラ様の宝物のはずです。
そして、わたくしと一緒に楽しい事をたくさん、たくさん見つけてください。ゾーイ様との事より、わたくしとする楽しい事で頭がいっぱいになるように…。」
しばらくして、あ!とソフィアは言った。
「わ、わ、わたくし、何と言う事をセオドラ様に言ってしまったのでしょう。ど、どうぞ、お許しください。今の言葉はどうぞ忘れてくださいませ。子供の言った、たわいもない戯言でございます。」
「…あれっ?ソフィアってさ、17歳で充分大人…なんだよね?
…だから…許さないよ。」
そう言うと俺はソフィアを抱きしめた。
ーもう、これ以上は待てない。
「結婚しよう。俺と結婚して欲しい。2人で '幸せを感じるやりたい事' をたくさん叶えよう。」
わたくしで、よろしいのでしょうか?とソフィアは小さな声で言った。
「わたくしは…こんな体です。セオドラ様の子がなせるか、わかりません…。わたくしは、セオドラ様のそばにいるだけで幸せなのです。結婚しなくても。」
「いや、お前がいいんだ。子供なんて、できなくったっていいんだよ。ソフィア、お前とこれからの人生を共に歩いていきたい。幸せにする。俺の事も幸せにしてくれ。」
ソフィアは体を震わせて、俺にしがみついて
「セオドラ様…ありがとうございます。もし、許されるなら、セオドラ様の…妻に…なって、ずっとおそばにいたいです。」
と、つぶやいた。
それからすぐに俺とソフィアの婚約が発表された。国中が喜びに溢れた。
2人の '幸せを感じるやりたい事' には二つの事が書き加えられた。
結婚する事
いつまでも一緒にいる事
そして、今日。
俺はソフィアと結婚する。
辛く悲しい思い出に苦しむより、楽しい事を増やしていく、そう心に決めた。
純白のドレスを着て、白いベールを被った17歳のソフィアは美しかった。瞳の色と同じすみれ色の花をあしらったブーケを手に、白銀の髪を肩に垂らして薄く化粧をしていた。
俺の王太子の正装姿を見て、ソフィアは頬を薄く染めて小さな声で俺に言った。
「セオドラ様。今日のお姿、とても素敵です。」
俺もソフィアに言った。
「綺麗だよ、ソフィア。」
城のバルコニーに2人並んで立つと、皆の歓声が上がった。ソフィアの唇に自分の唇を重ね、セオドラは言った。
2人で幸せになろう。
空に輝く赤い月と青い月。俺たちの幸せを見ていて欲しい。そして、月の姫君、俺たちを祝福して欲しい。
これから俺は、振り返らずにまっすぐ前を見て進んでいく。
完
次回からは第三章が始まります。毎週、月、水、金の10:00に更新いたします。




