来なかった今日という日 1
第二章 〜ゾーイと3人の男〜 の中に出てきた、フランクの書いた物語です。人物設定は少し変わっています。
ーゾーイとアレックスの幸せな暮らしー
空がうっすらと明るくなってきた。カーテンの隙間から赤い月と青い月が見える。
ゾーイはゆっくり起き上がり、隣で眠るアレックスの顔を見た。全然変わらない優しい顔。キスしたい衝動を抑えて、起こさない様にそっとベッドから降りた。
身だしなみを整えてから、朝食の準備を始める。今朝は卵とベーコンを焼くつもりだ。皆が起きてから焼かないと冷めてしまうから準備だけして、ライ麦パンを厚めに切って、チーズとジャムも忘れずにテーブルに出す。昨日、皆で摘んだベリーはアレックスの好物だから、大きいボールにいっぱい入れた。
お弁当はソーセージにザウアークラウト、パンとすももを準備した。ザウアークラウトは小さな瓶に入れるとお弁当に持っていけるよと、村の商店の女将さん、バーバラが教えてくれた。
最初の頃は卵も上手く割れずに、殻だらけのスクランブルエッグを作っていたけど、少しずつ上手くなった。頑張って早く起き食事を作ったら、食べる時には冷めてしまい、悲しくなった時が何回もあった。でも、今はもう少しちゃんと作れる様になってきたと思う。
コーヒーの豆をゴリゴリと挽き、アレックスが起きてきた時に美味しくコーヒーが飲める様にした。お湯もチンチンと音を立てるほど熱くなった。
そっと寝室を覗くと、アレックスはまだ眠っている。アレックス起きて…と声を掛けても起きないので、ベッドのそばに行って声をかけてみる。
「ねぇ、アレックス…」
優しい手がすっと伸びて、いつの間にかゾーイはベッドの中で抱きしめられている。
「体が冷たいな。寒いんじゃないか?」
温まるまで抱いててやる、とアレックスは耳元で囁く。ムニムニと体を動かしてピタリと体をくっつけると、アレックスの暖かさがじんわりと伝わってきて、幸せな気分になる。あったかい…とゾーイは呟いた。
「もっと暖かくしてやろうか?」
アレックスがそう言って、微笑みながらゾーイの顎を少し持ち上げてキスをした。ゾーイはその唇を離したくなくて、アレックスの首に抱きついた。
トントントンとドアを叩く音がしてドアが開き、小さな顔が2つ、ドアの隙間から顔を覗かせる。
「おとうさま、おはようございます。」
「あれっ?おかあさまが、おとうさまにつかまってるよ!」
「トーマス、ジョセフ。おはよう。お前達のお母様は俺が捕まえた。返して欲しかったら、顔を洗ってくるんだ!」
わ〜っと言って双子の2人は駆け出していく。
「俺たちも起きるとしよう!」
そう言ってアレックスはゾーイの額にキスをする。寝室のカーテンを開けると、そこには昼でも輝く赤い月と青い月。2人の今日を見つめている。
朝食の後、ゾーイは洗濯物を洗って干す。食器はアレックスと双子の兄弟が洗って片付けてくれる。その間も双子はおしゃべりを止めず賑やかだ。
時間が来て、子供達はお弁当を持ち学校へと向かって行った。行ってきまぁす、行ってきまぁすと振り返りながら手を振る2人にゾーイが、ほらほら、前を向いて歩かないと転ぶわよ、と注意する。
アレックスはゾーイの肩を抱きながら子供達を見送り、小さく手を振っている。
家の中に入ると、アレックスがゾーイに
「特別に、今日はもう一杯コーヒーを飲もう。俺が淹れるから、ゾーイは少し休むといい。」
と言って、ゴリゴリと豆を挽き始めた。
部屋中にいい香りが漂い、やがて湯気を立てたコーヒーがゾーイの前に運ばれた。
アレックスはゾーイの手を握りながら言った。
「今日は仕事を休んでそばにいようか?」
「大丈夫。私、少しは強くなったのよ。」
と、ゾーイはにっこりと笑う。
でも、いつも儚げなゾーイの表情は、更に儚く不安げに見える。アレックスはゾーイの手を握りしめた。
2人とも理由はわかっているが口には出さない。
2人でコーヒーをゆっくりと飲み終えると、アレックスが立ち上がって言った。
「では、行ってくる。今日は少し遅くなるが心配しなくても大丈夫だよ。なるべく早く帰るからね。」
ドアの前でゾーイがアレックスの袖を引いて聞く。
「…ねぇ、アレックス。…私の事好き?」
「あぁ、今までも、これからも、ずっと好きだよ」
アレックスはそう言って、ゾーイを抱きしめてキスをする。離れそうになるアレックスの唇をゾーイの唇が追いかけて、2人はなかなか離れられない。
アレックスがゾーイに唇を塞がれながら小さな声で囁く。キリがない、これで…最後…。深くそして優しいキスをする。
アレックスは最後にゾーイの頬を両手で包み込み、右手の親指で軽く下唇をなぞった。そして、自分の唇でゾーイの唇に軽く触れた。
離れて行くアレックスの後ろ姿をじっと見つめるゾーイの眼に、なぜか涙が溢れ出た。
ゾーイはセオドラ王太子と婚約していたが、アレックスと2人で赤い大陸スカーレットの都を離れてこの村にやって来た。暮らしにも少しづつ慣れ、今は穏やかな生活を送っている。
初めは、見るからに訳ありな若い2人、深窓の令嬢という感じの娘と偉丈夫で爽やかな青年、を遠巻きにしていた村人達も、2人に打ち解けて色々と手伝ってくれるようになっていった。と、いうよりも村の皆は見るに見兼ねて…という感じではあった。
この村に来た頃、16歳のゾーイは妊娠していて、何をどうすればよいのか、分からないし考えられない状態だった。いつも不安げな顔をしていて、アレックスのそばから離れようとしなかった。
村で商店を営むバーバラは掃除や洗濯の仕方、料理の基本的な事まで2人に丁寧に教えてくれた。お産に関してはバーバラに頼り切ってしまった。でもバーバラは嫌な顔をせず、ほら、あんたがしっかりするんだよ、とアレックスに色々と教え込んだ。
ゾーイはまだ体がしっかり大人になっていない事もあり、かなりの難産だった。お産が始まっても、なかなか赤子が生まれず、ゾーイの苦しみに耐える声が聞こえ続けた。珍しく狼狽えているアレックスに村人達が 'ほれほれ、熱いコーヒーでも飲んで落ち着け' と背中を叩いた。
赤子が無事に生まれた時、アレックスは声を上げて泣いた。生まれたのは体はとても小さいが元気な男の子で、しかも双子だった。村の皆も心から喜んでくれた。
お産でやつれ切ったゾーイの手を握りしめて、アレックスは何度もありがとうを繰り返した。
小さな小さな赤子達は大きな声で泣いて、ゾーイの乳を欲しがった。首がしっかりしてくる頃には、アレックスによく似た面差しになり、ゾーイも微笑む事が増えていた。
アレックスは老人も多く住むこの村の力仕事を一手に引き受けて、今では村人の信頼も厚い。
村の皆はゾーイとアレックスが何者なのか知らない。もしかしたら知っていて、知らないふりをしているのかもしれない。村の皆に支えられて、2人の今の暮らしがある。
2人はもうほとんど魔力を使わない。使うのはアレックスが街に行く時に姿を変えるだけだ。まだ素顔で街に行くのは危険だとアレックスは思っている。
綺麗な青空を見上げて、ゾーイは外に出掛ける準備をした。今日は少し野菜を買おう。双子にパンケーキを焼くと昨日約束したから、卵とミルクも追加を買ってきたい。そんな事を考えながら家を出た。
村の商店に着くとバーバラが、今夜は何を作るんだい?と聞くので
ーああ、そう言えば家には何もなかったかな
と狼狽えてしまった。
「ど、どうしましょう。私、何も考えてなくて…。」
「今日はめでたい日だ。鶏の丸焼きでもするかい?いい鶏がいるんだよ…」
と指差す先には、コッコッと鳴きながら歩く1羽の鶏。
この前バーバラが鶏の捌き方を見せてくれた時は、すぐに倒れてしまい、バーバラに心配をかけた。その時の事を思い出して、ゾーイは情けない顔をしてしまう。
バーバラは大笑いしながら、ゾーイに言う。
「冗談だよ。ゾーイさん、あんたにはまだ無理だよね。丸焼きの注文が幾つか入ってるからさ、これから何羽か焼くんだよ。後でお宅にも1つ届けてあげようか?。芋と野菜の焼いた物も一緒だから、今日は何も作らなくて大丈夫だよ。
それより、この前の話、引き受けてくれると嬉しいんだけど、どうだろうね。」
ゾーイはバーバラから、村の子供達に勉強を教えてもらえないか、という相談をされている。
村の子供達は学校には行っているが、勉強が進まない子も多いという。トーマスとジョセフには学校で理解できなかった事をゾーイやアレックスが家で教えている、と聞いて、村の子達にもぜひ、と言われているのだ。
「私、自信がなくて…。でも、私に出来るか、アレックスにも相談してみます。」
ゾーイは他の買い物も届けてもらえる様にバーバラに頼み、病院へ向かった。
バーバラが言っていた、今日はめでたい日…とは、セオドラ王太子の結婚式が今日行われる、という意味だ。国中が喜びに溢れて、新しい王太子妃殿下の誕生を心から祝っている。
ゾーイはアレックスと一緒にいる生活に満足していて、とてもとても幸せだ。
でも、今日は心が揺れ乱れている。セオドラの結婚と聞くと胸が苦しくなり、不安になる。アレックスにそばにいてほしい…。
しばらく窓辺に腰掛けて、昼でも輝く赤い月と青い月を眺めていると遠くから、おかあさまぁ〜、と声が聞こえた。
ーまぁ、どうしよう…。もう、こんな時間…。
トーマスとジョセフが息を切らせながら家の中に飛び込んでくる。ゾーイは2人の目線に合わせて体を屈め、頬にお帰りのキスをした。
2人が口々に今日の出来事を話してくれる。友達がカエルを見つけた事、学校の庭に綺麗な花が咲いた事、お弁当が美味しかった事…。
「あらあら、楽しい事がいっぱいだったのね。続きは手を洗って、パンケーキを食べながら聞かせてね。」
3人でパンケーキを焼くと、あたたかくて甘い香りが部屋中に広がった。双子は口いっぱいにパンケーキを頬張りながら、さっきの続きを聞いて、とばかりに話し出す。
ゾーイは嬉しそうな2人の顔を見て、自分は本当に幸せだと思う。今ここに、アレックスがいてくれたら…。そんな事をふと思い、やはり今日は心が弱くなっていると感じるのだった。
パンケーキを食べた後、3人で洗濯物を取り込んでいたら、シャツが一枚風に煽られて飛んでいってしまった。3人で後を追いかけて走った。シャツを捕まえようとして、トーマスが転んだ。ジョセフが大丈夫?とトーマスの顔を覗き込んでいる。
シャツはしっかりとトーマスの手に握られていて、トーマスは自慢げにそれをゾーイに見せた。
「2人ともありがとう。私1人では捕まえられなかったわ。」と言うと2人は、「おとうさまに、このことをはなしてあげよう」と、口々に言う。その顔がアレックスにそっくりで、可愛くて、ゾーイは涙ぐみながら2人を抱きしめた。
しばらくして、バーバラが鶏の丸焼きと野菜を届けてくれた。トーマスとジョセフが綺麗なお辞儀をして、バーバラおばさん、ごきげんようと挨拶をすると、バーバラが「はい、ご機嫌よう。丁寧な挨拶で、何か照れちまうよ。」と言いながら帰って行った。
夕方になった。
いつも日暮前には帰ってくるアレックスが今日はなかなか帰ってこない。遅くなるとは言っていたけれど…と、ゾーイは不安になる。窓から外を眺めていると、トーマスとジョセフが隣で一緒に外を見る。
「おとうさま、おそいね。」
「おとうさま、どうしたのかな。」
ゾーイは不安な自分の気持ちが2人にも伝わってしまったのかと、少し反省するが窓からは離れられず外を見続けた。
夜の帷が降りた頃、道の向こうに小さな影が見えた。その影はだんだんと大きくなった。
「あっ!おとうさまだ!」
「おとうさま〜!」
トーマスとジョセフが玄関から飛び出してアレックスにしがみつく。アレックスがニコニコしながら2人の頭を撫でている。
「遅くなってすまなかったな。」
今日はおみやげを買ってきたんだよと言いながら、2人を右腕と左腕に抱えて部屋の中に入ってくる。
2人を部屋に降ろすと、2人はわーっと言いながら走り回った。ゾーイはアレックスに駆け寄って胸に顔を埋めた。
「寂しかったのか?」
うなづくゾーイをアレックスは抱きしめ、大丈夫だ、夜はずっと一緒にいるからね、そう囁いて背中をさすり、キスをした。
それを見てトーマスとジョセフもアレックスにしがみつく。
「おいおい、そんなにくっついたら動けんぞ」
腹も減っただろう、待たせて悪かったな、というアレックスの一言で、空腹に気づいたジョセフのお腹がぐ〜っと鳴って、皆で笑い合った。
鶏の丸焼きに子供達は大喜びした。
今日は国中がお祝いする日だからって、バーバラさんが…。と、言うとアレックスが、そうだな…。とゾーイの手を握る。
「お祝いして差し上げよう。」
こくりと頷くゾーイの目にほんの少し涙が浮かんでいる。
「あ〜っ!おとうさまがおかあさまをなかせたぁ」
「あ〜っ!ほんとだ!おかあさまをいじめちゃだめだよ」
違うのよ、これは。そう言ってゾーイは涙をそっと拭いた。
食事の後にアレックスはトーマスとジョセフに、お土産だよと言って、おもちゃを渡した。2人は大喜びで遊び、その後3人でシャワーを浴びた。そして、ベッドの中でアレックスに本を読んでもらい、おもちゃを握りしめたまま眠りについた。
ゾーイも台所の片付けを終えて、シャワーを浴びた。濡れ髪を乾かして、三つ編みにして前に垂らすと、ちょっとだけ香水を付けた。前にアレックスが街で買ってきてくれた薔薇の花の香り。
居間に戻ると、アレックスがストーブに薪を焚べて部屋を温めてくれていた。
「冷えてきたからね。今朝、ゾーイの体が冷たかっただろ?部屋を暖めておこうと思って。」
アレックスは窓辺の長椅子に座って、隣をぽんぽんとしてここに座れと言う。ゾーイが座るとブランケットをゾーイの肩に掛けた。
やはり今日はそばに居てやればよかったな、とアレックスが言うとゾーイが首を振る。
「すまなかった。寂しい思いをさせてしまって。…だから、しばらくこうしていよう。」
アレックスは、ゾーイを抱き上げて2人が向き合うように膝の上に乗せ、ブランケットで包み込んだ。
子供みたいで恥ずかしい…とゾーイが言うと、2人きりなんだから構わないだろう?とアレックスはゾーイの耳元で囁く。
「素敵な香りがする…。俺のためにつけてくれたんだね。ゾーイ、ありがとう。」
ゾーイは頬を紅く染めて、アレックスの首に腕を回してしがみついた。しばらくゾーイを抱きしめていたアレックスはゾーイの耳元で囁いた。
「キスしていいか?」
頷くゾーイにアレックスがキスをして、2人の時間がゆっくりと流れていった。
アレックスの胸で息を弾ませているゾーイに、もう寂しくないだろう?とアレックスが聞くと、はにかみながらゾーイが頷き、もう少しこのままでいて欲しいの…と言った。
しばらくして、ゾーイはアレックスの胸に顔を埋めたまま、…あのね、聞いて欲しい事があるの…とバーバラから頼まれた事を話し始めた。
「俺はいいと思うよ。今まで村の皆さんには本当にお世話になってるし、恩返しのつもりでやったらどうだ?俺は賛成だよ。」
私にできるかしら、と不安げな顔をするゾーイに、大丈夫だよ、少しづつやれる事をすればいいんだからね、とアレックスは言う。
ゾーイはこくりと頷き、またアレックスにしがみつく。
「ゾーイ、顔を見せて。」
アレックスは少し乱れたゾーイの三つ編みを解き、指で髪を整えた。
「ゾーイ、綺麗だよ。」
そう言ってアレックスはゾーイの頬を撫でた。
「でも、そんなに俺にしがみついてばかりいたら、お前に土産も渡せないなぁ…。」
「…私にも?」
アレックスはにっこりと笑うと、ゾーイを椅子に座らせた。ちょっと待ってろ、と言ってワイングラスを棚から取り出し、こくこくとワインを注いだ。
「まずはセオドラ殿のご成婚をお祝いして差し上げよう。今の俺たちにはそれぐらいしかできないからね。」
グラスを軽く揚げて2人は一口、二口とワイン飲んだ。そして、しばらく何も言わずにグラスを見つめていたアレックスがゾーイの手を握りポツリと言った。
「実はなぁ、おまえに話す事があるんだ…」
ゾーイはそれだけでもう涙を溜めている。おいおい、まだ何も言ってないのに、泣くやつがあるか、と、アレックスは笑って、ゾーイの涙を唇で拭い、手を握りしめた。
「だって…。わたし…。」
アレックスはそんなゾーイを抱きしめながら言った。
「実は今日、街に出てお前の兄上に会って来た。先日、手紙が俺宛てに届いたんだ。今日は街が賑やかだから、返って人目につかないだろうって、場所と時間を指定された。
何故、俺達の居場所を知ってるのかって聞いたら、セオドラ殿から教えてもらったと言われたよ。あのお方は随分前から俺達の居場所をご存知だったらしい。
兄上は俺達にセオドラ殿からの伝言を預かっていると言われて、話してくださった。
ゾーイ、今それをお前に話して聞かせてもいいかい?」
ゾーイはしばらくの間俯いていたが、小さく頷いた。唇は真っ青になり、小刻みに肩が震えている。
そんなゾーイをまっすぐに見て、アレックスは話し始めた。
「セオドラ殿はこう言われたそうだ。
ゾーイを今でも愛している。この手で抱きしめる事ができたら、どんなに幸せだろうと思う。アレックスの事は殺しても足りないほど、今でも憎んでいる。
でも、自分も妻を娶る事にした。ゾーイ、アレックスそして自分のことをよくわかって、自分を信頼し愛してくれる女性だ。ゆっくりと2人の愛を育てて幸せになり、前を向いて進んでいこうと思っている。
自分が幸せになれば、今のゾーイを想う気持ち、アレックスを憎む気持ちも少しづつ変わっていく事だろう。ああ、そんな事もあったなと、たまに思い出して笑う様になりたいと思っている。
だから、お前達も自分自身を許して前に進み、幸せになって欲しい。
ゾーイ、アレックス。2人に月の姫君のご加護が在らん事を願っている。」
ゾーイは、両手で顔を覆い、震えながら泣いている。今にも椅子から崩れ落ちそうになっているゾーイをアレックスは抱きかかえてベッドに運び、2人並んで横たわった。
「ゾーイ、話の続きはちょっと後にして、今は2人でこうしていよう。」
アレックスはゾーイを抱きしめた。ゾーイはアレックスの腕の中でぽろぽろと涙を流して震えている。
しばらく何も話さず背中を摩り続けると、ゾーイが、もう大丈夫、と震えながらアレックスの眼を見る。
「お前の父上の体が弱っているらしい。今すぐ何か起きるという状態ではないが、お年を召されて気弱にもなっていると兄上が話しておられる。お前の名前を時々口にされてもいる。」
ゾーイが横にいるアレックスの胸に顔を埋めて、また泣いている。
「それで、一度でいいから父上に会って欲しいと兄上は仰った。今すぐ、ではない。お前の気持ちの整理がついてからでよいから、ってね。」
「俺はゾーイのしたい様にすればいいと思っている。俺はいつでもお前のそばにいて、お前の味方だよ。」
ゾーイはただただアレックスの胸に顔を埋めて泣き続けている。そのまま時間だけが流れていく。
「泣き止んだね? 最後にもう一つ。」
そう言って、アレックスはゾーイをベッドに座らせ、乱れた髪を整えた。そして、ゾーイの手を取り、片膝を床に付けた。
「今日お前の兄上にお目にかかって、俺の心もほんの少しだけ軽くなった。俺達のした事は許されない事だから、贖罪の気持ちは忘れずにいなければならない。多くの人を裏切って傷つけ、多くの人に迷惑をかけた。その事は忘れてはいけない。でも、俺達も少しづつ前を向いて進んでいってもいいのかな、と思えた。だから…」
そう言ってアレックスはポケットから小さな箱を取り出して、蓋を開けゾーイに差し出すと、ゾーイの眼を真っ直ぐに見つめて言った。
「結婚してほしい。」
「今まで言えなかった。子供もいるのにな。2人で、いや4人で今よりもっともっと幸せになろう。ゾーイ、お前を大事にする。一生をかけてお前を幸せにする。月の姫君に誓うよ。」
こくり、とゾーイは頷いた。
アレックスは箱から小さな指輪を取り出して、ゾーイの左手薬指にそっとはめた。
「…」
ゾーイは何も言えず、自分の左手薬指を見つめている。そして、またぽろぽろと涙をこぼした。
ちょっと照れくさい顔をしながら、アレックスはもうひとつの指輪を取り、ゾーイに渡した。
「アレックスの指にはめてもいいの?」
当たり前だろ、結婚指輪だよと、アレックスが左手を差し出す。アレックスの左手薬指に指輪をはめてゾーイが呟く。
「今でも幸せなのに、私、もっと幸せになってもいいの?」
アレックスはゾーイをゆっくりベッドに寝かせて、あぁ、もっと幸せになろう、と囁いた。
「あのね、アレックス…。」
アレックスの胸に顔をくっつけてゾーイが言う。私、もう1つお話しがあるの…。と、ゾーイが小さな声でアレックスの耳に囁く。
「…赤ちゃんができたの。」
アレックスがびっくりしてゾーイの顔を見る。
「本当か?」
ゾーイがこくりと頷いて
「今日、先生の診察を受けて…。多分そうだろうって、先生が…。」
アレックスはゾーイの体を優しく抱きしめて、嬉しいな、子供がもう1人増えるなんて、と言う。トーマスとジョセフもお兄さんになるんだな…。
「でも、なんでもっと早く言わなかったんだ?こんな嬉しい事なのに?」
「…」
「子供が増えたら、俺がゾーイを捨ててどこかに行くと思ったのか?」
「…」
「すまなかったな、ゾーイをそんな不安な気持ちにさせてしまって。俺はお前を置いて、どこかに行ったりしないよ。」
「もう大丈夫。私はアレックスだけのもので、アレックスは私だけのものだって、ちゃんと分かったから。」
そう言って、ゾーイは左手薬指の指輪を見つめる。アレックスがその指輪にキスをする。
ゾーイ、体を大事にしないとな。たくさん食べて、よく寝て…と言うアレックスに。私、子供じゃないわとゾーイが微笑む。
寝室の窓から赤い月と青い月が輝いているのが見える。
ゾーイは月の姫君に、これからも私達を見守り、導いてくださいと心の中でつぶやき、アレックスの腕の中で眠りについた。
完




