偽物逃避行
私は偽物だ。
王太子の婚約者として偽物だ。彼には愛する平民の女の子がいる。彼はその子には甘い笑顔を見せて、私を見ればひどく嫌そうな顔をする。
公爵家の令嬢として偽物だ。公爵である父には愛人がいて、その娘が誰より一番父に愛されている。父はその娘には甘い笑顔を見せて、私を見ればひどく嫌そうな顔をする。
一人の人間として偽物だ。自分自身なんてとっくに無くしてしまった。誰も私のことなんて理解してくれない。唯一の理解者以外には。
私は偽物だ。
誰もいない。何もない。私は偽物だ。
「レイチェル、なにやってんだ?」
「リチャード。別に何も」
彼はリチャード。私と同じ偽物。偽物の公爵令息。私の唯一の理解者。彼は、本当は平民だった。孤児だった自分を見捨てず、みんなで育ててくれた村の為に、公爵家の言いなりになってしまった悲しい人。
「リチャード」という私の幼馴染の公爵令息が亡くなった際、本来影武者として拾われた平民の彼が〝リチャード〟になった。これは彼と彼の両親、そして「リチャード」の幼馴染で唯一二人を見分けられた私しか知らない話。
「…また王太子殿下に虐められたのか?それともお前のところの腐れ親父?」
「両方よ。仕方ないわよ、私、偽物だもの」
「…。まあ、俺たち偽物同士なんだしさ、愚痴くらい聞くぜ」
ぽんぽんと。乱暴な手つきで私の頭を撫でるリチャードに、前々から思っていた…願っていたことを持ちかける。それがリチャードを苦しませるとわかっていて言うのだから、私は性根が腐っているのだろう。
「あらありがとう。…ねえ、私達、偽物同士じゃない?」
「おう」
「…私達が逃げても、誰も、困らないじゃない?」
「…いや、…うーん」
「…いえ、そうね、困る人はたくさんいるかもしれない。けれど、私達に関係ある?」
私達には私達の幸せがあっても許されるだろう。だって、私達は偽物同士ここまで頑張ってきたじゃない。
「…なにが言いたいんだ?」
「連れ去ってよ」
リチャードは大きな瞳を揺らして、今にも泣きそうな顔をした。私は見ないふりをした。
ー…
「なあ、知ってるか?王太子殿下の婚約者の公爵令嬢が、公爵令息と心中したってさ」
「あー…でも、死体は見つかってないんだろ?案外何処かに二人で身を隠してたりして」
「さすがに公爵家のお嬢様とお坊ちゃんが平民より酷い暮らしになんて耐えられるはずがないだろ」
「それもそうだ」
そうね。でもね、元の生活がどんなに豪華でも…そこに幸せがないのなら、いっそ貧しくても心が満ちる質素な生活の方が意外とマシなものよ。
「…ですって、リカルド」
「…未だに本名で呼ばれるの慣れないんだが」
「仕方ないじゃない、バレたら大変だもの」
私はレイ。リチャードは…本名のリカルド。魔法で他人からは全くの別人に見えるように細工をしているから、領外に出た今では安心して暮らせている。今は以前身につけた薬学の知識を活かして、薬師として二人でポーションを作り生活している。慎ましやかな暮らしだが、意外と私達には合っているらしい。なんとか生活していけている。お互い貯蓄だってできているのだ。すごいでしょ?
「レイ」
「ん?」
「これでお前は幸せか?」
「…そうね。少なくとも偽物レイチェルの人生は不幸だったわ。そして、レイの人生は始まったばかり。だから…リカルドが、幸せにしてよ」
「…おう」
私はレイ。誰でもない、ただのレイ。私は私として、本物だ。




