「山」「猫」
茹でるような暑さ。
煩いくらいに響く蝉の声。
軒先で響く涼やかな風鈴の音。
夏になると、いつも思い出す。
そう、あれは上京する前、田舎で過ごしていた少年時代の記憶だ。
――ミーンミンミン ジジッ
「こんな所で何してるんだ?」
「んー? 夏を感じてるんだよ」
「へー、変なの」
初めての会話は、こんな感じだった気がする。
夏休みに母の実家の祖母の家に帰ってきて、カブトムシを捕まえに山に入った所で出会った。
少女は切り株に座って目を瞑り、ただ耳を澄ませていた。
俺が見ているというのに、全く意に返さない猫のようだと思ったのを覚えている。
「なあ、カブトムシ捕まえにいこうぜ」
「うーん、じゃあ君がカブトムシね。私が捕まえるから」
「は? なんじゃそりゃ」
「10、9、8――」
「うわーーー!!」
来る日も来る日も、少女はそこにいた。
今思えばだが、彼女は「ヒト」ではなかったに違いない。
そんな日もいつかは終わりを迎える。
8月30日。
朝から帰る準備をしなければならなかったが、隙きを突いて俺は彼女に会いに行った。
その日も彼女は切り株の上で静かに座っていた。
俺が近づくと、初めて彼女の方から声をかけてきた。
「今日が最後だね」
「……うん。また来年も来るから、遊ぼうよ」
「それは、できない」
「なんで?」
「知りたいなら、ついてきて」
彼女に連れられて、俺は山を登った。
ずっと人の手が入っていない草木が生い茂った道をズンズンと登っていった。
登った先には、小さな社があった。
人に忘れられた、古びた社。
あちこちに綻びがあったが、陽の光が所々当たっていて、神秘的な雰囲気を感じたのを覚えている。
「この社はもう随分前にヒトに忘れられてしまった」
「そうなんだ……、かっこいいのにもったいないな」
「もったいない?」
「こんなに綺麗でかっけえ場所を、誰も知らないのはもったいないだろ?」
「ふふ、確かにそうだね。――それじゃあ君が覚えていてくれ」
「ん? 当たり前だろ! お前が初めて自分から連れてきてくれた場所だしな!」
「そっか、それなら安心だ」
「おう!」
そんな会話をしたのを、大人になった今でも鮮明に憶えている。
しかし来年きた時には、あの切り株には彼女の姿はなかった。
きっと彼女は最後に誰かに社を憶えていて欲しかったのだろう。
あの日俺が抜け出さなかったら、社を、本当の彼女を知ることはなかった。
今でも偶に、祖母の家に遊びにいったついでに山を散策している。
社は見つからないが、蝉の声が、木々のさざめきが当時のままそこに残っている。
彼女は今も何処かでこの音を聞いているのだろうか。