人生の終着に着いた②
その後は授業が始まり、落ち着かないまでも教室には強引に日常がやってきた。
いつも通りに鳴るチャイムと、それと同時に入って来る教科担任の教師は、まるで、スミレがいない非日常を排除する、日常の先兵のようにアヤノには思えた。
日常が侵食してくるたびに、教室は普段の姿を取り戻していく。
それでもアヤノは日常に戻れない。ショックが大きすぎて、何も手につかないまま午前中を過ごした。
昼休みになり、おもむろにスマホを取り出してみる。
アヤノが入れた着信の数と、送り続けているメッセージは百を軽く超えた。そのすべてに反応はない。
少し待っていても、いつものように机を寄せてくるスミレはいない。
手間をかけて作ってくれたお弁当もない。
嬉しそうに笑いかけてくれる笑顔もない。
アヤノは自分の手の中を見る。
昨日買ったコンビニのパンがある。
けど、それはパンじゃない。
ただの絶望だ。
アヤノが持っているのは、絶望だけだった。
立ち上がる。
アヤノの脚が勝手に動く。
廊下に出て階段を上る。
屋上への施錠された扉にたどり着いた。
深く考えもせずにドアを開ける。
しかし、当然鍵がかかっていて開かない。それでもアヤノは諦めない。何度も開けようとドアを掴む手に力を込める。
火事場の馬鹿力。無我の境地。何かは分からないし、何でもいいが、アヤノが力を込めると、おそらくはかなり劣化していたのであろう鍵が壊れてドアが開いた。
屋上に出て、渕に付いている落下防止のフェンスのもとまで歩く。そのままフェンスをまたぐアヤノの動きには何の躊躇もなかった。
「やめろ!」
フェンスに座る形になっていたアヤノに後ろから声がかけられた。
反射的に振り向くと、知らない男子生徒が血相を変えて立っている。
「何か用?」
「え? な、なにかって」
この状況にはあまりにも不釣り合いなアヤノの返答に、男子生徒は心底戸惑っているようだった。
「声をかけられたから」
「いや、その、飛び降りるのかと思って咄嗟に……」
「そのつもりだけど?」
「やっぱり⁉ ダメだ、考え直してくれ!」
アヤノがフェンスの上に立ち上がると、男子生徒は顔を青くして叫んだ。
「やめるんだ蓮実さん! 親が悲しむぞ!」
「私、親はいないんだ」
「え? あ、その、ごめ、じゃ、じゃあクラスのみんなが」
「友達もいないし、悲しむ人はいないと思う」
「そんなこと! 少なくとも俺は……」
尻すぼみな叫びの最後は、勢いよく吹いている風の音にかき消された。まるで都合の悪いことは聞かせないように、一瞬だけ強くなって、アヤノがバランスを崩す前には止まっていた。
「まぁ、誰が悲しんでくれても、スミレちゃんがいないなら何の意味もない」
「あ、そんな……」
アヤノは必死になって止めようとしている男子生徒の言葉など、心底どうでもよかった。話しかけられたから一応返事はしたが、これ以上は意味のない問答に付き合っている必要はない。アヤノにとってスミレが全てだ。そのスミレに捨てられた。いや、最初から友達とは思われていなかったのかもしれない。そう考えるだけで呼吸をするのも辛くなってくる。スミレに必要とされていない人生なんて、もう終わりにしたかった。
「待ってくれ! その桑野のことで話があるんだ!」
空に向かって踏み出した右足を、ゆっくりとフェンスの上に戻すと、後ろからホッと息をもらす音が聞こえた。
「よかった。蓮実さん、考え直してくれたんだね……え?」
「貴方が、スミレちゃんの、何を、知ってるって?」
アヤノが振り向いて見た男子生徒は、おぞましくも神々しい、バケモノか神様でも見てしまったように、顔を青白くして震えていた。