大事なものを優先した①
来た道を引き返し、スミレが囚われていた民家までアヤノがたどり着いた時、外から見ただけでは、特に変化に気が付くことはなかった。
正面に回り込み、ドアを開けたアヤノの視界に映り込んだのは、玄関前に入ってすぐ、床に付着した何人もの足跡だった。
急いで奥に駆け込んで声をかける。
「スミレちゃん!」
「は、蓮実さん⁉」
帰ってきた返事は、スミレのものではなかった。
暗闇の中でうずくまっていた、影がアヤノの声に反応して勢いよく上体をあげた。影はそのまま這うようにして近づいてくる。まるで大きな芋虫のようだ。芋虫はすぐに座敷牢の格子に阻まれて止まり、隙間から顔を必死に出そうとしている。
「蓮実さん! 俺だよ! 助けに来てくれたんだね!」
「加村君」
先ほどまでスミレが入っていた座敷牢の中に入っていたのは加村だった。
アヤノと同じく泥や汚れで様変わりした外見になっており、憔悴しきった表情も合わせて、別人のように見える。まるで今日一日で何十年分も年を取ってしまったかのような変わりようだった。
怪我をしていた両足は一応手当されたようで、止血されているのが見える。それでも、刃物で刺された傷はそう浅くはないだろう。這って動いているところを見るに、歩くことはおろか、満足に立ち上がることさえできないようだ。
座敷牢の中にいるのは加村だけのようで、見る限りスミレの姿はない。
「よかった、本当によかった。もうこのまま死ぬんだと諦めかけてたよ。助けに来てくれてありがとう」
アヤノを見て泣き始める加村。
自分がいなければ何も出来ないと罵った相手に、恥もなく泣いて見せることから、もう加村には意地やプライドといったものは欠片も残っていないのだろう。
すでに助けてもらえると思い込んでいるような加村に、アヤノは少しだけ心が痛んだ。
「俺、蓮実さんには酷いことをしてしまったよね。酷い怪我をさせた。訳の分からない状況におかれてイライラしちゃったからだけど、それでも許されないことだと思う。けど、そんな俺を蓮実さんは助けに来てくれた。本当にありがとう。俺、一生蓮実さんの傍にいて償うから、これからずっと蓮実さんのために生きるから」
血走った目を向けてくる加村。
勝手に一生傍にいる宣言をして、相手もそれを受け入れると思って疑わない、ある種狂信的なその男に、アヤノは恐怖こそ感じなかったが、少しの嫌悪を感じた。
「加村君。ここにスミレちゃんがいたでしょ? どこに行ったの?」
「……あぁ、桑野ね。いたよ。ここに捕まってた。けど、俺が入れられるのと同時に、奴らに連れて行かれてしまったんだ。奴ら本当に狂ってる。人の足を躊躇なく鎌で刺しやがったんだ。生贄とか言ってたし、残念だけど、もう手遅れだよ」
「スミレちゃんがどこに連れて行かれたかとか、流石に言ってなかったよね?」
「もちろん聞いてない。奴ら、あの店主以外はあまり喋らないし、桑野も抵抗することなく連れて行かれてたよ。もう生贄にされてしまったんだろうね。さぁ、何とかしてこの牢屋から出ないと! 蓮実さんはその辺に鍵がないか探してくれないかな。急がないといつ奴らが戻ってくるか分からないし、僕は歩けないからね、逃げる時、蓮実さんにおぶってもらう必要がある。流石にその状態で走れないと思うし、なるべく早く逃げ始めないと追いつかれるかも」
「加村君がここに入れられたのはどれくらい前、スミレちゃんが連れて行かれてどのくらい経つ?」
「……もう手遅れだって言ったろ」
不意に加村の声色が変化した。
どす黒い感情を隠しもしない、負の感情をそのまま吐き出しているような声だった。
「俺の話し聞いてんのか? あぁ? さっきからスミレちゃんスミレちゃんって、お前はそれしか言えないのかよ! いつも桑野のことばかり、今お前と話しをしてんのは俺だぞ! 俺を見ろよ! こんなに怪我して歩けもしない! 普通心配するだろ! 助けろよ!」
加村は格子に捕まった腕の力だけで、身体を上げて顔を近づけてくる。
怒りが爆発してしまったようで、これまでの喋り方も崩れ、内面の中のさらに奥から本音をさらけ出しているようだ。盛大に唾を飛ばしながら、アヤノを怒鳴りつける。
「だいたいよぉ! 俺がこんなことになってんのは誰のせいだよ! お前だろ! お前に付いてきたせいで俺はこんな酷い目に合ってんだぞ! 責任感じろよこの人でなし! 早く俺を出せよ。俺は何度も言ったよな、帰ろうって、それを無視して、人が心配してやってんのにさ、お前は……そうだ。そうだよ。お前、今後は俺に尽くせよ。俺はお前のせいでこんな大けがをしたんだ。この後一生、お前は俺に尽くさなきゃな。それくらいしないと償いになんないだろ」
何を考えているのかは分からないが、怒り狂っていた加村は瞬時に上機嫌になり、下卑た笑みを浮かべている。精神が安定していないようだ。
「分かったら早く俺をここから出せ、いやぁ楽しみだな。帰ったらどうしようか、一生俺の言いなりなんだから、奴隷がピッタリか。ハハッ、冗談だよ。流石に可哀そうだからな、せめてメイドにしてやるよ。これならいいだろ、うん。メイドはご主人様に尽くすものだからな、ピッタリだ。たっぷりご奉仕してもらわないとなぁ」
「それで、どのくらい前なのかな?」
「……あ?」
「だから、スミレちゃんが連れて行かれたのは、どのくらい前なのか聞いてるの」
淡々とした口調で何度も同じことを言うアヤノに、加村は信じられないものを見るような目を向けてきた。
「お、お前、俺の話し聞いてんのか?」
「聞いてないよ」
「いや、聞けよ。俺はお前のせいで怪我して、生命の危機に陥ってんだぞ! 責任感じろよ! 早く俺を助けて、一生奉仕しろよ!」
「スミレちゃんは、いつ連れて行かれたの?」
「なっ⁉ お前、頭おかしいんじゃないか」
「スミレちゃんのことを教えて」
「うるせぇよ! 口を開けば桑野のことばかり! 少しは俺のことも見ろよ!」
負の感情にまみれて、邪な空気をまとっているように見えた加村から、一瞬だけ、素の姿が見えたような気がした。加村が歪んだ想いの根源が、今の言葉にあったのかもしれない。
ただ、アヤノにとっては、どうでもいいことだった。
「教えてくれないならもう行くね」
「お、おい! 待てよ! 助けに来たんじゃないのかよ!」
「スミレちゃんをね。加村君が入ってるとは知らなかった」
「ふざけんなよ! 早く俺をここから出せよ! オレを巻き込んだ責任があんだろが!」
「私は別についてきて欲しいなんて言ってない」
「こ、この!」
「嫌なら一人で帰るように何度も言った。それでも残ったのは加村君の意思でしょ。自分自身の責任で、私は関係ない。私がこんな怪我をしてるのも加村君のせいじゃない、自分の責任。私は自分がどんな目にあってもスミレちゃんを探すって決めてた。自分で決めたことだもの。自分の行動の責任は自分にあるんだよ」
「お前」
「それでも少しは悪いと思ったよ。だから、加村君が逃げられるように一度は最善を尽くした。出来るなら、今も逃がしてあげたいとは思ってる。でもね、私には何よりも優先すべき大切なものがあって、それを助けるためには、もう時間がないの。だからね、私は加村君を見捨てるよ」
「な、何を言って……」
「恨まれても別に気にしない。いい感情も悪い感情でも、スミレちゃん以外から向けられるものは、私には興味ない。今、一人で歩けない加村君を連れていったら、きっと私の大切なものは守れない。私一人だけでも、どうにも出来ないかもしれないけどね。じゃぁもう行くね」
「い、嫌だ! 待って、待ってくれ!」
「私は多くを望まない。心に決めたこれだけっていう大切なもの、それだけを守れたら、それでいいの」
「ごめん、ごめんなさい、すいませんでした! 調子に乗ってました! 蓮実さんのせいじゃないです! 俺の自己責任です! 奴隷とかメイドなんて冗談です! だから、助けてください!」
「冗談でも、冗談じゃなくても、私の人生はスミレちゃんのためにある。ここに、私の大切なものはない」
「あ、ぁぁ、そんなぁ、いやだぁ」
格子の隙間から加村が手を伸ばしてくる。しかし、その手はアヤノには届かない。
駄々をこねる子供のように泣きじゃくる加村に背を向けて、アヤノは外に向けて歩き出す。
後ろからは聞こえる嗚咽が止むことはなかった。




