一章
アタシはどうも、行動的で積極的だと、思われているらしい。
龍泉囮という少女は、まだ七歳の小学生だ。彼女は純粋な憧憬の瞳をアタシへ向けて語る。
小学生の少女の発言に「語る」なんて表現は似つかわしくないかもしれないが、とにかく熱弁する。今からこうだと、将来はかなり情熱的な性格になりそうだ。
「ゼッんぜん、違うの! 皆はねホンッとうに付き合いが悪くて、臆病で奥手で消極的で行動力がなんもないの」
カナタお姉さんとはとことん違うわ、と少女は呆れと怒りが混じった口調で言う。
小学生の口から「付き合いが悪い」なんて言葉を聞くとは思いもしていなかった。子どもといえどなかなか世知辛いらしい。アタシはこの子に付き合い悪いと言われる側の子どもだったから、なんとも言えないが。
「不思議と評価してくれているみたいだけれど、アタシはそれほどポジティブな人間じゃないよ、囮」
「ポジティブってなんですか?」
アタシの言葉を聞いて、囮はすぐに聞き返した。
小学生は使わない言葉だったらしい。確かに、アタシもポジティブなんて言葉を使うようになったのはまだ最近のことのような気がする。このくらいの子どもと会話をするのはなかなかスリリングだ。こうやって不意に自分の知識を試されるのだから。
即座にポジティブの上手い説明は思いつかなかったけれど、アタシは年上のお姉さんとしての威厳を守るために、堂々とした態度で曖昧な回答をした。
「例えば、道端に落ちてるゴミを拾ってみたり、偶然目が合った赤ちゃんに微笑んだり、クラスメイトの前で正しいことをはっきりと言ったりすることだよ」
「つまり?」
「つまり、なんかいい感じってこと」
「なるほど」
少女は納得した様子だ。ごめんなさい回さん。あなたの娘にテキトウなことを教えました。と心の中で謝罪する。
囮は新しく覚えた言葉を自分の脳にインプットすると、「カナタお姉さんはポジティブだよ」と早速アウトプットする。ポジティブな子だ……使い方、これで正しいのだろうか。
それにしてもどうしてアタシをポジティブだと感じるのか。アタシはこの子の前で笑顔すら見せていないと思うけれど。
「どうしてそう思うの」
「私と遊んでくれるし」
「遊んでるっけ?」
「いつもしてるじゃん、組手とか」
「あんた、友達に組手申し込んでるわけ?」
「だって面白いもの」
囮はとても可愛らしく言った。
話の内容が一般的な七歳児らしければ、素直に可愛いと思うかもしれない。
これは、どう考えてもこの家の教育が悪い。この子はもしかして、この龍泉の家と同じ様に、どこの家も道場を持っていると思い込んでいるのではないだろうか。
友達と組手をしたがる小学生女子なんて、世の中にそうはいないだろう。
そりゃ誰だって付き合い悪くもなる。というか付き合いが悪いのではなく、突き合いが悪いの方だったらしい。
「他の遊びはしないの?」
「するよ、普通に鬼ごっことか」
普通という部分に、少しトゲを感じる発音で囮は言う。確かに普通だ。それなら一般的な七歳児の遊びとして適切だろうと、少し安心する。
「普通にババ抜きとか」
これも普通だ。
「でも普通なことしか皆してくれないの。超遠くに遊びに行って帰ってこないとか、牧場で牛と戦うとかしてくれないの」
「普通はしないよ」
超遠くに遊びに行って帰ってこないってなんだ。家出だろう、それは。
「でもカナタお姉さんはしてるじゃん」
そう言われて「そんなわけないだろう」と返したいところだが、なるほどと、納得する部分もあった。確かに家出はしている、という意味では、もちろんなく。
彼女から見たアタシの行動と、彼女の同級生の行動とでは、当然だけど、あらゆることが異なっているはずだ。言葉遣いも、行動も、生活スタイルも何もかも違う。囮から見れば十歳年の離れたアタシの行動を羨む気持ちも、理解できないことはない。ただ、彼女が言いたいのは、あるいは語りたいのは、それだけでもないのだと思う。
「囮、アタシはあんたとは違うよ。普通が嫌で、普通じゃないことをしているわけじゃない。少なくともそういうつもりではない」
この子が言うようにアタシは、少し変わったことを含めて、日常ではあまりしないようないろいろなことをしている。
例えば……森で熊を狩ったり。手当たり次第に何かをして時間を潰している。
囮にしてみれば、誰もがするとは言えないようなことを、それこそポジティブにアタシが次々と挑戦している様に見えているのかもしれない。
でもそれは決して積極性とは違うものだ。
「アタシはね、探し物をしているんだよ」
しかも、見つからなくてもいいと思いながら、探している。それを探していると言っていいのかは、甚だ疑問だ。
退屈しのぎというわけでもない。
生きるには目的があったほうがいい。漠然とそう思っただけ。
アタシは自分の心を感動させるものを探している。いつか見つかるなんて期待はしていないけれど。そして興味があるわけでもないけれど。ただただ、生きる上での最低限の目的意識みたいなものを働かせて、感動という感情がどんなのもなのか探している。
「自分が何をしたいのかアタシにはわからなくてね、自分のやりたいこと見つけるためにいろんなことをしているだけだよ」
「ふうん。好きなことをすればいいのに」
囮はアタシの言葉を聞いて不思議そうにそう言う。
好きなことをすればいい。
本当にその通りだと思う。
世の中の大人の内、一定の人数は「好きなことばかりじゃ生きていけない」なんてことを子どもに言ったりするのかもしれない。
けれどアタシには好きなことだけで生きていけるのか、行けないのか、そんなことを論じることさえできない。
「それがわからないんだよねえ」
とても美味しい料理を食べて、それを自分が好きなのか嫌いなのかわからない。
音楽を聴いても、絵を見ても、香水の香りを嗅いでも、それを好きなのか嫌いなのかわからない。
悩ましそうに「なんぎだね」と囮が言う。
なんぎと言うほど困ってはいない。ただわからない。それでアタシの気持ちは完結している。
「まあそうかもね」
「でもカナタお姉さんはポジティブなヒトだよ。いろんなことをするのはいいんだって、先生が言ってたもの」
「そりゃあ、ポジティブな先生だね」
板張りの道場の真ん中で、アタシと囮は逆立ちで腕立てをしながら、そんな話をしている。