幕間1
「病気なんだ」
ティーカップを持った女性は、ダイニングテーブルに腰を預けながら、カップから出たティーバッグの紐を摘んで揺らしている。
龍泉回という女性に対する印象は、初めて会ったときから変わらない。
まるで、科学的な現象の様なヒトだ。
言葉も行動も、説得力があると言うのとは少し違う。ただ、このヒトはそういうものなんだなと納得するしかない。
重力の存在理由については説明できないけれど、存在していることには納得しているのと似ている。いくら理屈を重ねようと、あるのだから仕方がない。
そんな感じだ。
回さんは紅茶の抽出に満足すると、摘んでいたティーバッグの紐を無造作に天井の方へ放り投げた。ティーバッグは天井に当たることなく放物線をなぞるように落下し、蓋の開いていたゴミ箱へ収まった。水滴の一滴すら垂れていないことに静かに驚くが、回さんは特別なことをした風でもない。はじめから全てそうなるように演出されたドラマのように、彼女の行動に対しては、そうなることに納得してしまう。
「カナタ、あなたの話をしているんだよ」
紅茶を入れる姿に見蕩れていると、回さんは改めて言った。病気なんだよ、と。
「あぁ、えっと、病気ですか」
「そう、病気なんだ。あなたは」
正直、彼女が何を見てそう言っているのかは、わからない。
「アタシ? 特に体調は悪くないけど」
「病気にもいろいろな種類があるからね。癌だって、末期と言われるまで気付かなかった、なんて話をよく聞くでしょう」
確かに、そんな話は何度も耳にしたことがある。
「それは……だけどじゃあ、なんていう病気だって言うの、回さん」
「名前はわからないわ。わたしは医者ではないから」
ダイニングテーブルに準備されていた小瓶を手に取り蓋をひねる。回さんは小瓶からひとつ、角砂糖を摘んで、ティーカップへ落とした。
「名前もわからないのに、病気だなんて言われても」
「名前なんて重要じゃないもの、名前がないから病気じゃなくなるなんてことはないわ。病気に名前がつくのは、医者がその病気を見つけた時だもの」
呆れた風でも、諭す風でも、まして熱弁という風でもなく話し、ティーカップに口をつける。
「ニュートンが木から落ちるりんごを見るより前から、きっと万有引力はこの世に存在していたでしょう」
「それは」
それはそうなのだろう。彼女の言っていることは何も間違っていないと思う。ごく当たり前のことだ。けれど、名前のない病気と診断されても、いまいち納得できない。
紅茶で暖められた吐息に続けて、筋ジストロフィーって知っているかしらと、彼女は問う。
「なんとなくは、少しずづ体が動かなくなっていくってことくらいは」
自分で言った言葉を反芻して訝しむ。どうしてこの会話でその名前が出てくるのか、どうしたって良くない想像が膨らむ話の流れだ。
病気だと宣言された直後に聞きたい病名ではない。
「そう。もちろんカナタが筋ジストロフィーだと言うわけではないわ。安心して」
安心して、と言われて、自分が訝しげな感情を表情に出していたことに気付く。
それと同時に、わざわざ安心するほど、取り乱しているわけでもないとも思う。
「ただ、少しだけあなたの病気は似ている」