9話 介護士は最後の魔法に目覚める
「実を言うと、貴方達二人の事はエレノア様より伺っていました」
ユミルは二人にハーブティーを振舞い、ビスケットを出した。
それを聞き、二人は驚いた。
「母様と面識があったのですか?」
「夢の中で、ですが。半月程前に、エレノア様が【交霊術】で私に交信されたのです。この里に娘と、護衛の男が来る。どうか保護してほしいと。それも一度ではなく二度三度、何度も繰り返し面談に来られました」
エレノアは魂だけの存在になりながら、懸命にラウラを守るための根回しをしていたようだ。
本当は、娘と話し、近くで支えてやりたかっただろう。しかし、エレノアは魂だけの存在となった事で、この世に留まるのに制限時間があった。
その間に出来る限りの事を、限界までやり通した。彼女は母として、見事にラウラを守り切ったのだ。
「母様、私達のためにそこまで……あの、母様は今、傍に……」
「今は、存在を感じませんね。幽体離脱は、魔法の使い方としては外法に当たります。もしかしたら、時間切れになった可能性も否めません。再会は強く期待しない方がよろしいかと」
ユミルははっきりと言い切った。
「言い方はきついかもしれませんが、隠しても意味がありません。非合理的です。いずれ分かる辛い事ならば、今しっかりと伝えた方がよろしいでしょう」
「……はい。お気遣い、ありがとうございます」
厳しいが、ユミルなりの優しさなのだろう。正直すぎて逆に不器用なのかな、ラウラはそう思った。
「さて、では次の話に向かいましょう。不要な話は無意味ですので」
ユミルはビスケットを一枚食べてから、両手を組んだ。
「この里は、我々亜人が大陸の愚かな戦火から身を守るための隠れ家です。本来ならば、得体の知れない人間を招く事はありません。しかし貴方達は、レジーを懇切丁寧に保護してくれました」
「見ていた、んですか?」
「ええ、ジゼンダイチ様。あの霧は私の魔法による物、中で起こった事は全て私に伝わるようになっています。話を戻しますが……よろしいでしょう。私としても、里の者を助けて頂いた恩人を無下には出来ません。この里の滞在は許可しましょう」
慈善とラウラは目を合わせ、胸を撫でおろした。
「ただし、滞在「を」です。定住に関しては、認めません」
(代理とは言え、私は里長……ここを守る責務があります。いかに土下座されてまで頼まれたとしても、相手を見極める必要がある……ラウルーア・レンハイムに、ジゼンダイチ。この二人が本当に信用に足る人間かどうか、この目で見定めなければなりません)
ちらと寝室を見やり、ユミルは厳しい条件を出してきた。
「したければ、貴方達がこの里の者達に「何が出来るのか」を示しなさい。この里は自給自足、各々が何らかの役割を持って生活しています。役立たずを匿ってやる程、我々は優しくはありません。明日から一週間の猶予を与えましょう、その間に貴方方の価値を私と、里の者達に示してください」
「……分かりました」
慈善は心して頷いた。
「空き家をお貸ししますので、今日はそちらでお休みください。長旅で疲れていては、思うような活動も出来ませんからね」
「あ、ありがとうございます、ユミル様」
「ユミルでよろしいですよ。もしくはゆっちゃん、ユーミン、ゆみるんでも可です」
ユミルは真顔で言い、慈善とラウラはきょとんとした。
無反応な二人に対し、ユミルはうっすら頬を染める。
「……なんですか、齢二百の婆がかわい子ぶるなと? そう言いたいのですか?」
「ち、違います! た、ただ急にフランクになりすぎてイメージが崩れたと言うか」
「は、はい! ちょっと似合わないかなと思ってしまっただけで……あ」
ラウラと慈善、痛恨の失言。ユミルの目がぴくりと動いた。
「……さっさと出て行きなさい、たった今、猛烈にむかついたので」
ユミルは青筋を立て、二人を家から叩き出した。
転がるように追いだされた二人は、ぱちくりと目を瞬いた後、
「……意外と、愉快な人なのでしょうか、ユミル様って……」
「あはは……悪い人でない事は、確かでしょうね……」
◇◇◇
日が変わり、翌朝。慈善とラウラはクロムの家へ向かっていた。
まだレジーにきちんと、助けてもらった礼をしていなかったのである。
「貸していただいたお家、とっても過ごしやすかったですね」
「ええ。必要な家具も揃っていたし、ドワーフの魔法で常に快適な室温を保っているようです。っと、ここか」
クロムの家は川沿いに造られており、裏手には鶏小屋が設置されていた。そこには、
「これこれ、突くんじゃないよ」
鶏の攻撃を跳ね返しながら、卵を回収するレジーが居た。
レジーを見たラウラは、微笑みながら鶏小屋へ歩み寄った。するとレジーは二人に気づき、
「おや、どちら様かな? 初めましてだねぇ」
「えっ?」
ラウラは面食らった。慈善は複雑な表情で、
(認知症の方は、記憶保持が困難になってしまうんです。私達が出会ったのは昨日の事ですが、もう忘れているようです)
(そう、なんですか……)
認知症は進行すると、家族の事すら忘れてしまう例もある。
これでは礼を言っても効果がないが、慈善はレジーと目線を合わせ、鶏に指を突かせた。
「元気な鶏ですね」
「だろう? 私がずっと大切に育てているんだよ。普段は放し飼いにしていて、夕方になるときちんとここへ戻ってくるのさ。賢くて可愛くて、大事な家族なんだ」
「母ちゃん、誰と話しているんだい?」
クロムが家から出てきた。彼は二人に気づき、手を上げた。
「やぁおはよう、護衛さんにレンハイムのお嬢さん。里長から仮住まいを貰ったんだって?」
「ええ。でも里の皆さんに役立てる力を見せろと言われてしまって……ジゼンさんと違って私は魔法が使えないから、どうすればいいのか」
「農業はやった事あるかい? この里は沢山の畑があるから、作業を手伝ってくれるだけでも助かるんだけど」
「農業……未経験ですが、なんとかなります?」
「んー、出来なくはないけど……やっぱ知識がないとなぁ」
クロムは困ったように頬を掻いた。
「でもさ、きっと何かあるよ。気を落とさずに頑張って。さっ、母ちゃんは家に入りなよ。朝ごはん出来てるよ」
「私は要らないよ」
レジーはぷいとそっぽを向いた。
「お前の作るご飯は固いんだ。いつも噛み切れなくて味もしなくて……もうたくさんだよ」
「でも母ちゃん、毎日ゆで卵しか食べないのはダメだよ。ちゃんと食事をとらなきゃ」
「いらないよ! 硬くてまずい物はもう嫌なんだよ!」
レジーは駄々をこねると、そそくさと家に走ってしまった。
「歯が弱って、食べ物を受け付けないようですね」
「そうなんだ……とくにストレスのせいなのか、この里に来てから余計に酷くなってね。今じゃ柔らかいゆで卵しか食べてくれないんだよ」
クロムは心配そうに俯き、ため息を吐いた。
(食事か。介護分野でも、重要視される部分だな)
生き物にとって食事は、なくてはならない物である。人生の根幹をなす楽しみを奪われたのだから、レジーの悲しみは推して知るべしである。
(確か好物は、レインボートラウトの焼き魚だったか。出来れば彼女の出身地に合わせた味付けにして提供してあげたいけど……介護記録があればな)
介護記録には要介護者の個人情報が詰まっている。それは住所や出身地だけでなく、個人的趣向や好物、日常生活の事細かな流れ等のプライベート情報まで含まれているのだ。
介護施設ではそれを元にレクリエーションや、食事の形式を決めている。慈善は両手を見やり、目を閉じた。
(歯が弱った人でも、美味しく楽しく食べられる技術があるんだ……もう少し、レジーさんの「情報があれば」……)
「あ、あれ? ジゼンさん、本が……」
ラウラに肩を叩かれ、慈善は目を開けた。
いつの間にか、手の中にA4サイズのバインダーが乗っている。慈善は驚き、ついバインダーを落としてしまった。
すると煙となって消えてしまう。クロムは目を瞬いた。
「それが、君の魔法なのかい?」
「い、いや。これは初めて見る……」
(確か、レジーさんの事を知りたいと念じたら……)
もう一度試すと、またバインダーが出てきた。間違いない、エレノアが言っていた三つの魔法、最後の一つだ。
相手の事が知りたい。そう強く念じる事がトリガーのようである。
バインダーには大きな手形が付いている。開いても中には何も挟まっていない。
「なんだろうな、これ。変な魔法」
クロムはなんともなしに手形に触れた。
すると手形が光り出し、バインダーの中に分厚い紙束が現れた。
慈善はすぐに中を検めた。そこには、クロムが歩んできたこれまでの人生が、事細かに記載されていた。
「な、なんで俺の事がこんなに? 気持ち悪いなこの魔法!」
クロムはビビり、後ずさった。慈善も驚き、バインダーを眺める。
(この魔法は、手形に触れた者の情報を抜き出す物、みたいだな……いやこれちょっと強力すぎやしないか!?)
プライバシーも何もあった物ではない。どんなに口が堅い相手でも、全ての情報が筒抜けになってしまうのだから。
「あの、絶対私の情報を抜き取らないでくださいね」
「それより早く俺の情報を消してくれ! 恐くて堪らないよ!」
二人が怯えまくるので、慈善はすぐに本を消した。
(これまたとんでもない魔法を手に入れちゃったな……でもこの魔法、介護をする上でとてつもなく便利だぞ)
それにうまく使えば、ユミルから出された宿題を即座に解決できるかもしれない。
(介護の力で、レジーさんを笑顔に……いや、里の人達を幸せに出来ると示せれば……!)
「見せてやる、介護福祉士の、本気のホスピタリティって奴を!」
介護に人生を見出した男の、燃える想いが爆発した瞬間である。