7話 介護士と悪役令嬢、亜人の里へ向かう。
「見つけた、川だ……!」
さわさわと言う清流の音を聞きつけた慈善は、ようやく見つけた水辺に安堵し、腰を下ろした。
ラウラも大きく息を吐きながらしゃがみ込み、痛む足をもみほぐす。ここまで山道を歩き詰めていたから、足がだるくなっていた。
「大丈夫ですか、ラウラさん」
「ええ……まだまだ、頑張ります!」
ラウラは笑顔で答えた。彼女は最近、笑顔をよく見せるようになっている。大分打ち解けてきたのだろうか。
帝都を脱出して、二週間が経つ。
二人は亜人の里があるという、三国の国境が重なる緩衝地帯を目指し、旅を続けていた。
脱出当初こそ、大勢の追手はあった。その度に慈善は【性質変化】と【心電図】を駆使して回避していた。
だが緩衝地帯に近づくにつれて追手の姿は少なくなり、一週間も経つと殆ど見られなくなっていた。
(道中、何度もエレノアさんの姿を見たな……)
帝国兵に追われている時、エレノアの影が幾度も彼らを助けた。
彼女は自身を囮に兵士の目を引き、追手の気を反らし、懸命に二人を脅威から守り続けたのだ。
そのおかげで二人は、帝国兵が深追いできなくなる緩衝地帯へ逃げ込んでいた。
緩衝地帯は、帝国でも手出しの出来ない場所である。
この場所を攻め込めば、二国の戦力を同時に相手する事になってしまう。帝国は絶大な戦力を持っているが、流石に一対二というリスクを取る理由はない。
たった二人の脱走者を追いかけていたら、数万もの敵兵が襲ってきた。
そんな事になったら元も子もない。リスクリターンを考慮すれば、二人の追走は断念せざるを得ないだろう。
(帝国側も、適当な人間を殺して「こいつらが脱走者」って言えば誤魔化せるし……ラウラがレンハイム家の人間だって気づかれる前に行動できたのも、大きいな)
ラウラの髪は伸びてセミロングになり、根本が銀、毛先が黒のメッシュになっている。雑に染めた髪だから、時間が経てばメッキがはがれてしまうのだ。
(あの髪を見られていたら、絶対怪しまれていたよ……脱出、急いでよかった)
もし彼女の正体がばれていたら、もっと過激な方法で追ってきただろう。追手の心配はとりあえず、なくなったと言っていい。
ただ、問題はここからだ。
亜人の里が緩衝地帯にある。エレノアはそう言っていたが、肝心の場所が分からない。
(山の中なのか、それとも洞窟なのか……いや、ここは異世界だ。魔法で結界を張っている可能性も否めない。もう少し詳しい状況を教わるべきだったな)
「どうかされたのですか?」
「いや、なんでもありませんよ。それより、飲み水と食料を確保しましょうか」
慈善は水を煮沸消毒し、【性質変化】でブロック状に固めてナップザックに詰め込んだ。
食料も、川の一部を同じように固めて壁を作り、流れを変えてゲル状にした場所へ魚が向かう罠を作っておけば、粘りの強い水に魚が捕まり確保できた。
「本当に便利な力だよ。ただ物を固めて柔らかくするだけなのに、応用の幅が格段に広い」
「母様に感謝しなければいけませんね。私は、魔法を引き継げませんでしたから……ですが、ジゼンさんも凄いです」
ラウラは慈善に尊敬の眼差しを送った。
「飲み水の確保だったり、食べられる植物の見分け方だったり……素晴らしい知識の数々です。どうしてそんなに頭がよろしいのですか?」
「異界でやっていた仕事のおかげ、ですかね」
慈善が働いていた施設に、アウトドアが趣味だった老人が居た。
その老人から慈善はサバイバルに関する話を伺い、更にはレクの一環で、その人主導での室内アウトドアを実施した事があるのだ。
食用植物に関しても、ガーデニングが趣味の老婆から幾度も教わった事で、自然と知識が身に着いた。幸いこの世界の植物は地球に近く、知識を流用できたのである。
介護施設には、数々の経験を積み上げてきた高齢者が居る。慈善は彼らから多くの知識を受け取り、異世界で活動する助けとしていた。
(ありがとう、皆……おかげで俺、助かっているよ)
「今は出来る限り、ここで休んでおきましょう。亜人の里に着くまでは、安心出来ませんからね」
「はい。休める時に休むのも仕事、ですよね」
「そう言う事です。さぁ、どうぞ」
焼いた川魚を渡すと、ラウラは一生懸命食べ始める。元貴族で舌も肥えているはずだが、彼女は我儘一つ言わず、粗末な食事を食べていた。
「これでも、領地ではおてんば娘と言われていましたから。よく子供達と一緒に川遊びをして、沢蟹とか川魚を食べてたんです」
「へえぇ……」
美しい外見に反して、ワイルドな悪役令嬢様だ。
「それに今は、その……ジゼンさんが傍にいてくれますから」
ラウラは頬を染め、もじもじと指を突き合わせた。慈善も照れて、後頭部を掻いた。
脱走時の告白後、二人は互いを意識し、微妙な距離と空気感になっていた。
時折慈善は、ラウラの体調を見るために【心電図】を使う。
この力を研究した結果、血圧や脈拍、体温と言ったバイタルチェックも可能だと分かった。
老人ホームでも入浴前にバイタルサインを確認するので、慈善は簡単な看護知識を持っている。亜人の里に着くまでは野営続きなので、ラウラの健康状態に変調がないか、毎日チェックしているのである。
その度に、彼女の心理状態も分かるのだが……慈善と居る間、彼女の心電図はずっと桃色、つまりは恋する乙女状態だったのだ。
ラウラは完全に、慈善に好意を抱いている。つまりは両想いなのであるが……なぜか友達以上恋人未満の状態でとどまっていた。
そんなもどかしくなった理由は、馬鹿真面目の慈善にあり。
(い、いやまぁね、嬉しいよ。そりゃ嬉しいよ! でもさでもさ……よくよく考えたらアラサーの男が十五歳の子供に恋するとか倫理的にどうなんだ!?)
慈善大地は二十八歳である。彼女との差は実に十三、現代日本で考えれば、倫理的に余裕でアウトだ。
奴隷だった時は緊張状況もあって気が回らなかった。しかし現在、状況が落ち着いてくると……自分がどれだけ危険な恋をしているのか、慈善は自覚せざるを得なかった。
(勿論責任はとる……じゃなくて、亜人の里に行った後仕事はどうする? そもそも亜人の里ってどんな仕事があるんだ? 異世界で俺の介護技能や知識って使えるのか!? だめだ、頭がこんがらがって爆発しそうになる!)
「ジゼンさん?」
「はひっ!? いえ決して如何わしい事を考えているわけではっ!」
慈善は裏返った声を出した。ラウラは驚いたようだが、すぐに微笑んだ。
「ふふっ……面白い人ですね、ジゼンさんって。いざって時は優しくて、すごくカッコいいのに、普段はおっちょこちょいと言うか。……ありがとうございます。私の緊張を解そうとしてくれたんですよね?」
「あ、はは……いやその、見苦しい所を見せてしまいまして……」
しかしラウラはよく笑うようになった。慈善はそう思った。
(リラックスしている証拠だな。ずっと帝都に閉じ込められていたら、きっと心が潰れていただろう……本当に、よかった)
人の笑顔やありがとうが、介護の仕事のやりがいである。
世間でよく言われる事だが、慈善が介護の仕事をする上で、一番大切にしている事だ。
(やっぱり、誰かの笑顔を見る時が一番幸せだ。……相手が好きになった人なら猶更だよ)
この子の笑顔は、絶対に守らなきゃ。慈善は改めて心に決めたのだった。
◇◇◇
更に歩く事、三日間。やっと二人は緩衝地帯に到着した。
そこは、標高千メートルを超える山が連なる山岳地帯である。三国から伸びた山脈が△の形を作っており、山々がぶつかり合う中心部は、エベレストのような霊峰が鋭く聳えていた。
木々生い茂る森には靄がかかっており、ひんやりした気候も相まって、神聖な空気が漂っている。鳥の鳴き声や風で揺れる葉っぱの音が心地よく、まるでおとぎ話の世界に入り込んだかのようだ。
「ここが、母様の仰っていた、緩衝地帯ですね」
「ええ。にしても、雄大な光景だな……」
慈善は山を見上げ、ほうと感嘆のため息を吐いている。ラウラも荘厳な景色を前に息を呑み、目を閉じた。
(……きっと私一人じゃ、ここまで来れなかった)
国を滅ぼした罪で国民から憎まれ、両親を失って、帝国に捕まって奴隷になり……ラウラは翼をもがれた上、籠に囚われるだけの小鳥だった。
だけど、慈善がその籠を壊し、ラウラを引っ張り出してくれた。
彼との旅は、決して楽な物ではない。だけど公爵家に居た頃よりもずっと、のびのびとしている実感があった。
(でも、頼ってばかりもだめ。私も、出来る事をやらなくちゃ)
勇気を貰えたラウラは、自分の殻を破ろうとしていた。少しでも慈善の力になろうと、亜人の里の手掛かりを探し始める。
「あっ、ジゼンさん、ジゼンさん!」
直後、ラウラの目にある影が映った。
慈善の袖を引き、影が見えた場所を指さす。
「今、人の影が見えました」
「なんですって?」
慈善は咄嗟にラウラを背に隠し、落ちていた枝を拾った。
【性質変化】で硬化させ、身構える。警戒しながらラウラの示す場所へにじり寄り、人影の正体を探った。
木々に隠れて見えづらいが、毛むくじゃらのシルエットだ。息をひそめて距離を詰めると、その正体は。
「……獣の、人?」
慈善が呟いた。
毛むくじゃらの影の正体は、犬である。だがただの犬ではなく、人のように二足歩行をし、衣服を綺麗に着用した犬であった。
犬種としては柴犬に似ている。くりんとした目に愛嬌のある顔つきをしていて、体毛は雪のように真っ白だ。丹念に毛づくろいをしているのか、綺麗な毛並みである。
「コボルト、です。ジゼンさん、コボルトです」
「コボルト? それって確か、首から上が犬で、下が人間の」
「はい、私達の世界で、亜人と呼ばれる人種です」
この世界では、エルフや獣人と言った人種をひっくるめて「亜人」と呼ぶ。
彼らと人間で大きく違う点は、外見や能力もそうなのだが、一番の相違点は、魔法が使えるか否か。
以前も話したが、魔法が使える人間は非常に稀だ。はっきりとした原因は分かっていないが、「亜人には人間よりも多くの遺伝子が入っており、それが魔法を持つ要因である」という説が濃厚とされている。魔法が使える人間は祖先に亜人の血が混じっているとされ、一種の先祖返りと考えられていた。
(それって、俺の体の中に亜人の遺伝子が混じったって事、なのかな。……遺伝子の譲渡ってさり気に凄くない?)
流石は異世界、なんでもありだ。
「でもジゼンさん、あのコボルト、様子がおかしいですよ?」
コボルトは落ち着かない様子だった。あちこちに視線を巡らせ、しきりに鼻を鳴らしている。少し歩いては首を傾げ、別の方へ行っては肩を落とす。随分と挙動不審だった。
慈善は目を細めた。コボルトの行動は、以前居た世界でよく見た仕草だったから。
「……すみません! ちょっとよろしいですか?」
コボルトに声をかけ、慈善は駆け寄った。
コボルトは驚いた様子で振り向くと、慈善にふらふらと近寄ってきた。
「私の家はどこかね?」
そして開口一番、そう話した。
「えっ、と、家、ですか?」
「そうだよ、私の家だよ。今私は家に帰っているんだよ」
しゃがれた高い声でコボルトは捲し立てる。どうやら女性のようだが、随分歳をとっているようだ。
「西へ行けば私の家があるはずなんだよ。でもどれだけ向かっても森ばかりでねぇ」
「えっと、そうなんですか?」
「そうなんだよ。私は嘘なんか言わないよ」
コボルトは随分自信を持っているが、彼女が向かおうとしているのは北である。
(なんでこの人は、北を西だと言ってるんだろう……?)
「私の家はどこかね?」
コボルトは急に同じ言葉を繰り返した。
「西へ行けば家があるはずなんだけど、私の家はどこだろうねぇ……」
「あ、あの、それはさっき……」
「ラウラさん、静かに。それ以上言うと怒らせてしまう」
慈善はラウラの言葉を止めた。
まるで記憶のスイッチがオンオフするかのような行動、同じ話を繰り返しては忘れてしまう。慈善がこれまで行ってきた仕事で、さんざん見てきた症状だ。
(この世界にも……それどころか亜人にも出てくる物なんだな)
「ジゼンさん、この人は、どうされたのですか?」
「別におかしくなったわけではありません。正直言いたくはありませんが、残念ながら彼女は、病気です」
慈善はコボルトのかかっている症状を言った。
「私の居た世界ではこの症状を……認知症と呼んでいます」