6話 介護士と悪役令嬢、帝国から亡命する。
亡命決行日の夜が来た。
この日のために、兵士の巡回ルートは把握済みである。
寝室の見回りが来るのを確認した後、慈善は早速ダミー人形を出し、ベッドに寝かせた後、【性質変化】を使って枷をペーストにして外した。
次に壁をガム状に柔らかくし、穴を開ける。抜けた後はしっかりと塞ぎ、硬化で固めておく。まともな灯りの無い中世だ、すぐにばれる事はないだろう。
(これ、便利だよな。慣れると物質に色んな性質を付けられる……)
エレノアから与えられた【性質変化】の魔法を、慈善は理解しつつあった。
右手の「軟化」は単に液状化させるだけでなく、ゼリー状や泥状等、具体的にどう柔らかくするかまで設定できる。
左手の「硬化」はゴムのような反発力のある、硬くとも弾性の強い物に変化させる事まで可能だ。
自分のイメージの強さに依存するものの、設定できる範囲はかなり広い。今後も慈善の発想次第では、更なる応用が考えられるだろう。
(よし、ラウラを見つけなくちゃ)
今度は新しい魔法、【心電図】を使う。これも便宜上名付けた物だ。「心を見たい」と念じる事で発動し、相手の頭の上に心電図が浮かび上がる魔法である。
【心電図】は文字通り、相手の心臓の動きを見れる。加えて色で心理状態まで把握できるため、派手さはないが利便性が高い物だ。
何より便利なのが、浮かび上がる心電図は壁を透過して見える事。どこに誰が、どのような心理状態で居るのかを把握できる。
分かりやすく言えば、ゲームでマーキングした敵の情報が、壁越しに見えているような物だ。
(それに、自分の知っている人間であれば、心電図に名前が出るんだよな。っと、あった)
ラウラの名前が入った心電図を見つけ、【性質変化】で穴を開ける。
「ラウラさん、準備は?」
「ええ、出来ています。巡回も先ほど終わりました」
枷を外すとラウラはダミー人形を置き、出てきた。慈善はすぐに穴を塞ぎ、収容所の塀へと急いだ。
【心電図】があるから、見張りの動きが手に取るように分かる。塀の先に居る者はおらず、今なら抜け出せそうだ。
「塀から出たら、用意していたマントを。多少なりとも、誤魔化せます」
「はい……!」
二人は脱出するなり、マントを羽織った。フードを目深に被って顔を隠すと、予定していたルートを、物陰に隠れながら走っていく。
帝都の夜は暗く、人の通りは全くない。
中世の世界には電気がない。光源となるのは暖炉の火の他、蝋燭やホヤ無しランプがせいぜい。薪や油、蝋燭は日用品だが貴重で、おいそれと消耗するわけにはいかないため、人々の活動は日没までが限界だ。
それに中世では日没後の仕事を禁止している。
居酒屋等夜に営業する店や夜勤の兵はともかく、「灯火が不完全で経費が高くつく」「火災の危険と不良品の製造を防ぐ」「親方による職人・従弟の酷使を防ぐ」と言った理由から、殆どの仕事場では日没後には家に帰してしまうのだ。
【心電図】を見ても、殆どの人は屋内に居る。巡回する兵にさえ気を付ければ、帝都を脱出するのは難しくない……はずだ。
(それでも、緊張する、口の中がぱさぱさだ……どうか、見つかりませんように)
「ま、待ってください……!」
焦って早く走りすぎたのだろう、ラウラが置いて行かれそうになる。慈善はすぐに彼女の手を取り、走る速さを少し落とした。
(焦っちゃダメだな、俺だけが脱出できればいいわけじゃない、この子も一緒に出なくちゃダメなんだ……落ち着け慈善大地。焦る必要は全くないんだから)
慈善は慎重に裏路地を進んでいき、着実に帝都の外壁へ向かっていく。
時に巡回の兵が近づく時もあったが、その度に物陰に隠れ、息をひそめてやり過ごす。ラウラも懸命についてきて、背後を気にしてくれていた。
(このままなら、逃げ出せる……)
「きゃっ!」
その時である。ラウラが足をもつらせ、転んでしまった。
「なんだ、今声が……」
「確認しに行くぞ」
ラウラの声に気づき、向かいに居る兵士が近づいてくる。殆ど物音がしないから、ちょっとした声でも響いてしまうのだ。
慈善はラウラを抱き寄せ、木箱の裏に隠れた。石畳を歩く音が、少しずつ迫ってきた。
(どうする、考えろ慈善……そうだ)
介護施設で使っていたマットレスが思い浮かぶ。利用者の体に負担がかからないよう、施設では低反発のマットレスが使われていたのだ。
(石畳を柔らかい物にすれば、足音を消せるんじゃないか?)
兵士が真横を通り過ぎた。慈善はタイミングを見て、石畳に【性質変化】を発動させた。
石畳に超低反発の性質を与え、その上を移動する。物音は全く立たず、兵士には気づかれていない。
(よし、大成功!)
急いで兵士から逃げ出し、距離を取った。兵士達は慈善達を見つける事なく首を傾げ、そのまま巡回へ戻っていった。
慈善は胸を撫でおろした。ラウラは申し訳なさそうに俯き、
「ごめんなさい、私のせいで……」
「問題ないですよ。この位ならどうって事ありません」
外壁まではあと少しだ。このまま見つからなければ、無事に帝都から脱出できる。
カン! カン! カン! カン!
今度は警鐘が鳴り出した。音は収容所から聞こえており、同時に兵士達の心電図が、一斉に赤く染まっていった。
(ダミー人形に気づいたのか!? もうそれだけの時間が経っていたのかよ!)
時計がないから、時間の感覚がなかった。月の動きからして、恐らく三時間は経っているだろうか。
兵士達の活動が活発になり、眠っていた人々も一斉に起き出してしまった。ラウラは恐怖し、慈善にしがみ付いた。
「ジゼンさん……!」
「……最悪の事態だ。でも、想定していなかったわけじゃない」
予備プランはある。すぐさま慈善はルート変更し、山間地帯に続く外壁へと移動した。
(送迎中に体調不良で欠席する人もいるんでね、緊急時の対応程度!)
「貴様ら、何者だ!」
兵士に見つかった! 慈善が顔を向けると、三人の兵士が抜剣して追いかけていた。
ラウラが竦み上がる。慈善は彼女を抱き寄せ、自身の経験から使える物がないか、必死に引き出しを開いた。
だけど思いつかない。焦りが募り、思考が鈍った時だった。
慈善とラウラの前に、エレノアの幻影が浮かび上がった。
「なっ、なんだ!?」
「魔法か!?」
エレノアの幻影が出たのは一瞬、しかし兵士の足を止めるには、充分な威力だ。
(母様……! もしかして、私達を守るために……!)
(ずっと、見守り続けたのか……魂だけになっても、娘を守るために)
エレノアの後押しで、慈善は冷静になった。そしてふと思い出す、介護職時代の経験。
(前にバランスボールのリハビリで、怪我をした人が居たな。だったら、石畳にバランスボール並の弾力を与えてやれば!)
慈善は咄嗟に左手を地面に当て、【性質変化】を発動した。
石畳に超高反発の性質が付与される。落ち着きを取り戻した兵士達が石畳を踏み込むなり、猛烈に反発し、体が思いきり跳ね上がる。勢い余って転倒し、頭を強かに打ち付けた。
(介護は常に事故と隣り合わせなのさ! それに、とろみをつけた水を零す事も多くてね)
更に右手で石畳を粘りの強い泥状に液化させ、より足場を悪くする。増援の兵士が駆け付けるも、泥状になった地面に足を取られ、思うように走れなかった。
(とろとろの水ってすんごい滑るんだよな。その地面で走れるわけないだろう)
兵士達がまごついている間に慈善はラウラを引っ張り、外壁へと急いだ。
「着いた!」
目的地に着くなり、壁を液状化して穴を開ける。
その先に広がっているのは……獣道だ。
非常に急角度の傾斜が出来ており、太い木々が道を阻んでいる。帝都東部には木材採取地が存在しており、慈善はここを緊急時の逃走経路に組み込んでいた。
「見つけたぞ! 脱走者だ!」
兵士達が到着し、慈善達を追い詰めた。慈善はすぐに採取地へ逃げ、坂道を登っていった。
「待て、貴様ら!」
「このまま逃げ果せると思うな! 必ず捕まえて、二度とこのようなふざけた事を起こさぬよう教育してくれる!」
「それに逃げた所でどこへ行く! 指名手配され、帝国その物を敵に回す事になる! そんな事をして、生き永らえると思っているのか!?」
「……喧しい!」
慈善は兵達に怒鳴りつけた。
「帝国を敵に回す? 望むところだ! その覚悟なんてとうに出来ている! 俺は介護士、人を助けるのが仕事だ! いわれなき罪で涙を流す女の子を、黙って見ていられるほど人間出来てはいないんだよ!」
感情が昂り、慈善はフードを外して叫んだ。
「惚れた女を守るためなら、この世界全てを敵に回したってかまわない! この命にかけてでも俺は! ラウラを絶対に守ってみせると決めたんだ! その邪魔をぉ! するな!」
全力で【性質変化】を使い、土を泥状化させて大規模な土砂崩れを引き起こした。
大量の泥と大木が帝都に流れ落ち、幾人もの兵が巻き込まれた。慈善はラウラ一人のために初めて、多くの人を傷つけてしまった。
それでも後悔はしない。守ると決意した人を救うため、なんでもすると心に決めたから。
「……あ、あの、ジゼンさん……?」
「急ぎましょう、すぐに追手が来てしまう」
慈善はラウラを抱き上げると、帝都から走り去っていった。
◇◇◇
どれだけ走っただろうか。
慈善は無我夢中で走り続けた。少しでも遠くに、ラウラを安全な場所に運ぶために。
疲れとかは、忘れていた。きっと気が昂って、エンドルフィンやアドレナリンか何かでも出ているのだろう。
追手が来る様子はない。大規模な土砂崩れに加えて真夜中だ。脱走者を追おうにも、体勢を立て直さなければならないはずだ。
「守る……絶対……! 俺が……彼女を……!」
「……ジゼンさん……」
ラウラは慈善の腕をつまむと、顔を赤く染めた。
「さっき、その……覚えていますか?」
「えっ、何を?」
「……惚れた女を守るためなら、って……」
「……あっ!」
啖呵を切った時を思い出し、慈善の顔が爆発した。
同時に、全身に猛烈な疲労感が襲ってきた。集中力が切れた事で、脳内麻薬が止まってしまったのだ。
ラウラを下ろしてから、慈善は倒れ込んだ。体が痙攣する程疲れている。
エレノアが言っていたが、魔法は使う程体力を消耗してしまう。
【性質変化】と【心電図】をずっと使い続けていたのだ。その負担は相当な物。脳内麻薬が止まってしまえば、反動が一斉に襲い掛かってくるのは当然であろう。
(まずい、指一本も動かない……夜勤明けでもこんな疲れた事、なかったのに……)
「……さっきの言葉、とても嬉しかったです」
ラウラは慈善に、膝枕をしてあげた。
柔らかく、温かい彼女の膝が、心地よい。それに、甘い匂いも鼻を擽った。
ラウラは慈善の頬を撫で、ぽろぽろと涙をこぼした。春の雨のような、暖かな雫が、幾つも顔に落ちていく。
「今度は、私がジゼンさんを守ります。だから今は……ゆっくり休んでいてください……」
(やっと、分かった……この人が、どうして私を守ってくれるのか……)
慈善は異世界から来た、自分とは何のかかわりもない男だ。
だけど、自分を守るために、迷う事無く帝国を敵に回す事を選んでくれた。
己の身を挺してでも、自分を守り続けてくれた。
それに、こんな自分を、「好き」だと言ってくれた。
「私、絶対生き延びます……ジゼンさんと一緒に……母様の、想いに応えるためにも……!」
ラウラは何度も、慈善にそう言った。
彼女の心に希望の灯がともったのを見た慈善は、安心したかのように眠りについた。
これにて序章「帝国脱出編」は終わりです。
次からは「亜人の里編」に入ります。