4話 介護士は三つの魔法を貰う。
エレノア・レンハイムは、【交霊術】の魔法が使える女性である。
【交霊術】は魂を操る魔法だ。この魔法は黄泉から死者の魂を呼び寄せる以外にも、他者の魂を見たり、自身の魂をコントロールする事が出来るのだという。
彼女はその【交霊術】で、夫、アルノールを守っていたそうだ。
エレノアは魂を見る事で、相手の嘘や隠し事、そして変装を見破る事が出来る。アルノールはレンハイム家の当主、暗殺者に狙われたり、はたまた間者による情報操作を受ける危険があった。
だからこそエレノアは、アルノールの周辺に近づく者を、徹底的にマークしていたのだ。
「ですが、間者が一枚上手でした。まさか魂ごと成り代わる【変装】の魔法を使える者がいたなんて……」
それに、相手が嘘や隠し事と思っていなかったりすると、いかに魂を見ても見破れないそうだ。
自身の魔法の隙を突かれ、エレノアは間者の侵入を許してしまった。その結果が、公国滅亡という悲惨なエンディングというわけだ。
「……そうですか。そんな、経緯が」
エレノアから話を聞き、慈善は沈痛な面持ちになった。
魔法が使えると言っても、万能というわけではない、というわけだ。
「ラウラを逃がすために、私は囮となって追手を引き付けました。その末に殺されてしまい……ですが、娘の行方がどうしても気がかりで。殺される直前、【交霊術】の幽体離脱を使用したのです」
幽体離脱は【交霊術】で使える技術の一つであり、文字通り魂を肉体から切り離す物だ。
この技術は死の直前にのみ使える技術。幽体離脱を使って魂を切り離しておけば、肉体が滅んだとしても魂だけの存在として現世に残る事が出来る。
エレノアはこの技術により現世に留まり、ラウラが無事に逃げ切れるか見守っていたのだ。
「ですが娘も捕まってしまい、今は奴隷の身。そこで私は交霊術を使い、異界からあの子を守ってくださる方を探す事にしたのです。交霊術を応用すれば、一人だけならば転移させる事が出来るので」
しかし異界へ魂を移すのはリスクを伴う。長時間異界へ移行させてしまうと、魂その物が消滅してしまうのだ。
エレノアが異界、つまり慈善の居る世界へ行けたのは、ほんの数分のみ。そこで最初に見かけた者を、大急ぎで連れてきてしまった。それが、
「私、というわけですか」
「はい。私は魂を見て、相手の本質を見る事が出来ます。貴方は、とても優しい魂の持ち主でした。きっと、ラウラの力になってくれるだろうと……」
エレノアは俯いた。
「承諾も得ず、勝手に転移をさせて申し訳ありません……ですが、あの子がラウルーアと気づかれるのは、時間の問題です。もし気づかれれば、連行された公国民の不満をぶつけるために、見せしめの処刑が行われてしまうでしょう……! だから、どうしても……心優しき方にラウラを、守ってほしかったのです……っ!」
エレノアは泣き崩れた。それほどラウラが心配だったのだろう。
自分を急いで転移させたのも、偏に娘を強く想う一心での事。慈善は責められなかった。
(それに……俺も守りたいって思ってしまったし。所詮はしがない介護士でしかないけれど……それでも、俺にだって出来る事はきっと、あるはずだ)
慈善は筋を通す。例え無理やり連れてこられたとしても、好きになった女性が居るのなら、全力で守り抜いてみせる。その気概を持った男だ。
「安心してください。御息女は必ず、私が守ります。無礼かもしれませんが、その、ラウラさんには個人的な感情が芽生えてしまいまして。自分自身も、助けたいと思っています」
「! ……ありがとうございます、その……」
「慈善です。慈善大地」
「ジゼン様、ですね。お名前も伺わず、大変失礼いたしました。言語能力と、あの力は、そのお詫びだと思ってください」
日本人なのに異世界で言葉が通じるのは、エレノアのお陰だったようだ。
それにあの力とは、【性質変化】の事だろう。慈善は自分の両手を見た。
「もしかして、私が魔法を使えるようになったのは、エレノアさんのおかげなのですか?」
「はい、私の持つ力を貴方に譲渡しました。ですがその時に魔力が変異してしまったようで、本来なら【交霊術】が使えるようになるはずが、全く別の力になってしまったのです」
「……そもそも、この世界における魔法ってなんなのですか? 私の世界には存在しなかった物なので、教えていただけると助かるのですが」
「勿論です」
エレノアは丁寧に、慈善に魔法について話し始めた。
慈善が送られた異世界における魔法とは、いわゆる身体能力の一つであり、必ずしも身に着く物ではない一種の才能だという。
主にエルフや獣人と言った亜人に見られる特徴で、人間には滅多な事では身に着かない。遺伝する事もほぼ無く、ラウラもエレノアの血を引くが、魔法を持っていない事からそれが伺える。
エレノアは元平民であるが、四大貴族の一角レンハイム家に嫁げたのも、その特異性によるものだそうだ。
「ですが、どうして力が変異したのでしょうか」
「恐らく、幽体離脱や異界への移動、そして力の譲渡と言った魂の根幹に関わった結果、突然変異をしたのでしょう。念のために、調べさせてもらってもよろしいですか?」
「ええ、自分の体に関わりますし、お願いします」
慈善が頷くなり、エレノアは彼と額を合わせた。美女の顔が視界一杯に映り、慈善はどぎまぎしてしまう。
「……これは、なんと」
「あの、何か問題が?」
「い、いえ! ……まず「力を譲渡する」という事自体が、イレギュラーな事なのです。加えてその、私の魔力とジゼン様の魂の相性が良かったようでして。あと二つ、新たな力が発現する可能性があるようなのです」
慈善は驚いた。思わぬ事態であるが、幾つか気になる事がある。
「魔法を使う上でのリスクは?」
「身体能力の一つなので、使えば体力を消耗します。「走ったら疲れる」程度の事なので、そこまで難しく考えなくても大丈夫です。ですが、複数の魔法を同時に使ってしまうと、その分消耗も激しくなります。運用の際はご注意を」
「今後発現するであろう魔法の、詳細情報はわかりますか?」
「それが……残念ながら」
エレノアは申し訳なさそうに俯いた。【性質変化】以外の魔法に関しては、自分自身で探っていかねばならないようだ。
(まぁ、それはおいおいでいいか。【性質変化】も使い始めたばっかりだし、まずはこの力に慣れていかないと)
「ですが、魔法の件は絶対気付かれないでください。魔法を使える者は大変希少です、もし気づかれれば貴方は、間違いなく前線に送られてしまうでしょう」
「ええ、分かっています。運用には細心の注意を払いましょう」
慈善はぐっと手を握り込む。するとエレノアは、手を握りしめた。
「ジゼン様、どうかラウラをよろしくお願いいたします。最後になりますが……貴方とラウラを、安全な場所へ導く手助けを、させていただきます」
「安全な、場所? でも今この大陸は、全域で戦争中では」
「いえ、一ヶ所だけあるのです。誰の目にも付かず、戦争から逃れる事の出来る、唯一無二の場所が。どうか、ラウラを連れてその場所へ向かってほしいのです」
エレノアは地図を出し、ある場所を示した。
そこは、帝国を含む三国の国境が重なる緩衝地帯。今慈善が居る帝都からは、一二〇キロほど離れた場所に位置していた。
「幽体離脱をしてから、安全な場所がないか、懸命に霊視をしました。その結果、この場所に亜人達の集う、隠れ里があるのが分かったのです」
「亜人達の、隠れ里?」
亜人は先述したように、魔法を使う事の出来る存在だ。
そのため帝国は亜人達の住む村々を襲い、強引な徴兵を行ったという。
しかし、その強引な徴兵を免れた亜人達は身を潜め、戦火から逃れているそうなのだ。
「それが、この緩衝地帯に」
「はい。流石の帝国も、この地帯には手が出せないのです。迂闊に手を広げれば、二国の戦力を同時に相手取る事になってしまいます。いかに帝国の戦力が圧倒的だとしても、それほどのリスクを負ってこの場所に攻め込む事はありません」
なるほど、と慈善は思った。いくつか問題はある物の、そこへ逃げ込めば確かに、ラウラを助けられる可能性はある。
(……ラウラはまだ、十五歳なんだぞ? 国を失って、その犯人扱いをされて、家族も皆失って……こんな絶望の中に閉じ込め続けるなんて、許されていいわけがない!)
慈善は拳を握り、決意を固めた。
するとエレノアの体が消えていく。どうやら、時間切れの様だ。
慈善は胸に手を当て、力強く宣言した。
「……約束します。私の持てる全ての力を使って、御息女を亜人の里へ連れていく事を」
「……娘をどうか、お願いいたします、ジゼン様」
その言葉を最後に、エレノアは消滅した。
◇◇◇
ラウラは夜明け前に目を覚ました。
帝国に連れてこられてから、熟睡できた事はない。いつも疲れと緊張から寝付くのは夜遅くで、数時間しか寝る事が出来なかった。
「起きたのか? 随分早いな」
見回りの兵士がラウラに気づき、声をかけた。ラウラは寝不足で痛む頭をさすり、
「……顔を洗いたいので、外に出てもよろしいでしょうか」
「む……まぁ、いいだろう。十分やる、外の空気でも吸って気分転換するといい」
収容所勤務の兵士は、ここへ連行してきた兵士よりも多少は奴隷の事を気遣ってくれる。余程無茶な願いでなければ、ある程度の融通が利くのだ。
(少しでも、医療知識を持っている人間は貴重だものね……生かさず殺さず、労働意欲を奪わないよう指示されているのかもしれない)
かといって、自由になれるわけではない。顔を洗うにしても、兵士の監視が付きまとう。
ラウラは兵士の付き添いで井戸へと向かい、顔を洗った。
まだ暗い空を見上げ、一息つく。こんな、未来の見えない真っ暗な世界を、いつまでさまよえばいいのだろうか。
(……母様は、生きろと言っていた……でも、でも……! これ以上生きていても、どうしようもないじゃない……!)
自分がラウルーアだと気付かれるのは、時間の問題だ。そうなれば彼女は、地獄のような拷問を受け、凌辱されて女の尊厳を奪われ、見せしめの処刑をされるだろう。
(母様……生きろと言ってくれたけど、私は……頑張れる自信がありません……!)
もういっそ、自殺してしまおうか。そう思った時である。
「ラウラさん、早いですね」
慈善が、声をかけてきた。
「あ、ジゼンさん? 貴方も、眠れなかったのですか?」
「元々、短眠なもので。それに、夢見も良かったですし」
慈善も顔を洗うと、ため息を吐いた。
背後には、慈善とラウラを監視する兵が居る。彼らに聞かれないよう、小声で話した。
「……貴方の、お母様の夢を見ました。エレノア・レンハイム様の」
「! ほ、本当、ですか?」
ラウラは慈善から、エレノアの話を聞いた。
慈善がラウラを守るために、エレノアが異界から連れてきた男である事。自分達が安心して暮らせる、安住の地を見つけていた事。
母の事を聞く度に、ラウラは涙を零した。
母が最期まで、自分の事を想い続けていた。どれだけ嬉しい事だろうか。
この絶望的な状況で、大きな希望を残してくれていた。ラウラにとって、何よりの救いだった。
「ラウラさん、私は絶対に、貴方を亜人の里へ連れていきます」
慈善はラウラの手を握りしめた。
「そのための力を、貴方のお母様から受け取りました。その力を使って、何があろうとも貴方を救い出します。だから……一緒に、亜人の里へ向かいましょう」
真っ直ぐな言葉だ。奇をてらう事もなく、純粋に自分を助けようとしてくれている。
ラウラは一瞬逡巡した。確かに彼には、信用できるだけの実績がある。だが、自分を助けるという事は。
「この帝国全てを、敵に回す事になります。そんな重荷を、背負わせるわけには……」
「重荷なんて思いません。私は一度約束した事は、必ず守る男です。貴方のお母様と約束したのなら、私はそちらを取る。それに私は異界の人間、公国のしがらみなんて知った事ではありません。ここに居たって、奴隷として飼い殺しにされるだけですしね」
「……どうしてそうまで、私のために戦って頂けるのですか?」
尋ねるなり、慈善は頬を掻いた。ラウラはじっと見つめ、答えを待つ。
「……男としての矜持です。言われなき罪に責められる女性を、黙って見ていられない不器用な男。今はそうとだけ、記憶してください」
慈善が出した答えは、戸惑いこそあれど迷いはない。ラウラは貴族の娘、これまで幾人もの人間を見てきた。レンハイム家に取り入ろうとする者、はたまた蹴落とそうとする者。そうした、裏切りそうな人間は沢山居た。
彼はそのどれにも該当しない。心に固い芯を持つ人だ。
(母様は魂を見て、人の本質を見る事が出来る。母様が選び、呼んでくれた人……なら)
「……ええ、共に、行きます。母様は私に、生きろと言いました。それはただ、生きていればいいというわけではありません。私の心も生きてこそ、初めて母様の悲願は果たされるのです。だから……お願いします。私を、亜人の里へと連れて行ってください」
「当然!」
慈善は力強く頷いた。