26話 悪役令嬢は魔物と友達になる。
ひんやりとした空気が頬を撫で、ラウラは目を覚ました。
まだ夜明け前だ。薄暗い中目を凝らすと、その魔物は居た。
「ガーゼット……」
辛うじて慈善のベッドに収まり、小さな寝息を立てている。慈善はソファーに転がり、窮屈そうに腕を組んで眠っていた。
慈善に歩み寄り、顔を覗き込む。夢見が悪いのか、険しい顔をしていた。
テーブルの上には幾度も書き直したケアプランが束になっている。きっと夜通しガーゼットの介護計画を立てていたのだろう、溶けた蝋燭はまだ固まっていなかった。
(ジゼンさん、いつ眠ったんだろ……)
「彼が床に就いたのは、ついさっきだ」
「ひゃあっ!?」
部屋の隅から声をかけられ、ラウラは飛び上がった。
暗がりの中、リッカが話しかけてきたのだ。直立不動で話しかけられては、軽いホラーだ。
(は、剥製が話しかけてきたみたいで、すっごく怖かったぁぁぁ……!)
「随分びくびくしているが、何かあったのか?」
「い、いえ……なんでもないです……でもそうですか、さっき、寝たばかり……」
ガーゼット捕獲のために魔法を使っていたから、より疲労も重なっていただろう。
今日も訪問介護の仕事が入っている。碌に休んでいないのに、ガーゼットの世話をしながら、普段のスケジュールまでこなすなんて。
いくらなんでも、過密すぎる。なんでそうまで、他人のために身を削れるのか。
(ユミル様も言っていた、ジゼンさんの異常性。異界で過ごした過去が原因なのはわかっているんだけど……)
「う、む……?」
ガーゼットが動き出した。ラウラは反射的に身構え、リッカはダガーを抜いて二人を背に隠した。
むくりと、異形の魔物が体を起こす。ガーゼットは寝ぼけ眼で周囲を見渡し、すぐにはっと息を呑んだ。
(……ここは、あの人間の家……! 夢では、なかったのか)
「動くな。動けば、喉笛を切る」
リッカのダガーが突きつけられた。ガーゼットはびっくりするも、反撃出来ない。
(なぜだ、体が重い……! 思うように、動けん……!)
テロメア短縮の影響により、たった数時間寝ただけで筋力が大きく削られている。戦場を蹂躙した時のような馬鹿力はもう出せないはずだ。
(それに、うっ、ぐっ!?)
突然の腹痛を感じ、ガーゼットは腹を抑えて呻き出した。
彼女の異変を見て、ラウラは急いで駆け寄る。顔は青くなり、冷汗が噴き出ていた。
「ど、どうしたのガーゼット?」
「腹が、腹がっ……! い、痛いっ……!? な、んで急に……!」
(ど、毒か……あの食べ物の中に、毒が……っ! く、苦しい、辛い! だ、れか……助けて、くれ……!)
「こ、こんな朝からじゃキュリーさんも……ジゼンさん! 起きてジゼンさん!」
ラウラは取り乱し、慈善を揺り起こした。
肩に触れるなり飛び起きて、慈善はソファーから転がり落ちる。どうにか目を覚ますと、苦しんでいるガーゼットに気づいた。
「ガーゼットの体調がおかしくなったのかい?」
「そ、そうなんです! 急にお腹が痛くなったって! 昨日のご飯が体に合わなかったのかな!?」
「落ち着いてラウラ。そっか、腹痛か。リッカ、一緒にお願い。ラウラは予備のベッドシーツと、濡れタオルを持ってきて」
慈善はリッカの手を借りてガーゼットを助け起こし、
「ラウラ、俺の居た世界では介護の仕事って、物凄く人気のない仕事なんだ。なぜか、わかるかい?」
「い、いえ……?」
「給料が安い、休みが取れない、何より汚い。この仕事で絶対避けられない介助をしなくちゃならないからなんだ」
◇◇◇
モンスターの里のトイレは外にある。所謂ぼっとん便所と言う奴で、週に三回ゾンビやグールと言ったアンデット達が回収してくれるのだが、それでも一日二日経つと結構な臭いが漂ってくる。衛生面でやや問題があるのが困り物だ。
そこにガーゼットを連れてきたのだが、扉が狭くて入れられない。仕方なくリッカに壁を壊してもらい、無理やり彼女をねじ込んだ。
「リッカ、シーツでカーテンを。プライベートな瞬間だから絶対見られないようにしてね。ラウラ、代わってあげて」
「は、はい! そ、それよりガーゼットは何かの病気なんですか?」
「いいや、生理現象だよ。食べたら当然、出す物があるよね?」
ラウラは青ざめた。つまりは、そう言う事だ。
介護は誰にでもできる仕事。そう思って転職した者が躓く、最初にして最大の難所だ。
画面の皆は出来るだろうか。見ず知らずの老人の、汚物処理を。
大抵の場合、この処理に心折れて辞めていく。この汚物処理が出来るようになるか否かが仕事を続ける分かれ目だ。
実は病院勤務中、ラウラは上手い事立ち回って汚物処理から逃げていた。年頃の、それも貴族令嬢。流石の彼女も抵抗が強かった。
「訪問介護だと生活補助がメインだから、今まで経験なかったでしょ。言っとくけど、これ介護士の日常業務。目指すのであれば否応でも慣れてもらうからね」
「う、ぐっ……!」
ラウラは腹をくくり、ガーゼットを便座に座らせた。
座った衝撃で力がゆるんだのだろう、爆発するような、聞くに堪えない音が聞こえてくる。同時に鼻をつく嫌な臭いも。
(こ、れは中々……きつい……! 鼻の奥が、腐敗していくみたいな……! でも、我慢、我慢……!)
ラウラは顔を顰めながらも、アンバランスな体を支え続ける。程なくして事が済んだ後、慈善は便器の中に目を凝らした。
(やっぱ見えないか。出来ればもうちょっと、形を見たかったな)
汚いかもしれないが、体から出た物は健康状態を見るバロメーターだ。
血がついていたり、色がおかしかったり、はたまた下痢をしていたり。体内から出てきたのだから、内臓の状態を見れる一番の情報源なのである。
もしタール状の物が出ていたら危険だ。何しろそれは、生物が死ぬ間際に出す物だから。
(出る瞬間は見ていたけど、有形だった。……多分ここから、一気に衰弱していくのかもしれない。今後も注意観察は怠らないようにしないとな)
「さて、もうちょっと我慢していてね」
濡れタオルで拭いてやり、ようやく汚物処理が終わった。
ラウラは額の汗を拭いた。生物が出す瞬間を初めて見たわけだが、かなり衝撃的だった。
(避けて通れない事、なのよね、これも……でも、嫌って感じはあまり、なかったかな)
帝国からの命を懸けた亡命をしたからだろう。汚物が体についても洗えばいい、命が奪われるわけではない。そんな割り切りが出来ていた。
「大丈夫かい、ラウラ」
「何回かやれば、慣れるかも……ガーゼット、どうしたの?」
ガーゼットはリッカに支えられ、ぐったりしている。心なしか、顔が赤いような。
「……なんなんだ、貴様らは。我に食事を与えたかと思えば、あのような変態行為を働くとは……!」
「えっ、変態行為……へ、変態……!?」
「あー……一刻を争ったせいで説明不足だったか……失敗したなこりゃ……」
ちなみに汚物処理は、かなりデリケートというか、プライベートに直結する処理だ。
「……そこに直れ!」
ビバシィ!
ちゃんと丁寧に声掛け及び対応をしないと、このような暴行を受けるのでご注意ください。
◇◇◇
「……痛いな」
赤くなった脇腹をさすり、リッカはぼやいた。
二人に代わり、ガーゼットの裏拳を受けてくれたのだ。
「ありがとうリッカ……でもどっちかというと悪いの俺達だから、甘んじて受けたのに」
「そうはいかない。約束を違えれば一族の誇りに傷が付く、お前達の盾になると言った以上、死んでも約束を果たしてみせよう」
律儀なケンタウロスである。ガーゼットは慈善のベッドで不貞寝していた。
(これから話す事を、ガーゼットに聞かせるわけにはいかないな)
丁度日も登り、里の者達が活動を始める時間帯だ。
「リッカ、彼女を背に乗せて、里を走って来てくれるかい? 案内も頼みたいんだけど」
「……本来ならば断わる所だが、他ならぬジゼンの頼みだ、良かろう。荷物を載せて走ると思えば大したことではない」
(それに、教えてもらったからな。ターミナルケアに関して)
「我を荷物扱いするな」
ガーゼットはリッカを睨んだ。だけど乗馬が出来る期待が、目に表れている。
「では、出発する。暴れるなよ、ガーゼット」
というわけで、ガーゼットはリッカに連れられ、里の観光へ向かって行った。これで家には、慈善とラウラだけ。
「……じゃあ、改めて説明しようか。ターミナルケアに関して」
ラウラは喉を鳴らした。死に際の介護、ターミナルケア。一体どのような物だろうか。
慈善からもらったケアプランを心して眺める。が、次第に眉がハの字に広がった。
美味しい物を食べたい。……出来るだけガーゼットが食べたい物を提供する。
遊んでみたい。……里の子供達に呼び掛けて、一緒に遊べるレクを考える。
優しくされたい。……彼女には、怒らない。
これら大見出しの下には、具体的な行動計画も書かれている。その他、どう生活するかの流れも書いてあるが、特に難しい事は書いていない。【記録帳】で得たガーゼットの希望を出来るだけ叶えるようにする、ただそれだけだ。
「あの、ターミナルケアって、こんな感じなんですか?」
「うん。言い方は悪いけど、死ぬ前に好きな事を思い切りしてもらうのが、ターミナルケアの目的なんだ。……出兵前の兵士に慰安休暇を与えるような物、って言えば分かりやすいかな」
ラウラはぞくりとした。同時に、ターミナルケアの難しさを感じ取る。
ターミナルケアに入った相手には、多少の融通が利くようになる。本来禁止されていた食べ物が解禁されたり、外出が認められたり。人が人らしく最期を迎えるための、一種の儀式に近い。
(それって、普段以上に丁寧な応対を求められるって事、よね……! しかも相手はガーゼット、いつ暴走してもおかしくない、人造魔獣……!)
「その様子だと、ターミナルの大変さに気づいたみたいだね。俺も過去に数件、ターミナルケアに携わってきた。でも毎回、上手く行った感触はない。正直な話、ガーゼットへの介護は、俺でも対応できないかな」
いつになく、慈善は自信がなかった。
「でも私達は、やれる事をやるだけ、ですよね」
それでもラウラは、そう切り返した。
「ジゼンさん、言ってたじゃないですか。介護は一人でやる物じゃないって。レジーさんの時も、ライザ様の時も。私達は沢山の人の力を借りて乗り越えてきました。だから今回も同じです。里の皆の力を借りて、ターミナルケアを完遂させましょう!」
「……うん、そうだな! 一人でやろうなんて考えちゃダメだよな!」
ラウラに宿った魔法、『勇気』に引っ張られ、慈善は奮い立った。
エレノアから貰った、どんな魔法よりも強い、彼女だけが持つ力だ。
(彼女の熱意は、人に伝播していく。エレノアさんから貰った魔法をも凌駕する、この世で一番強い魔法だな)
「戻ってきたぞ、ジゼン」
「ってリッカ、早いね随分」
話し合いが終わると同時に戻ってきた。リッカは気まずそうに頬を掻き、落ち込んだ様子のガーゼットを見やった。
「里の者達が随分と警戒してしまってな、これ以上里を走る事は出来なかった」
「昨日の今日だから仕方ないか……」
すっかり委縮した彼女を見上げる。するとラウラが前に出た。
「ガーゼット。乗馬は、楽しかった?」
「……悪くは、なかった」
「そっか。どんな感じがした?」
ガーゼットは目を閉じ、思い返した。
リッカは力強く大地を駆けていた。目に映る全てが光の矢のごとく過ぎ去って、まるで風になったかのようだった。
それに、彼にしがみ付いていると、安心できる。
リッカの体は暖かくて、頼もしくて。慈善とは違った優しさを感じたのだ。
この気持ちを伝えたい、でもどう言えばいいのやら。まともに人と話した事がないから、
「……言葉には、出来ない。だが、我が今まで感じてきた憎しみや苦しみに比べれば、遥かに甘美な物、だった」
「うんうん! 私も乗馬した事があるんだけど、気持ちいいよね。なんだか自然の一部になったような気がして、神秘的ですらあると言うか」
「自然の一部? ……我は最も自然から遠いぞ、気色悪い男に、無理やり造られた存在なのだからな。……こんな紛い物の命が、神秘的なわけがなかろう」
「……命に、紛い物なんてないよ」
ラウラはガーゼットの手を握った。
(なんだろう、心を決めたからかな。ガーゼットが恐くない。むしろ、恐がっているのは、彼女の方なのよね)
誰からも憎まれて、優しさを知らない魔獣。こうして手を触れていると分かる、ガーゼットは暗い心の部屋に閉じこもって、膝を抱えて泣いている。
(救ってあげたい。私も、同じだったから。生きるのは確かに辛いけど、楽しいんだよ。だから……)
「ねぇ、ガーゼット。友達にならない?」
「友達? ……友達とは、なんだ?」
「楽しい事や嬉しい事を、一緒にする人。哀しい事があったら、一緒に泣く人。それが友達。この世界の誰もが敵に回っても、私だけは貴方の味方になる。だめかな」
「……貴様が、友達……」
ガーゼットは、カチャンと言う音を聞いていた。
心の部屋の扉が、こじ開けられた音だ。ラウラの優しさが、暗かった心に、細く小さな光を照らしていた。
(……とも、だち……話にだけは、聞いていた……)
「……なってくれるのか、私に」
「勿論!」
頷くと、ガーゼットが手を握り返してきた。
大きいのに小さな手が、愛おしい。
(必ず、守ろう。悲しくて、でも可愛らしい、新しい友達を)




