20話 介護士は糖尿病のスライムと出会う。
帰宅した慈善とラウラは、クロムに作ってもらった看板を見上げた。
レンハイム・訪問ヘルパー事務所。この里で立ち上げた、慈善が夢見ていた介護事業所だ。
「福祉学校を出てから夢だったんだ、自分の事業所を持つのが。まさか異世界転移って形で叶うなんて、思ってもいなかったな」
「でも方法が、その……私達の自分勝手な理由なのが、ちょっと気がかりです。結果はともかく、過程としてはジゼンさんに迷惑をかけてしまってますから」
「別にそれは気にしていないよ。それと、もうジゼンって呼ぶのは無しじゃないかい?」
指摘され、ラウラははっとした。
「そう、なんですけど、やっぱりいざ呼ぶとなると照れがあって……」
「冗談だよ。無理せず慣れていけばいいさ」
慈善はラウラの肩を抱き、一ヵ月前を思い返した。
ライザの訪問入浴を終えた後、事業所を立てた慈善は、ラウラと婚姻を結んだ。
自身が日本で培った技術を、亜人の里で仕事に出来ると分かった。彼女と一緒になっても、きちんと責任を取れる確信を得たのだ。
彼女を安心させたい。その想いから彼は彼女に婿入りすると決め、自身の名にレンハイムを加えた。晴れて二人は、夫婦となったのである。
「さっ、朝ごはんにしよう。レコード体操優先で食べ損ねていたからね」
「はいっ!」
◇◇◇
卵とベーコンを挟んだベーグルと、山羊のミルクを口にしながら、慈善とラウラは今日の予定を確認し合っていた。
二人は一日に七件ずつ訪問し、介護サービスを提供している。
主な提供内容としては食事の用意や洗濯、掃除等の生活介助、ライザにも使った訪問入浴介助。身の回りの生活補助がメイン事業だ。
掃除と洗濯のような単純作業はラウラ一人に任せているが、それ以外の食事介助やリハビリと言った専門知識が必要な案件に関しては、二人一緒に行っている。
ラウラはまだまだ、介護士として学ばねばならない事が多い。なので数件の訪問をOJTとして同行し、彼女の研修を行っているのだ。
「今日は互いに三件ずつ回ったら、正午に合流して仕事をしようか。キュリーさんからの要請も受けているしね」
「キュリーさんの、ですか……」
里唯一の医師、サイクロプスの顔が思い浮かんだ。
彼女の事は嫌いではない。のだが……慈善に向ける視線が熱っぽく、いつもラウラは落ち着かなかった。
(キュリーさん、絶対ジゼンさんを狙ってる、よね……)
話をする時も随分距離が近いし、見ていてひやひやしてしまう。彼を奪われてしまわないかと。
「その不安を取り除くために、俺は君と一緒になったんだよ」
心中を察したのか、慈善はラウラの頭を撫でた。
彼は【心電図】で人の心を読み取る事が出来る。その力で彼女の不安を読み取ったのだ。
「俺は浮気なんて出来る様なプレイボーイじゃない、ただ只管馬鹿真面目なのが取り柄な男だ。誰から口説かれようとも、添い遂げると決めた人以外に目を向けるつもりは毛頭ないよ。だから、信用してほしい。俺は君を、必ず幸せにしてみせるから」
(……どこまでも、真っ直ぐな言葉。ちょっとでも疑ってしまった自分が恥ずかしくなるくらいに。うん、信じなくちゃ。私を選んでくれた、異界から来た素敵な人を)
朝食後、二人は別れて仕事に向かっていった。
亡命する時にも使った大きなナップザックを背負い、訪問予定の家を回っていく。ナップザックの中には介助を行うのに必要な道具や水筒、軽食が入っている。
介護職は体力勝負だ。途中で栄養補給をして体力を補わないと、介護士が介助される事態になりかねない。
なので慈善は羊羹を作り、道中で食べるようラウラに指示していた。
(ヨーカン……異界のお菓子って聞くけど、どんな味なんだろう)
一件目、老ケンタウロスの家で洗濯を終えた後、ラウラは早速羊羹を出した。
【性質変化】でプラスチック化させた紙に、黒くねっとりとした四角い食べ物が包装されている。封を切ってつまむと、切り口からにゅるんと羊羹が飛び出してきた。
見た事のない食べ物に怯むも、ラウラは意を決して齧ってみた。
「! お、美味しい!」
もっとねばねばしているかと思えば、しっとりとした口当たりでとても食べやすい。舌で潰せるくらいに柔らかく、さっぱりとした甘みがたまらなかった。
実は羊羹は、栄養補助食品として優秀なお菓子なのだ。
コンビニで売っている小さな羊羹でも、一個で160キロカロリーものエネルギーを摂取できる。これは茶碗一杯分のご飯に匹敵する熱量だ。
加えて慈善が作ったのは塩羊羹。110ミリグラムのナトリウムを含んでおり、運動で失った塩分を補給するのにも役に立つ。
「お仕事の楽しみが出来ちゃった……よーし!」
羊羹一つで元気が出て、ラウラは残り二軒も元気よく訪問した。
午前中のノルマを達成したので、慈善と合流する。
そこにはすでに、キュリーが到着していた。
「ら、ラウラさん! こ、こんにちは、です! きょ、今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ。……あの、なんでそんなに挙動不審、なんですか?」
「いやその、これはもう癖と言いますか、なんといいますか……」
キュリーは目を反らして指を突いている。流石にまだ、自信を取り戻した状態とは言えないようだ。
「ところで、私達に協力してほしい事とは? このお宅は確か」
「は、はい。スライムの夫婦が住んでいるんです。その、旦那さんの方に問題があって……とにかく、話をしたいので入りましょう」
◇◇◇
スライムは全身の九割が水分で出来ている亜人だ。
自在に変化させる流動性の体を持っており、必要に応じて様々な姿に変化する能力を持っている。里での暮らしではその方が便利なのか、人型を取っていた。
二人とも透き通った水色の体をしており、金色の模様が浮かび上がっている。衣服は来ておらず、白目のない大きな目を持っていて、夫レリックは短髪、妻メサイアは長髪にしていた。
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スライムの夫婦は何かを必死に訴えているのだが、言葉が全く分からない。初めて聞く言葉だ。
「で、ですから、先日検査した時に異常がありまして……」
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キュリーは言葉が通じているようだが、どうも芳しい物ではないようで、口調が酷く荒れている。亜人の中にも気難しい人格の者が居る様だ。
「随分と荒れていますね、何があったんですか?」
「じ、実は先日健康診断を致しまして……そしたらレリックさんが血液検査で変な数値が出たんです。絶対病気だと思うので、詳しく検査をしたいんですけど……」
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「わっ、私はヤブ医者じゃないですよぉ! こ、これでも立派なお医者さんで……うっ、うっ……ふえぇぇ~ん……」
二人のスライムに罵倒され、号泣するキュリー。
慈善はカルテを取り、検査結果を眺めた。
一見すると問題なさそうに見えるが、一つ気になる項目が。
「空腹時の血糖値150、常時血糖値400? 異常に高いな……それよりスライムって血液検査できるんですか?」
「ま、まぁ全身血液みたいなものなので……でもやっぱり、気になりますよね。帝都に居た頃も何度か見たんですけど、これって病気、ですよね?」
「はい。もっと詳しい検査をしたい所ですけど、これだけ高いとほぼほぼ間違いないでしょう。貴方は病気です」
キュリーは嬉しそうに手を叩いた。
「やっぱり病気なんですね! ほらどうですか、私の診断は正しかったんですよ!」
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「私が頼りにならないなんて、そんなぁ……お医者さんより介護士を頼る人なんていないのにぃ……」
落ち込むキュリーをよそに、レリックは慈善に縋りついた。翻訳をキュリーに求めると、
「自分はどんな病気なんだと訴えています。ジゼンさん、分かりますか?」
「勿論。異界ではかなり流行している病気で、名前を糖尿病と言います」
生物がでんぷん等の糖質を摂取すると、消化されてブドウ糖となり、エネルギー源として細胞に取り込まれる。
膵臓からこの糖質をコントロールするホルモン物質が出されており、名をインスリンと言う。恐らく、聞いた事くらいはあるはずだ。
糖尿病はこのインスリンが上手く働かなくなり、血中にブドウ糖が多量に残ってしまう病気だ。
「それって、血液が甘くなるんですか? ヴァンパイヤさんが喜びそうですね」
「あのねラウラ、そんな呑気な事を言っていられる病気じゃないんだよ? 糖尿病はサイレントキラーと呼ばれる、とても危険な病気なんだ」
レリックがかかっているのは二型糖尿病と呼ばれる、日本人の糖尿病患者の9割がかかっている病気だ。
自覚症状としては多尿、喉の渇き、体重の減少、疲れやすさが上げられるが、軽度の糖尿病ではこれらの症状が現れない事が多い。
そして糖尿病はそれその物が原因で死ぬのではなく、様々な合併症によって体が蝕まれ、死に至る。
失明から始まり、四肢の壊死、腎臓病等々……最悪の場合は脳卒中や心筋梗塞に繋がる場合もあるのだ。
「こ、恐い……! お、おしっこが甘くなるだけでそんな危険な事になるんですか!?」
「ラウラって、結構言葉選ばないよね。まぁそうなんだけど」
「え、えっと……放置すると、どうなるんですか?」
「腎臓病に掛かると透析、つまり血液を人工的にろ過しなければならないのですが、この世界の技術力では透析器を再現するのは不可能です。なのでこのまま病気を放置すれば、まぁ数年後には死にますね」
『!!! 縺励?∵ュサ縺ャ縲√□縺」縺ヲ?』
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スライム夫婦は慈善を揺らした。多分、病気は治るのか聞いているのだろう。何となく、フィーリングで伝わった。
「残念ですが、糖尿病は治りません。投薬と食事制限で進行を遅らせるくらいしか方法がないんです。薬に関しては……キュリーさん、インスリンって分かりますか?」
「膵臓から出てるホルモン物質、でしたっけ。それ自体は見つけていたんです。名前をどうしようか迷っていたんですけど、そうですか、インスリンって言うんですね」
キュリーは少し悩み、ぴかっと閃いた顔になる。
「大丈夫! 作れますよ、インスリン! それを投与していけば、糖尿病を防ぐ事が出来るんですね?」
「ええ。薬はどうにかなりそうなので、あとは食事です。これで教えてもらいますよ」
慈善は【記録帳】を使い、二人から数日の食事を聴取した。
その内容を見て、彼は頭痛から頭を抱えた。
「……一日に八食も食べてるんですか? しかもお酒をがぶ飲みして、スパスパと喫煙まで……こんなもん糖尿病に憧れて自分から飛び込んでいるようなものじゃないですか」
『縺?縲√□縺」縺ヲ窶ヲ窶ヲ逡台サ穂コ九r縺吶k縺ィ縺願?縺後☆縺上s縺?繧』
「あー、レリックさん、毎日すんごく広い畑を耕していますものねぇ……そりゃお腹空きますよ」
スライム夫婦は里の野菜作りを一任している。慈善とラウラが食べている物の殆どは、二人が作ってくれた物だ。
「とにかく、お食事に関しての指導をしないといけませんね。糖尿病との戦いは食事との戦いでもあります、食事メニューを教えますので、きちんと指示に従ってくださいね」
『縺願藷蟄舌?縲?」溘∋縺。繧?ム繝。縲√↑縺ョ縺具シ』
「もしかして、お菓子を食べたいと?」
レリックは頷いた。糖尿病にお菓子など言語道断、と言いたい所だが。
「自分で手作りするのなら、許可致しますよ」
「えっ? でも糖尿病って、お菓子なんか食べちゃいけないんじゃ? さっき食べたヨーカンとかも、凄くカロリーがあるんですよね?」
羊羹に限らず、菓子の類には多量の砂糖が含まれている。砂糖はダイレクトにブドウ糖を作る甘味料だ、糖尿病患者に与えるなど、言語道断の代物である。
「あんなに美味しい物が食べられなくなるなんて……糖尿病って怖い病気です。お菓子なんてもってのほかでしょう?」
「問題ないよ。こんな事もあろうかと、用意しておいた魔法の砂糖があるんだよ。俺の居た世界はね、糖尿病の人でも食べられる、美味しいお菓子が作れるのさ」




