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2話 悪役令嬢はボディメカニクスを学ぶ

 慈善が奴隷として配属されたのは、傷病兵達が収容される病院だった。


 奴隷がどうして病院に? と思うだろうが、地球の歴史でもある程度の教養を持つ奴隷は、医療従事者や教師と言った職に就いていた記録がある。


 幸い介護の知識を持っていた慈善は、ある程度扱いの良い病院配属になったわけだ。


「さぁ、車椅子に座りますよー」


 今は離床の時間だ。動ける兵士はリハビリのため、車いすに起こす必要があるのだ。

 慈善は身を低くし、背中に兵士の体を預けると、腰をスライドさせて車いすへ乗せた。

 兵士は体格が良く、体重七十キロを超える巨漢だが、慈善は軽々と動かしていた。


「お、おお……なんと楽な事か。お前、小柄なのに、力持ちだな」

「力はありませんよ。これは技術です」


 一度兵士の体を背中に預ける事で、相手の腰が浮き上がり、重心が高くなる。逆に慈善の重心は低く、腰を据えているので、全身の力を使える姿勢が出来ているのだ。


 そして持ち上げるのではなく、横に移動させる事で、使う力を最小限に抑える。腰が浮いているから、臀部に余計な摩擦がかからず、移動の際に無駄な抵抗がかからなくなる。という寸法だ。


「どこか痛い所はありませんか? 辛い所は?」

「いや、ない……すまないな」


 兵士はぎこちなく笑ってくれた。慈善も同じく笑顔で返し、次の部屋へ向かう。


(世界は違えど、介護の仕事に変わりなし、か。でもここは……長く働きたい場所じゃないな)


 慈善のいた施設は、とても明るい場所だった。

 住んでいる人達は彼の事を息子のように扱い、希望に満ちた日々を送っていた。だからこそ慈善も頑張れた。


 だが、ここにいる人々の顔は、いつも暗い。

 負の感情は伝染する。大好きな介護の仕事のはずなのに、時間が経てば経つほど心が重く軋むのを感じた。


「うん……しょ……! えい、えいっ……!」


 物思いにふけっていると、ラウラの声が聞こえた。病室を覗くと、彼女は体重九十キロはある兵士を、車いすへ移そうとしている。


(……あのままじゃ、腰を痛めてしまうな)


 腰痛は介護職の持病だが、近年では介護技術の研究によって、腰に負担を掛けない介助方法が確立されている。

 ラウラを見かねて、慈善は手を貸す事にした。


「ラウラさん、それじゃあ貴方も、患者様も怪我をしてしまいますよ」

「! ジゼンさん……ですが、どうやっても、動かなくて」

「腕力だけで引っ張っては、ね。でも介護に力は要らないんですよ」


 慈善は丁寧に、ラウラへ手ほどきをした。

 両足の膝を立たせた後、右腕で巻き込むように抱えさせ、左腕は腰から背中を包むように添える。そして体を、兵士に密着させる程近づかせた。


「あの、少し恥ずかしいのですが……」

「我慢してください。あとは、しゃがみながら足を引いてみて」


 ラウラは言われた通り、しゃがむと同時に足を引いた。

 すると小柄なラウラが、大柄な兵士をすんなりと起こしてしまった。


 車いすへの移乗も、体を密着させて腰を落とし行わせる。これまたラウラは、簡単にこなしてしまった。


「出来た……出来ましたジゼンさん! でも、どうして?」

「両足の膝を立たせると、相手の体が小さくまとまって、重心が腰に集中します。そして体を密着させれば、相手の体重が自分に加わった状態になるんです」

「そうなると上半身より重くなるから、引くとてこの原理で起き上がる……わけですね」


 介護技術は古武術に通じている。これは介護の講習で度々語られる例えだ。


 介護を施す相手は、大抵自分より重い場合が多い。加えて全身脱力していたり、逆に強張って力が入っていたりすると、実際の体重よりも重く感じてしまう物なのだ。


 そこで重要となるのが、重心移動だ。これを意識するだけで、体への負担はかなり軽減されるのである。


 慈善が実践している技術は、総じてボディメカニクスと称される。余計な力を使わず無理のない姿勢で介助を行う、介護士の怪我を未然に防ぐ技術だ。


「ジゼンさんは、公国でこうしたお仕事を? でもこんな仕事は、なかったような……」

(まぁ、中世の介護事情じゃ、ね……)


 中世の頃の介護事情は、家族介護が中心だ。

 老人ホームという概念は当然存在しておらず、身寄りのない高齢者や障碍者は修道院等で保護されていたようだが、家族や親族が支えていくのが基本となっていた。


 だが、中世の文化的背景を見ると、必ずしも要介護者を支えていたわけではない。


 当時の農村は決して裕福ではない。要介護者を支えるだけの収入が得られるとは言い切れず、村落によっては口減らしに野山へ捨てる事もあったそうだ。


 介護技術が発達したのは、介護が一つの商業として確立した、という背景がある。


 無償のボランティアという認識が強い中世では、介護技術が発達する土壌はほぼないと言えるだろう。


「それよりも、痛い所等はありませんか?」


 慈善は微笑みながら目線を合わせ、兵士に尋ねた。

 先ほどから慈善は、話す時に腰を落としているが、これも介護において基本となるコミュニケーション方法だ。


 目線が高いと威圧的な話し方になってしまい、相手に嫌悪感を与えてしまいがちだ。逆に目線を同じ位置にする事で、相手が受ける悪感情を緩和する効果がある。

 介護に限らず、接客や販売業でも活かせるテクニック。是非お試しあれ。


「……公国にもお前のような、心優しき男がいるのか。公国を裏切った、レンハイム公爵家とは大違いだな」


 ラウラの顔が曇った。慈善は首を傾げると、


「あの、辺境暮らしのノンポリなもので、聞いてもよろしいですか。レンハイム公爵家が、公国を裏切ったとは?」

「帝国軍が宣戦布告をした際、公国軍に加えて、各貴族の所有する領邦兵が集結したんだが……開戦と同時にレンハイム家所有の領邦兵が、味方を攻撃したんだよ。レンハイム家当主の命によってな」


 兵士はくつくつと笑った。


「それでな、今帝国じゃ指名手配している女がいるのさ。公国の大戦犯、アルノールの娘、ラウルーア・レンハイムだ。聞いた話だと、随分綺麗な銀髪のガキらしいな。しかも、だぞ? その娘がどうやら奴隷に紛れているらしいんだ」

「なんですって? なぜそんな事が?」

「拘置所にな、レンハイム家の家紋を象ったペンダントが落っこちてたそうだ。つい最近、掃除係が見つけてな。今は奴隷共を順繰りに探っている所なのさ」


(ペンダント……だって? それにラウルーアって、略すとラウラに……)


「お前も自国を滅ぼした貴族の娘を、憎いと思うだろ? 殺してほしいだろ? 待ってな、すぐにでも見つけて殺してやるからな」

「……ええ」


 慈善は、ラウラの様子が気に掛かっていた。

 兵士からラウラを隠しつつ、彼女を見やる。すると、彼女の髪が、一瞬光った。

 黒髪の根本が僅かに、銀に輝いているのだ。


 慈善は彼女と二人で話せる場所へ移動した。ラウラは絶望した様子で慈善を見上げ、今にも泣きそうな顔をしていた。


(完全に警戒されてるな……なら)

「私の事は信用できない、でしょう。ですが初日の通り、私は女性に乱暴を加える趣味はありません。貴方の事は、一切口外致しません。ただ、それだけを言いたかっただけです」


 無理に秘密を聞き出す必要はない、彼女が話したくなれば、話せばいい。


(……私を突き出さないの? 確かにこの人は、私を二度も助けてくれた……)


 慈善の意図をくみ取り、ラウラは胸を抑えた。


(……この人なら、信じてくれるかも、しれない……私の無実を……誰でもいい、味方が欲しい……黙ったままだと、もう……胸が壊れそうになる……!)

「いえ、もう貴方に隠せる事ではありません。少し、お話しを聞いていただけませんか?」


 ラウラは、ぽつりと話し始めた。ずっと一人、胸に秘密を押し込み続けて、心が酷く圧迫され続けている。誰かに、助けてほしかった。


「……ラウラは、両親から呼ばれていた呼称です。そしてレンハイム家は、公国内で最も権力のある四大貴族の一角を担う家でした」


 工業の発達した南部を収める家であり、所有している領邦軍も四万を超え、四大貴族で最も強い力を持つ貴族であった。


 レンハイム家当主アルバード・レンハイムは四大貴族でも温厚な性格で、愛国心に溢れた貴族だったという。


 その四万もの兵が、帝国が宣戦布告するのと同時に反旗を翻したという。


 公国軍の総力は三十万、対して帝国軍の勢力は僅か十万。しかし突如裏切ったレンハイム家により公国軍は総崩れとなり、更には補給線まで断たれた。


「なんで、アルバート氏はそんな事を」

「後で分かった事ですが、父は、開戦一週間前に間者に殺されていたそうです。それ以降、父の名を騙っていたのは、魔法で化けた間者。一週間の間に、領邦兵全員に洗脳を仕掛け、公国侵攻の準備をしていたそうなのです」


(魔法、そんな物があるのか)


 この世界に来て日が浅く、慈善は魔法の存在を知らなかった。

 だがここは異世界、違う物理法則が働いていると考えるべきだろう。


(……しかしそうか。裏切り貴族の、悪役令嬢の娘さんだったのか)

「父の裏切りが判明してから、私は母と共に逃げました。ですが母は道中で亡くなり、私も終戦直前で発見されて……でも、私は髪を切って、墨で黒く染めて、変装していました。それだけでも気づかれなかったようで、平民の方々と一緒の奴隷船に乗せられたのです。でも……母様の形見のペンダントだけは、捨てられなくて……!」


 無理もない。凄惨な目に遭って、心の支えを手放せるわけがないだろう。

 だがそのせいで、ラウラは危険な状況に陥っている。彼女がレンハイム家の娘だと特定されるのは、時間の問題だ。


「ですが、母が別れ際に言ったのです。何があろうと、生きなさい……と。だから、私は生きて見せます。どんな辛い事があっても、耐えて見せます。……母の、残してくれた想いに報いるためにも……!」


 あまりにも絶望的だが、彼女は気丈に耐えて、今を懸命に生きようとしている。

 健気で、だけども力強くて。慈善はその姿が、眩しく思えた。


「……強い人だ」

「そんな、私なんてそんな……まだ十五歳の若輩者ですから」


 ラウラは頬を染め、謙遜していた。


(って十五歳? 二十代前半だと思ってたんだけど……干支一周しとるやん……)


 慈善は落ち込み、同時にどうしてこんな落胆するのか、疑問に思った。


「さぁ、仕事に戻りましょう。とにかく今を、生きなくては」


 ラウラは懸命に笑顔を作った。慈善は胸に手を当て、彼女を切なげに見つめた。


  ◇◇◇


 日没が過ぎると、奴隷達は収容所へ収監された。

 病院に配属された奴隷は二十名と少ないため、平屋の小さな収容所に入られている。奴隷同士の結束を断つ為、各人独房にて収容されていた。脱走を防ぐために足枷も付けられ、壁に繋がれたまま。


 ただ、自身のプライベートを保てる分、慈善には助かっていた。風の噂では、他の労働施設では老若男女まとめて数十名のタコ部屋に収容され、三人で一つのベッドで寝ていると聞く。


 それでも、独房だっていい環境ではない。粗末なベッドにトイレがあるだけで、鉄格子のついた小窓が唯一の光源だ。外からゴミが入り放題で、床には葉や枝が散らばっていた。


 慈善は木の枝を弄りながら、ラウラの顔を思い浮かべた。


「……守ってあげたいな、彼女を」


 昼間、どうしてラウラの事であんなにがっくりしたのか。慈善はあれから考えてみた。

 答えは簡単、彼は彼女に惚れていたのだ。

 初めて見た時から、すでに彼女に心惹かれていたのだろう。彼女の力になりたい、守ってあげたい。その気持ちを自覚した今、想いはより強くなっていた。


「あんな子供に一目惚れするとは、ね」


 だけど、慈善は自身に嘘を吐ける器用な男ではない。

 男として、惚れた女は絶対に守ってあげたい。例え想いが、報われなかったとしてもだ。


「と言っても、俺なんて介護しか取り柄が無いし……」


 慈善は思った。魔法が使えればと。

 十五歳の少女にとって、重い兵士の介護は体の負担が大きすぎる。あのままでは腰をやられ、ヘルニア等の重大な怪我に繋がる危険が高い。


「せめて、腰さえ保護できれば……この枝がもう少し、「柔らかければ」……」


 そう呟いた時だった。

 右手でさすっていた枝が、急に柔らかく、しなやかに曲がり出した。

 慈善は驚き、右手を床に着いた。そしたら床が急に柔らかくなり、ずぶずぶと沈んでいく。


「わっ、わっ!?」


 慌てた慈善は左手を床につき、「硬くなれ!」と咄嗟に思った。

 すると、床が突然硬くなり、埋まった右手が抜けなくなる。強引に引っこぬき、慈善は自身の両手を見やった。


「い、今のは、一体……?」


 間違いでなければ、右手で触れた物が柔らかくなり、左手で触れた物が硬くなった。

 ぐにゃぐにゃになった枝を拾い上げ、念じながら左手で触れてみる。

 すると枝は鋼鉄のように固くなった。


 間違いない、これは……魔法だ。


「お、俺にも、使えるのか……?」


 いくらか試してみた所、慈善は自分の手にした力の詳細が分かってきた。

 右手で触れれば物体を柔らかくし、液状化まで出来る。左手で触れれば物体を硬くし、鉄以上の硬度まで上げられる。


「……これは、使えるぞ!」


 自身の持つ介護技術とのかみ合わせを、慈善は確信した。

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