19話 介護士と悪役令嬢はラジオ体操を始める。
ロブレスト帝国の帝都地下深く。
厳重に閉ざされた地下牢に、そいつは拘束されていた。
全身を白い、魔封じの拘束着で固められている。鎖で椅子にがんじがらめに縛られ、頭を覆い隠すマスクを被されていた。
口には鉄の枷が付き、一言も発する事が出来ない。そいつは枷を噛みしめ、胸の内に怒りを燃やした。
(なぜ……我はこのような目に合わねばならぬ……!)
自分を生み出した人間が憎い。憎悪が溢れて、止まらなかった。
(誰がこの世に生み出せと申した……誰が生きたいと願った……我を生み出すなり、このような仕打ちを与えた、人間共め……!)
コツン、コツンと足音が響いてくる。目は見えなくとも、感じ取れる。
自分を生み出した人間の存在が。今、牢に入ってきた。
「この猛獣を解き放つのは、いつ頃だ?」
「ふひひ、そうですなぁ……あと一週間と言った所でしょうかねぇ」
聞こえるのは、随分偉そうな女軍人の声と、気味の悪い老人の声。
軍人は将官服を着用し、胸に幾つもの勲章を飾り立てた、濃い紫髪の女だ。威圧的で冷徹な翡翠の瞳を持ち、腰に提げた幅広の片刃剣は身の丈程もある。高いヒールを履いている事もあり、相当な長身に見えた。
一方の老人は鉤鼻で、腰が随分と曲がっている。豪奢な杖を突いては、手首に巻いた鈴を鳴らした。斜視なのだろうか、目は焦点が揃っておらず、瞳孔が開いて狂気をはらんでいた。
女軍人の名は、レベッカ・フルトマーレ。『剛撃の嵐』の二つ名を持つ、ロブレスト帝国中将。
老人の名はガルバ・ギュネイ。ロブレスト帝国の武器・兵器を開発する技師で、『絶望の魔術師』と呼ばれる気狂い男。
どちらも、帝国軍の中枢を担う危険人物である。
「公国を滅ぼしたのはいい物の、法国と共和国は体勢を立て直し、戦線を五分に戻している。これ以上手を拱けば我々軍への信頼も危うくなるだろう。この醜い生物が、本当に帝国の威信を回復させるのか?」
「勿論。こいつは戦うためだけに生み出した怪物、野に放てば、たちまちのうちに抵抗している二国を破滅させるでしょうなぁ」
(野に放つ……? 戦うためだけ、だと……? 我を、何だと思っている……ただ、人を殺すためだけに、我を生んだというのか……! 貴様らぁ!)
そいつは激高し、暴れ出した。
だが魔封じの鎖によって力を奪われ、鎖を破る事は出来ない。
「喧しい」
レベッカに横っ面を蹴られ、そいつは激痛からうなだれた。
拘束着には受けた痛みを増幅する作用がある。ちょっと触れられただけでも、骨肉を切り裂かれるかのような苦痛が走るのだ。
「情緒不安定にも程があるな。兵器として運用するには、信頼性に欠くぞ」
「ふひひ、その辺りの対策はばっちり立てていますよ」
ガルバはそいつの頭を掴み、くつくつと笑った。
「憎しみを蓄え、力とする人工魔法、【リヴェンジャー】。効率よく発動させるには、我々への憎しみを蓄えさせるのが一番ですぞ」
「ふん、相変わらずイカれた老人だ。だがその狂った頭こそが、我々帝国の大陸統一の大きな原動力となっているのも、また事実」
レベッカは踵を返し、剣の柄に手を掛けた。
「『暴虐の牙』作戦は予定通り、来週に執り行う。引き続き、そいつの管理を任せたぞ」
「御意に。ふひひ」
牢が固く閉ざされ、そいつはまた独りぼっちになる。
暗い闇に落とされ、そいつはまた憎しみを燃やした。
(必ず……必ず……殺す! 貴様ら人間を、殺してやる……!)
マスクの下でそいつは、悲しき血涙を流していた。
◇◇◇
亜人の里の朝は肌寒く、防寒着を羽織らないと肌がチクチクと痺れた。
小高い山に位置しているため、昼はともかく朝夜の寒暖差がある。目覚まし時計がなくても、寒さで自然に目が覚めてしまうくらいに。
おかげで慈善は毎日、決まった時間に起きる事が出来ていた。
「さて、と。上手く出来てるかな」
慈善はクロムに作ってもらった、ゼンマイの付いた箱に触れた。朝顔のような筒が取り付けられており、黒い円盤を乗せて針を掛けられている。
奇怪な物体を眺め、ラウラとキュリーは興味深そうに首を傾げた。
「こ、これで本当に、音楽が流れるんですか? 異界って不思議な道具があるのですね」
「上手く行っていれば、です。初めての試みだし、ここで失敗したら格好悪いですね」
「ええ、なんとしても成功させたいです」
ラウラは意気込むと、前髪をかき上げた。
この世界の人は、頭髪の伸びが早いらしい。彼女の髪は肩にかかる程まで伸び、綺麗な銀髪が黒髪よりも長くなっている。
慈善は彼女の髪をいじりつつ、後ろを見やった。
二人が居るのは、里中央にある広場だ。
クロムとユミルを始めとして、大勢の人達が集まっている。今日から新しい試みをするというので、前日に声をかけていたのだ。
そしてその中には、ライザの姿も見られた。
「母様、気分はいかがですか?」
「大丈夫よ、いつもより調子いい位。こんなに朝早く出掛けるなんて、久しぶりだわ……これから何が始まるのか、楽しみですらあるのよ」
胸いっぱいに空気を吸い込み、ライザは小さく微笑んだ。
(母様が笑ってくれた……本当に、薬が効いてくれているのね……!)
思わず泣きそうになり、ユミルは目をこすった。
「ら、ライザ様のうつ病は、順調に回復しています。う、運動療法を試すのには、いい頃合いだと思いますよ」
「なら、猶更力が入っちゃうな」
彼女のためにも、成功させなければ。ネジを回し、慈善とラウラは息を呑む。すると、
『レコード体操第一部ー!』
蓄音機から慈善の声が、高らかに響き渡った。
亜人達は驚き、思いっきり怯んでいた。ただの箱から慈善の声が出たのだ、それも魔法を使わずに。これが驚かないわけがない。
慈善はガッツポーズし、ラウラとハイタッチした。
「やった、成功だ、成功だよラウラ!」
「凄い! 本当に、本当に音が出た!」
リュートと太鼓、クラリネットの音が奏でられる。前日、演奏できる者達の協力を得て録音した、ラジオ体操ならぬレコード体操だ。
◇◇◇
事の始まりは三日前に遡る。慈善はユミルから、このような依頼を受けた。
「母様を外に出す、日課を作っていただけますか?」
「ライザ様の?」
「あの、うつ病の具合はどうなんですか?」
「おかげさまで、以前に比べるとかなり良くなりました」
ユミルは安堵したような顔になった。
ライザは週に二回、訪問入浴を利用している。ユミルとしては毎日入ってほしかったようだが、それは慈善が止めていた。
うつ病の人に過干渉になるのは、かえってプレッシャーになってしまい逆効果だ。適度に距離を置いて、負担になりすぎないよう気を使わねばならない。
介護の甲斐あって、キュリーのSSRIとSNRIも効果が出始めている。以前は寝たきりだったライザも今は、ベッド上で上半身を起こすまでに回復していた。
【心電図】でライザの様子を見ると、薄い水色の心電図が浮かび上がった。不安や恐怖こそ感じているが、その度合いは弱くなっている。
「治療を始めて二週間か……無理をさせなければ、外出は出来るかな?」
「キュリーさんからの許可も頂かないといけないですね。無理をさせて病気がぶり返したら大変ですし」
二人は頷き合った。
「確かに、小さくても目標があった方がライザ様も出かけやすくなりますね。里の人達と交流の場を作っていって、少しずつリハビリを進めていくといいかもしれません」
「本職の方にそう言って頂けると、安心できますね。ジゼンさん任せになってしまいますが、どうかよろしくお願いします」
ユミル邸を出た後、慈善は真っ直ぐクロムの下へ向かった。
事情を話し、交錯してほしい物を伝えると、彼は眉間にしわを寄せた。
「蓄音機、っていうのかい?」
「うん。レコードって言う、音を保存する道具と組み合わせて使う物なんだ」
「音を保存? 異界ではそんな事が出来るんですか?」
「そんなに難しい仕組みじゃないよ。とにかく作っていこう、工作開始だ」
そんなこんなで、蓄音機自体は一日で作り上げた。
ゼンマイを作って箱に回転テーブルを仕込み、里で作っているワインから酒石を取ってマイクの元となるロッシェル塩を作る。あとは【性質変化】でプラスチック化させた紙をメガホンのように丸めて、くっつければ。
「蓄音機の完成だよ」
「え、こんな簡単に作れるんですか、音を出す道具って……これでどうやって音を出すんだろう?」
「まだ使えないよ、レコードが必要なんだ。それに、保存する音楽も必要だし」
「音楽、ですか……そう言えば、趣味で音楽隊を作っている方々が居ましたよね」
しかも全員、慈善とラウラの介護サービスを受けている。
簡単に協力を取り付けて、慈善は早速、介護施設で使っていたあるレコードを作成したのだった。
◇◇◇
それが今朝使っている、ラジオ体操ならぬレコード体操だ。
『両手を腰に当てて、背中を大きく反らしてー』
蓄音機から流れる慈善の声に合わせ、亜人達は各々体操をしている。慈善とラウラは先頭に立ち、お手本を見せていた。
(け、結構ハードですね。でも体が凄く解れるのが分かります)
(俺の居た世界ではラジオ体操って呼ばれていてね、朝体を動かすにはもってこいなんだ)
大抵の介護施設では、朝の九時から十時頃にラジオ体操を行っている。
目的は二つあり、一つはきちんと日中起きる習慣をつけるため、もう一つは体を動かして筋力を維持するためだ。
歳を取るとどうしても活気が衰え、日中の活動が減ってしまう。編み物等の趣味があればいいのだが、そうでない人は寝てしまい、体が急激に衰えてしまうのだ。
一ヶ所に集まって体操を行う事で、入居者同士のコミュニケーションを促し、認知症の予防も期待できる。ラジオ体操は施設における重要なツールというわけだ。
『両腕を伸ばして深呼吸ー、両腕を伸ばして深呼吸ー』
約二十分の体操を終えると、亜人達は一斉に息を吐いた。
初めてのラジオ体操は疲れたようで、程よく汗をかいている。
「はい! それでは体操に参加された方はこちらへ!」
「レコード体操参加のスタンプを押しますねー!」
慈善とラウラは判子を出し、亜人達に差し出されるスタンプカードに押していく。レコード体操に来てくれるよう、思いついたアイディアだ。
(夏休みのラジオ体操、なんか知らないけどスタンプ目当てに行っちゃうんだよなー……)
子供の頃を思い出し、つい苦笑してしまう。亜人達も慈善と同じ気持ちのようで、スタンプを貰ってちょっと嬉しそうにしていた。
「参加の目標があると気持ちが違いますよね。私も頑張って集めようっと」
ラウラも楽しそうだし、これは万国共通、いや万世界共通の気持ちなのかもしれない。
「あの、私にも、お願いできますか」
おずおずとカードを差し出され、慈善は顔を上げた。
ライザだ。恐々としながらも、慈善にスタンプを求めている。
勿論、慈善は快くスタンプを押す。ライザはスタンプを眺めると、カードを胸に抱いた。
「……このカード、埋めていこう……そしたら、今の病気を克服できるかもしれない……」
「母様……ええ、一緒に続けていきましょう。ね」
少しずつ、ライザはうつ病から抜け出そうと頑張っていた。
たかが体操、されど体操。うつ病の治療には認知療法があるが、その中に小さな成功体験を積み重ねていくという物がある。
それにアメリカの研究によると、運動療法はうつ病に高い効果が見込めるそうだ。そしてラジオ体操はハード過ぎず、かといってソフト過ぎず、丁度良い負荷を与えられるため、認知症の予防にも効果がある有用な運動だ。
(ライザさんにレコード体操は、かなりの効果が見込めそうだな)
「……こんな風に、心の病を克服して、前を向けるようになるんですね」
慈善の隣で、ラウラは胸を握りしめていた。
「二週間、介護のお仕事を続けてきましたけど……まだまだ私の知らない事が沢山あるみたいです」
「その通り。どんな仕事もそうだけど、一年続けてやっと一人前だ。君は必ず俺が支える。だから、これからも恐れず仕事を頑張ってくれよ」
「はい! ……あなた」
ラウラはほんのり赤らみ、慈善をそう呼んだ。
まだ慣れない呼び名に慈善も照れてしまう。
今の彼の名は、慈善・レンハイム・大地。
婿入りという形で、ラウラと婚姻を結んでいた。




