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18話 介護士は悪役令嬢と……

 浴後のライザは穏やかな表情を浮かべていた。

 バイタルに変動なし。心理状態もリラックスしていて、ここ最近で一番のコンディションと言える。

 風呂の片づけを手伝ってくれているクロム達も、安心した様子だ。


「あとは、この薬……SSRI、でしたっけ?」

「セロトニンの再取り込みを防ぐ薬です。これを服薬すれば、今日の成果としてはばっちりでしょう」


 水分補給も兼ね、常温の食塩水で飲ませる。ライザは大きなため息を吐くと、ユミルに手を伸ばした。

 母の手をユミルは力強く握り込む。ライザは口を小さく動かし、言葉に迷った。


(なんて言えばいいのか……こんな、満ち足りた気分になったのは、この子のお陰……そのお礼を伝える、言葉……ああ、ずっと、忘れていたわね……)

「ユミル……ありが……と……」


 消え入るような声で、ライザは「ありがとう」を伝えた。小さな笑顔を浮かべて。

 ユミルは鳥肌が立った。ライザはそのまま目を閉じ、寝息を立て始める。


「入浴は体力を使いますからね。不眠症でろくに眠れてなかったでしょうし、今は休ませてあげましょう」

「そう、ですね……母様……本当に、よかった……!」

(声も失って、このまま死んじゃうんじゃないかって、ずっと怖かった……でも、助かるかもしれない……母様がもう一度、元気になるかも……しれない……!)


 ユミルはライザにしがみ付いた。体を震わせ、ぐすぐすと泣いてしまう。

 ラウラももらい泣きしてしまい、目を拭った。


「お薬も飲んだし、これでうつ病は治りますよね」

「いや、SSRIの効果が出るのは早くても二週間はかかるんだ。うつ病は治る病気だけど、風邪のように数日で治る物ではないんだよ」


 きちんと薬を飲み、休息をとって、適切な治療を行う。これを根気強く、何年も続けて初めて回復が望めるのだ。


「うつ病の回復には、医師のサポートが欠かせません。キュリーさんが寄り添わないと、うつ病はまたぶり返してしまいます。むしろこれからが、医師としての腕の見せ所ですよ」

「……本当に、私のお薬は効果が、あるんですよね?」

「勿論。どれだけ時間がかかるか分かりませんが、貴方の薬なら必ず治ります。自信を持ってください、貴方は優秀なお医者様です」


 慈善の力強い言葉を聞いて、キュリーは胸が軽くなった。

 人から信用されるのは、生まれて始めてだ。誰かから期待される事がとても嬉しく、キュリーは胸を叩いた。


「ライザ様は必ず、私が治します。皆で頑張ってバトンを繋いだんだから……何があろうと、やり遂げて見せますよ。ジゼンさん達のサポートだってあるんですから」

「ん? ジゼンってまだ定住の許可をもらっていないよね? 確か、今日明日中に課題を合格しないと追いだされちゃうとか、言ってたような」


 クロムの何気ない一言に、その場にいる全員がはっとする。

 そう、まだユミルから定住の許可を得ていないのだ。全員の視線が彼女に集中し、ユミルはぎくりと肩を揺らした。


(……そろそろ、はっきりとした答えを聞いた方がいいかもね)

(私達が里の人達に、どう役に立っていくのか。それはもう、示せているはずですから)

「ユミルさん、いかがでしょうか。私達は介護士として、この里の人々の生活を支える力を持っています」

「里の人達は皆、何かしらの悩みを抱えています。食べ物が食べられなかったり、足が動かなかったり……心の病にかかっていたり。私達なら、そうした人達を助けられるんです」


 クロム達も頷き、懇願するようにユミルを見つめた。


「……貴方達は、意外と性格がよろしくないですね」

(答えなんて、もう出ているでしょうに。もし二人が来なかったら、母様は……里の者達も大勢、助けられています。異界の介護とやらは、私達にとってとても有益な物……)


 ライザの治療を進めるためにも、慈善とライザは必要不可欠だろう。


「ここまで成果が出た以上、認めましょう。ジゼンダイチに、ラウラ・レンハイム。貴方方二人の定住を許可致します」

『! 本当ですか!?』


 思わず声がはもった。

 慈善とラウラは顔を見合わせ、力強く抱き締め合う。


「やったじゃないか! おめでとうジゼン、ラウラ!」


 クロムは慈善とラウラを思いっきり抱き上げた。

 カイト達も拍手し、喜んでくれている。キュリーは大きな目玉に涙を浮かべていた。


「私もすっごくほっとしました! 二人が居ないと、ライザ様の治療は出来ませんから! 本当に、ありがとうございますユミル様!」

「いいえ、私としても母様の治療に二人の力が必要ですので。お風呂も今後、継続して入れて貰いたいですから」

(定住の許可を出した以上、きちんとした上下関係は意識してもらわないと。いかに異界の優れた知識を持っていても、私は里の秩序を守る責任がある。ジゼンさんに主導権を握られてはいけないですからねっ)


 ユミルはあえてつんけんした態度を取り、二人と心の距離を取ろうとした。

 でも、ユミルがどんな人物なのかを理解しているから、慈善とラウラは優しく微笑むばかり。それが余計に彼女をムキにさせた。


「言っておきますが、私は里長です、一番偉いのです。くれぐれも無礼な事はやめてくださいね」

「分かっていますよ、里長様」

(けど、前みたいなとっつきにくさはなくなったな。里長として気を張っていただけで、本当は可愛い性格の人なんだ)

「介護士として働くなら、これからも一緒に仕事する事になりますね。医者としても、介護士の協力があると、活動の範囲が広がりますし。それに……ジゼンさんと一緒に仕事していると、楽しいですから」


 にぱっとキュリーは笑った。慈善に向ける視線は、どこか熱を帯びている。


(私の事を最初に受け入れてくれた、人間の人……最初はちょっと怖かったけど、自信を持って仕事に取り組む姿、かっこいいし……)

「あの、キュリーさん……?」


 彼女の様子がおかしいので、【心電図】で見てみたのだが、彼女の心電図は桃色に染まっていた。

 慈善に向ける仕草も、どことなく乙女というか。初々しくも甘酸っぱい感情が伝わってくる。


(参ったな、もう俺、心に決めた人が居るんだけど)


 くいっ。


 突然袖を引っ張られた。何かと思うなり、腕にラウラが抱き着いてくる。

 ラウラは慈善の腕にしがみ付き、いやいやと首を振った。とても不安そうな顔で、ちょっとだけ目に涙をためて。


(お願いします、この人を取らないでください……! ダメです、絶対、ダメです!)


 キュリーの好意を感じ取り、ラウラは急いで慈善を確保していた。

 いくらラウラでも、彼だけは譲れない。慈善を取られたら、また独りぼっちになってしまうかもしれないから。


「大丈夫、怯えないでくれ」


 彼女の頭を撫で、慈善は落ち着かせた。

 彼もまた、ブレるつもりはない。ラウラに惚れて、必ず守ると決意している。

 例えどんな相手に口説かれようとも、ラウラから離れるつもりは毛頭ない。


(あ、そう言う事、なんだ……)


 二人の関係を知り、キュリーは落ち込んだ。それでもしっかり胸を張り、気を取り直した。

 例え間に割り込めないと分かっても、二人は仕事をする上で大切なパートナーだ。


「これからも、よろしくお願いします。ジゼンさん、ラウラさん」


 しっかりと握手を交わし、今後の協力を約束する。医師と介護士、互いに協力し合って、里を支えていかなければ。


(それに、もしかしたらチャンスがあるかもしれないし……! 簡単に諦めるなって教えてくれたのは、ジゼンさんですからねっ)


 息まくキュリーを、ラウラは不安げに見つめていた。


  ◇◇◇


「ふぅ、これで当面の問題は、完全に解決したね」


 夕方ごろに帰宅し、慈善はベッドに腰かけた。

 魔法を使い過ぎたのか、疲労感で体が重い。だけどそれ以上に充実感に満ちて、心は晴れやかだ。

 亜人の里に定住が認められたことで、帝国の脅威は消え去った。エレノアと交わした約束を完遂し、慈善はため息を吐く。


(エレノアさん、貴方に託されたラウラさんは、もう大丈夫です。ここなら、帝国の手は伸びてこない……安心して、眠っていてください)


 ラウラの話では、彼女の魂は成仏して消え去っているという。

 定住を許されるまで、慈善はずっと苦悩していた。このまま定住を認められなかったらどうしよう、と。


(でも俺の、介護の知識で定住にこぎつけた。それにこの世界でも、日本で得た介護の知識を活かせる事も分かった)


 亜人の里には、介護を必要とする者が大勢いる。彼らを自身の力で助ける事が出来れば、この上ない喜びだ。


(俺は人の役に立ちたくて、介護の仕事を選んだ。ここでもそれが出来るのなら、願ってもない。一人でも多くの人に笑顔と安心を届けるために……頑張っていかないとな)

「ジゼンさん、お茶、淹れてみました」

「ありがと、頂くよ」


 室内にハーブのいい香りが漂ってくる。一口飲むと、ふっと気持ちが楽になった。

 公爵家に居た頃、エレノアから教わったのだという。お茶淹れは、彼女の特技だ。


(ちょっとは気がまぎれると思ったのだけど、全然ダメだ……)


 キュリーの事が気になって仕方ない。彼女は明らかに、慈善へ好意を向けていた。

 彼を取られたくない。もし彼が居なくなってしまったらと思うと、胸が締め付けられるように痛くなる。


『彼が欲しいのなら、自分から攻めていきなさい。ああいう一途な奥手は、貴方自身から向かって行かなければダメよ。……取られてからじゃ、遅いのだからね』


 母の言葉を思い出し、ラウラは唇を噛みしめた。

 今はまだキュリーだけで済んでいるが、この先仕事を続けて行けば、彼女のように慈善に好意を向ける者が出てくるだろう。


(ジゼンさんを私、信じている。信じているけど……やっぱり、恐い。誰かに、取られそうな気がして……)

「どうしたの? 随分、悲しそうな顔をしているけど」

(……貴方のせいですよ、朴念仁!)


 むぷーっと頬を膨らませ、不機嫌を露わにする。怒らせた理由が分からず、慈善はおろおろした。

 真面目で誠実だけど、女心に疎すぎる。それがジゼンだ。

 そうした所も含めて好きになったのはいいのだが、今のまま、友達以上恋人未満の関係を続けていては、身が持たない。


(自分から攻めて、踏み込まなくちゃ! 一気に関係を進めるには……進めるには!)

「ジゼンさん! け、結婚しましょう!」


 てんぱりすぎたあまり、ラウラはとち狂った事を口走った。

 慈善は呆然とし、固まっている。自分が何を言ってしまったのかを理解して、ラウラは頭を抱えてしまう。

 勢いそのままベッドへダイブ、枕で顔を隠し、悶絶した。


(い、いくらなんでも距離詰めすぎ! 私の馬鹿馬鹿馬鹿! あれじゃただの頭がおかしい奴じゃない! な、なんて事をしてしまったんだろうぅ……!)

「……ラウラ」


 慈善に肩を叩かれ、ラウラはびくりと跳ね上がった。


「キュリーさんが俺に好意を抱いたから、心配してしまったんだね」

「……うん」

「いや、突然の告白に驚いたってだけで、変な奴とか、そういうのは思っていないよ。嬉しいって思いの方が強いから」


 ベッドサイドに腰かけ、ラウラの頭を撫でる。

 例え些細な事でも、大切な女性を不安にさせてしまった。男として、やってはならない事だ。

 今後も里で暮らすとなると、どっちつかずな態度をとっていては彼女に余計な負担をかけてしまう。

 無論、年齢の事とか、これからの事とか。考えるべき事は山積み、でも。


(まずは、ラウラを安心させるべき、だよな……よし!)


 慈善は紙を出して、筆を走らせた。ラウラが覗き込むと、目を見開いた。


「これ、って……」

「見ての通りだよ。明日からの、俺の名前」


 慈善・レンハイム・大地。

 彼の名にねじ込まれた、レンハイムのミドルネーム。ラウラは息を呑んだ。


「あの、その……これって……」

「異世界に転移した以上、もう元の世界には戻れないだろうしね。だから、こうするのがいいと思う。君は貴族なんだし、名前と血は残していかないと」


 ラウラの両手を取って、慈善はしっかり彼女の目を見つめる。

 深呼吸して、心を鎮めて、一息に伝えた。


「結婚しよう、ラウラ」

「……!」

「君を二度と不安にさせたりしない。そのためにも、腹は括った。絶対、絶対に君を幸せにしてみせる。だから、俺と一緒に居てください。ラウラ」

「……はいっ!」


 ラウラは泣きながら、慈善に抱き着いた。

 互いの視線が混じり合い、影が重なる。たった二人だけの、ささやかな結婚式が執り行われた。

(絶対離れない……この人は私の、希望なのだから……!)

 ラウラは幸せを噛みしめ、ぎゅっと目を閉じた。

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