17話 悪役令嬢は訪問入浴に挑戦する
寝室の中央に、ライザ用の浴槽が出来上がった。
防水シートの上に設置して、三本のホースが繋がっている。二本は外に置いた貯水タンクに繋がっており、もう一本は浴槽に付いた排水パイプと繋がって、裏口から出していた。
ライザはぼんやりと浴槽を眺め、疑問符を浮かべている。
(それは、一体何? これから、何をしようと言うの?)
「ジゼンさーん! 準備が出来ましたー!」
『よしきたー! それじゃ皆さん、お願いします!』
ラウラからの合図を聞き、慈善は協力者達に手を上げた。
まずはルリが【空間転移】で温泉からお湯を運び、タンクになみなみと注いでいく。
次にリッカがタンク内のお湯に【熱操作】を使い、六〇度の湯と十度の冷水を作りだした。
最後はカイトが、【送風】でポンプに取り付けた風車に風を当てる。すると、風車につなげたギアがパイプ内の紐とスポンジをくるくると動かして、二種類の温泉を汲み上げ始めた。
「す、すっげ! 風車に風を当てるだけで、なんでお湯が、勝手に汲み上がっていくんだ?」
「スポンジがパイプの中の空気を吸い出して、真空を作っているんです。すると水面に掛かっている空気圧がパイプの中よりも高くなるので、お湯が押し出されていくというわけです」
この風力揚水ポンプは発展途上国で地下水を汲み上げるのに使われており、慈善は以前テレビで見た記憶があった。
異世界には電気がないが、魔法がある。力技だが、慈善のアイディアは成功していた。
「むぅ、何を言っているのかさっぱりわからんな」
「異界の知識って難しいのね……」
キュリーに説明した時は一発で理解してくれたのだが。ラウラもイマイチ分からなかったようなので、それだけ彼女の頭脳が優れているのが分かる。
「それよりも、ジゼン。中は大丈夫なのかい? プロの君が居ないで、ちゃんとライザ様をお風呂に入れられるのかな?」
「妙齢の女性が裸になるのに、男が割り込むわけにはいきませんよ。それに大丈夫、どうやらうまくやれているようですから」
いつでも三人のヘルプに行けるよう、慈善は【心電図】で逐一情報を見ていた。
四人の心電図に乱れはない。それにライザの心電図は少しずつ、青から緑へと変わりつつあった。
◇◇◇
慈善の居ない介護現場に立ち、ラウラは緊張でドキドキしていた。
彼の手助けのない、本格的な介護業務だ。上手くできるかどうか、怪我をさせないかどうか、恐くて仕方がない。
でも、同時に楽しみでもあった。
(もう一度、あの充実感を感じたい……レジーさんを感動させたときの、あの衝撃を、もう一度……! よし、行こう!)
頬を叩いて気合を入れ、ラウラは現場リーダーとして動き出した。
特殊浴槽には二つのネジが付いており、捻るとそれぞれから熱湯と冷水が出るようになっている。
ラウラはネジを調整し、快適な湯温を作り始めた。部屋の中に硫黄の匂いが漂い始め、ライザの鼻がひくひくと動き出す。
(これは、温泉……昔はよく、入っていたけれど……って、温泉? まさか、この奇妙な道具は……お風呂?)
ライザの心が少しだけ動いた。微かだが、温泉に浸かっていた時の記憶が蘇ってくる。
うつ病は人から生きる気力を奪う病気である。だけど温泉の香りは、少しだけライザから、生きる気力を引き出していた。
(……お風呂……もう、何百年も入っていないような気がしてくるわね……)
「えっと、最初は三十八度の温めのお湯にする……このガラス管で温度が分かる……」
浴槽内には、慈善お手製のガリレオ温度計が入っている。
水の入ったガラス管の中に、種類の違う油や液体を満たしたガラス球を入れた温度計だ。
温めるとガラス球に入れた溶液の温度が変わり、体積が変化して浮き沈みする。このガラス球の位置を見て大まかな温度を測る事が出来るのだ。
施設に元理科教師の老婆が居り、慈善は彼女から科学グッズの作り方を教わっていたのである。
ガラス管には、三八度で沈む球と四〇度で浮き上がる球が釣り糸に繋がれ、管の中心で留まっている。微調整を繰り返していると、三八度の球が沈み始めた。
「お湯出来ました! あとは貯めるだけです!」
「ではその間に、バイタルチェックをしておきますね」
キュリーはライザの脈や呼吸、血圧を測っていく。彼女のバイタルに問題はなく、入浴可能な状態だ。
ユミルは担架にバスタオルを敷き、フェイスタオルをネックレストにセッティングすると、ラウラに目配せした。
服を脱がせた後、上半身はラウラが、下半身はユミルが担当し、腕を滑り込ませる。膝をしっかりベッドの縁に押し付けると、
『せーのっ!』
息を合わせ、てこの原理を利用して持ち上げた。
ライザはレジーよりも軽く、痩せていた。彼女はうつ病による食欲不振で、まともな食事をとっていなかったのだ。
(ライザ様、こんなに痩せて……骨と皮じゃないですか……!)
(体を拭く度、弱っていく母を感じていました……改めて抱えると、胸が痛みます)
担架に乗せ、バスタオルを体にかける。ラウラはお湯の出所をカランからシャワーに切り替えた。
シャワーヘッドに手を被せ、全身にまんべんなくお湯をかけていく。温いお湯がタオルに染み渡り、ライザの体をじんわりと温めていった。
思わず目を閉じ、ライザはため息を吐く。浴槽内に湯が貯まったのを見て、キュリーは担架のハンドルを回し始めた。
担架がゆっくりと落ちて、ライザの腰が沈んでいく。やがて肩までたっぷりとした温泉に浸かった時、途方もない快感が全身に走った。
お湯の水圧が体を心地よく揉み解し、硬くなった手足を柔らかくしていく。浮力でふわりと浮き上がり、体から枷が外れたような解放感が生まれた。
(……気持ち、いい……久しぶりの温泉……こんな、こんなに、気持ちよかったっけ……!)
温泉の匂いが緊張を解きほぐしていく。リラックスして肩の力が抜け、ライザは温泉の心地よさに身をゆだねた。
「さぁ、体を洗っていきましょう!」
『おー!』
まずはユミルがライザの髪を洗い始めた。
顔にホットタオルを被せ、キュリーが調合したシャンプーで頭を洗っていく。痒かった所を丁寧にこすられ、ライザは気持ちよさから体をもじもじとくねらせた。
ラウラとキュリーはライザの腕を洗い始める。指先から肩へ、末端から体幹に、マッサージするようにこすっていく。
末端から体幹に向けて洗うと血液循環が良くなり、デトックス効果が期待できるのだ。
洗体していく内に、全身から垢が落ちて、水面に汚れが浮いてくる。だけど汚れたお湯はネックレスト脇の溝から洗髪台に流れ、そのまま排水されていった。
(よ、浴槽内でお湯が循環してる。これなら常にお風呂のお湯が綺麗に保てるんだ……)
(かなり考えて作られているのですね……異界のお風呂、恐るべし……)
「シャワー回しますねー」
ラウラはハンドルを切り替え、ユミルにシャワーを渡した。ライザの髪を流すと、薄汚れていた彼女の金髪が、元の輝きを取り戻した。
ライザの半身を起こし、キュリーが肩を掴んで支える。ユミルとラウラは息を合わせて彼女の背中を擦った。
(うっ、ううっ……ず、ずっと寝たきりだったから……背中をこすられるのが、思った以上に……堪らない……!)
思わずしまりのない顔になってしまい、耳が上下にピコピコ揺れる。再び横にされると、今度は足。足首から股にかけて、同じ様に洗っていった。
洗体が終わった後、ラウラは熱めのお湯を出した。カランの下で手を回し、お湯を掻きまわしていく。
(体がお湯に慣れてきたから、次は四〇度にまで一気に上げる、ですね!)
温度計のガラス球が浮き上がってきた。ユミルは水面を撫でて緩やかな波をライザに浴びせ、キュリーは注意深くライザを観察し、異変がないかチェックし続けた。
お湯に体を心地よく揺らされる。全身を綺麗にしてくれたからか、凄く爽やかな気分だ。
(あ、あぁ……な、何なの、この極楽は……全身から毒が流れ出ていくような、自分が生まれ変わっていくような……恐いくらい、気持ちいい……もうだめ、溜めていた物が、出てしまう……!)
「……っぁぁぁぁぁぁ~……!」
ライザは腹から絞り出すように、掠れた声を出した。
「! 母様が、声を……!」
ユミルの目から涙がこぼれる。
ライザはうつ病になってから、声を出せなくなっていた。でも入浴によって、身心の錆を洗い流された事で、彼女は病気に奪われた声を取り戻していた。
「……よかった、母様……! 本当に……!」
ユミルは号泣した。いつもは里長としての責務から自身を強く律しているが、心の底では母を強く心配し続けていたのだ。
(よかった、ユミル様のお母さんを、助けられて……)
ラウラは父と母を失っている。ユミルがどれだけライザを心配していたのか、痛いほどわかっていた。
だから、絶対助けたかった。
母親を喪う悲しみと苦しみは、身をもって知っている。そんな思いを、他の人にさせるなんて、絶対に嫌だから。




