14話 悪役令嬢は訪問入浴を提案する。
慈善とラウラは一度、ユミル邸を後にした。
【記録帳】で手に入れた、彼女の母の情報を確認してみる。
彼女の名はライザ・エバーライト。ユミルの前に里長を務めていた女性だ。現在は寝たきりになっているため、娘のユミルが里長代理を務めているそうだ。
この里は、ライザの魔法によって作り出された物だという。
「ライザさんの魔法は、【創造】。生物以外ならあらゆる物を、それこそ空間まで作り出す、魔法の中でも特段強力な物みたいだね」
「その空間を、ユミル様の【結界】で守って出来たのが、この里というわけなんですね」
記録帳によれば、ライザは半年前から寝たきりの生活が続いており、食事も殆ど拒絶しているという。しかし目立った病気や怪我をしたわけではなく、それ以前は里長として普通の生活を送っていたらしい。
「どうして怪我も病気もしていないのに、突然寝たきりになってしまったんでしょうか」
「うん。これに関しては、心当たりが一つだけあるんだ」
慈善はライザに幾度か質問をしてみたが、彼女は何も答えてくれなかった。というより、誰とも関わりたくないという意思が伝わっていた。
施設でも幾人か、こうした症状を出す高齢者が居た記憶がある。その人達は大抵、ある病気を患っていたのだ。
(記録によれば、ライザさんは里の運営に、随分と力を入れてきたみたいだな。責任感がとても強くて、完璧主義な人だったのかもしれない)
里を設立するため、彼女は昼夜問わず走り回っていたそうだ。だけど次第に活動が落ち込んでいき、いつしか何に対しても意欲がわいてこなくなったという。
たった一人で責任を抱え込んで、潰れてしまった。となれば、考えられる病気は一つ。
「ライザさんは多分、うつ病にかかっているよ」
「うつ病? どんな病気なんですか?」
「それを説明する前に……キュリーさん。出てきてくれますか」
慈善は振り返り、木の影に隠れているキュリーに手招きした。
キュリーはびくりと肩を震わせると、おずおずと顔を出す。
「ど、どうして私の事、分かったんです?」
「あの……残念ながら顔以外が全部隠れてなかったので……」
それ以前に、彼女は体が隠せない小さな茂みや、子羊の後ろに身を寄せながらついて来ていた。時々転んで悲鳴も聞こえていたし、あまりにもへたくそな尾行である。
(なんていうか、残念過ぎる人だな……)
「えっと、お医者さんの意見も伺いたいので、一緒にお話ししませんか?」
「い、嫌です! だ、だって人間って、私を叩いたり蹴ったりするから……それに、怒鳴ったりするし……恐いから、嫌です……」
「じゃあなんで、私達について来てるんですか?」
キュリーは口ごもり、指を突き合わせた。
「……貴方達が、どんな治療をするのか、気になってて。ライザ様の病気は初めて見るから、どう治せばいいのか分からないから、恐いけど教えて欲しいなと……」
「そう言う事、か。ですけど、ライザさんの治療に関しては、私達だけでは難しいですね。キュリーさんは、うつ病という病気を、ご存知ですか?」
「いえ、聞いた事ないですね……あのような状態だと、何か霊的な物が作用していると思うんですけど、違うんですか? 例えば悪魔が取り付いて、ライザさんを呪っているとか」
キュリーの診断を聞き、慈善は頭痛を感じた。
(悪魔が取り付いて呪ってるって、現代医療じゃ有り得ない診断だな……でも精神的な病となると、中世の医療技術では当然か……)
中世においては、うつ病のような精神疾患は悪魔付きや超常現象と言ったオカルト的現象と捉えられ、患者を隔離施設に閉じ込めて拘束していたという。
キュリーの診断から見るに、この異世界においても精神疾患に関する研究は殆ど進んでいないようだ。
「うつ病というのは、一言で言えば脳のエネルギーが無くなった状態の事を指すんです。それによって抑うつ的な気分になったり、食欲や睡眠欲と言った、生活の維持に必要な意欲すらなくなってしまう、という物なんです」
「??? 脳の、エネルギー? 脳にそんな物があるんですか?」
ラウラには難しい説明だったようだ。慈善は困り、頬を掻いた。
(うつ病って結構複雑な病気だからな。相手に分かりやすく伝えるには、どう説明すればいいんだろう)
「え、えっと……つまりは強いストレスがかかりすぎて、心が折れてしまう事、ですか?」
「えっ?」
慈善は驚いた。キュリーはどうやら、先ほどの説明で理解したようだ。
「つ、辛い事が起こりすぎると、その……脳に悪い影響が出るのは知ってます。でも私達はストレスを受けても、自然治癒力が働くので……時間が経てば、脳が受けたダメージは戻ります。でも嫌な事が起きすぎると、脳のダメージは回復しきれなくなって……働きが悪くなってしまうんです」
「あ、それなら私にも分かります。それが、うつ病なんですか?」
「そう、だけど……キュリーさん、貴方。もしかしてうつ病のメカニズムを、最初から知っていたのでは?」
「ふぁ、ふぁい!? い、いえすみません! 出しゃばった真似をしてすみません! も、もうこんな事はしないので許してください叩かないでください蹴らないでください!」
キュリーは頭を抱えて蹲ってしまった。
慈善は顎に手を当てると、彼女の肩に手を置いた。
「キュリーさんはここに来る前、帝都で奴隷医師として勤務していたと聞きました。その時に、同じ様な症状の方々を診ていたのではないですか?」
「は、はい……私が居た病院では、戦争で酷い怪我をして、心に強いダメージを負った人達が入院していまして……その中に、ライザ様のような方が幾人も居たんです」
(戦争によるPTSDか……)
「でも帝国の人達は、全然理解してくれなくて、悪魔が取り付いて呪っているんだって言い張って、隔離して鎖で拘束していたんです……だから私、何度も言ったんです。その人達は呪われているんじゃない、病気になってしまったんだって……でも誰も聞いてくれなくて……妄言を言うなと怒鳴られて……酷い時にはモンスターの癖にと殴られたり、鞭で打たれたりしました……」
「……酷い……!」
ラウラは憤った。
そんな事をされれば、人間に恐怖を抱いてしまうのも理解できる。彼女も戦争のせいで、心に強い傷を受けた被害者だ。
「だから、ライザ様が病気だと分かっていても、恐くて手が出せなくて……お薬も作ってみたりしたんですけど、それが効かなかったらと思うと……全然出せなくて……」
「! 薬って、どんな物ですか?」
「ひえっ!? ごめんなさいごめんなさい! た、大した薬じゃないんです! セロトニンやノルアドレナリンを再取り込みするだけの薬で、効果があるかどうか……!」
(なっ……! そ、それって……SSRIにSNRIじゃないか!? り、立派な抗うつ薬だぞ!? どうしてそんな物を、中世の人が作ったんだ!?)
うつ病になると、セロトニンやノルアドレナリンという、神経伝達物質の減少が起こる。
セロトニンは幸せホルモンとも呼ばれ、ドーパミンやノルアドレナリンの暴走を抑えて精神を安定させる作用を持っている物だ。
一方ノルアドレナリンは、物事に対するやる気を高めたり、集中力を強化し、ストレス耐性を付ける作用を持っている。
この二つの分泌量が減少すると、やる気や意欲の低下、不眠や気分の落ち込みと言った症状が見られるようになる。
キュリーの作った薬はその二つの減少を抑える事で、うつ病を改善していく薬なのだ。
「い、一体貴方は……それはライザさんの病気にとって、特効薬ですよ! 私が元居た世界でも使われていた、この時代ではオーパーツレベルの薬じゃないですか!」
「え、そ、そうなんですか!? た、ただ帝都で医療の研究をしていたら、脳に色々な物質が働いているのが分かったから、それを制御できる薬があればと思っただけなんですけど……ご、ごめんなさい! へ、変な事をしてしまって!」
(ごめんなさいって……この人、アインシュタイン並の、本物の天才だ……だから、酷い差別を受けたんだな)
人間は、自分と違う者に対し強い恐怖を抱く生き物だ。
キュリーの頭脳は、この異世界の中でも突出している。それ故に周囲から理解されず、孤立していたのだろう。
「ジゼンさん、キュリーさんの薬があれば、ライザ様を治せるんですか?」
「時間はかかるけど、絶対に治るよ。あとは俺達介護士が適切なサポートを行えば……!」
ジゼンとラウラは頷き合った。
「キュリーさん、私達は、ライザ様を助けたいと思っています。それには、貴方の力が必要なんです。どうか、私達に力を貸してください! お願いします!」
「わ、私の、力が……?」
キュリーは恐る恐る、二人を見上げた。
「……貴方達は、私を叩いたりしないんですか?」
『しません』
「変な事言う奴だって、気持ち悪がったりしないんですか?」
『しません』
「……私を、医者として……信じてくれるんですか?」
『勿論です』
(……本当、なのかな……この二人を、信じてもいいのかな……それなら……!)
「……わかり、ました。私……やってみます!」
◇◇◇
キュリーの使う魔法は、【調合】という物だ。
文字通り、薬効のある植物を薬に変える、ただそれだけの魔法。しかし使いこなすには、薬物に対する正しい知識が必要な、使用難易度の高い魔法である。
「コノハナソウとカブリモドキ、それとダンダン花。この三つを組み合わせると、脳に出す物質を制御する作用が生まれるんです」
キュリーは素材を磨り潰した後、魔法を使った。
すると素材はひと塊になって錠剤へと変わる。抗うつ薬のSSRIだ。
「これがセロトニンの再取り込みを防ぐ薬です。もう一つの、ノルアドレナリンの再取り込みを防ぐ薬もすぐに作りますね」
「お願いします。うつ病には、薬物療法が一番効果的ですから。貴女だけが頼りです」
医療関係に関しては、慈善では手が出せない。キュリーの協力無くして、ライザの介護は成り立たないのだ。
「介護士って、お医者様みたいですね。色んな病気に関しての知識を持っていて」
「他人事みたいに言っているけど、病気や怪我への理解は介護士でも必要だからね」
慈善はあえてきつめに言いつけた。
「介護を必要とする人は、何かしらの病気を持っているんだ。最低限、病状の理解だけでもしておかないと、適切なケアができないからさ。そこもちゃんと教えていくよ」
「……はい、分かりました」
(病気や怪我への理解……介護って、学ばなきゃいけない事、沢山あるなぁ……)
特に認知症とうつ病は、要介護者で多く発症している病状である。
最低限これら二つと廃用症候群への理解はしておかなければなるまい。
「でも、心が疲れて起きた病気だと……お薬だけじゃダメですよぉ。きちんとした休養、とくにストレス発散が重要です」
「あ、言われてみれば、ライザ様は寝たきりでしたね。外へ無理やり連れだしたら逆効果だろうし……記録帳を見せて貰っていいですか?」
ラウラはライザの趣味趣向に目を通した。
すると彼女の趣味に、温泉と書かれている。ラウラはピンときた。
「お風呂が好きみたいですね。確かレジーさんが言ってましたけど、この里には温泉があるとか?」
「はい。ライザ様が【創造】で作り出したんですよ。まだ元気だったころはよく入られていましたけど、今はタオルで体を拭くくらいしかしてないですね」
「そうなんですね……ジゼンさん、お風呂ってストレス解消になりますか?」
「うん、なるね」
確かに入浴は、うつ病の治療に効果的だ。
体が温まるだけでなく、水圧で全身がマッサージされ、足に溜まっていた血液を押し上げる事で血液循環が良くなり、自律神経を整えて不眠の解消にもなる。
加えてアメリカの医療機関によれば、湯船につかる事で孤独感を解消し、強いリラックス効果を与えるともいわれている。
体を清潔に保つ事で健康状態の向上も期待できるため、上手に活用できればうつ治療の大きな手助けになるだろう。
「寝室でもお風呂が楽しめる方法……ジゼンさん、何かありませんか?」
「入浴か……」
慈善は前世の経験から、使える物がないか探してみた。
すると一つ、適してそうなものが転がっていた。
(そういや就活の時、訪問入浴の会社を何社か受けたな。労働条件が合わなかったから就職は見合わせたけど、いくつか職場見学をして機材を見せて貰ったっけ)
その道具を作る事が出来れば、室内での入浴は可能、かもしれない。
「……俺達だけじゃ無理だな、色んな人の手助けがないと。でもやる価値は十分にある」
「それじゃ、声をかけてみましょう! クロムさんにカイトさん、他にも介護の仕事を通して知り合った人が沢山居ます。その人達の力を借りる事が出来れば!」
「うん、介護は一人でやる物じゃない、沢山の人が力を合わせて初めて成立する物だ。皆でライザさんを、お風呂に入れてみせよう!」
ライザの心を救うため、慈善とラウラの入浴作戦が始まった。




