九粒目
囚人に来るなと言われた日は、そんなことを言われなくても行けない大事な用事があった。
弟のジャスパが、学び舎の寮に引っ越す日なのだ。
持ち物なんてない。支度はすぐに終わった。シャスカも母も、ジャスパにあげられるのは、一着の服と抱擁だけ。
シャスカは、今日はコルミー拾いの仕事は休んだ。今日ジャスパと別れたら、それでおしまいな気がしていた。ジャスパのために今まで我慢することも多かったけれど、大切だからこそ、できた我慢だ。最後の一日は、一緒にいたかった。
ずっと母にしがみついているジャスパの頭を撫でる。
――へなちょこのジャスパは、一人でちゃんとやっていけるのかな。
そんな心配も抱えながら、砂っぽくてがさがさした髪の毛を指で梳いた。
一度学び舎に入れてしまえば、あとは学びながら、学費も生活費も、学びの合間に本人が稼ぐことが出来る。初歩的なものであっても、教育を受けた子どもは働き手として貴重だ。短い時間でも働ける場所はたくさんある。
入学金を貯め、払い終えた今となっては、シャスカたちがジャスパにしてあげることは何もない。あとはジャスパの頑張り次第。
「ジャスパ……お母さんは任せて。頑張って来てね」
「うん!」
本当にわかっているのか。元気に返事をするジャスパに、シャスカの不安は募る。母は複雑な感情を瞳に浮かべるばかりで、ジャスパに何も言おうとしない。ただ、愛だけはしっかりと胸に。一緒にジャスパを抱きしめている。
「そろそろ、行かなきゃ」
空はまだ明るい。けれど、日が沈む前にジャスパを学び舎に送らなければならないのだ。シャスカがそう言うと、母は名残惜しそうに、ジャスパを手放した。
「いってらっしゃい。貴方が健やかに生きてくれれば、私は十分だから。寒いときは暖かくすること、無理はしすぎないこと、夜道はできるだけ歩かないこと、変な人についていかないこと、悪い人と仲良くしないこと、喧嘩はしないこと。元気でね。シャスカ、送ってあげて」
「うん」
「お母さんは一緒に来てくれないの?」
ジャスパは無邪気に問う。母は「ごめんね」とだけ言った。何かを察したのか、ジャスパは素直に頷いた。立ち上がり、繋いだシャスカの手に、ぎゅっと強い力が加わった。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
二人で歩く道は、毎朝通った道と同じ。学び舎は、コルミーの倉庫に近い場所にあった。言葉を交わさずに歩く二人の足元を、青色のトカゲがジージーと鳴きながら走り抜けていった。いつもならはしゃぐであろうジャスパは、神妙な顔で、シャスカと繋いだ手に視線を落としたっきり、黙々と歩いていた。
コルミーの倉庫がすぐ目の前に見えるところで、ジャスパは足を止めた。じっとシャスカを見上げる、ただ一人の弟の顔を見て、シャスカは気づいた。
ああ。
――この子も、我慢してるんだ。
いったい幾つの言葉を飲み込んだのだろう。何度ものどを上下に動かして。涙目になって、やっとジャスパは絞り出すような声で言った。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「うん」
最後にもう一度だけ、思いっきり抱きしめてから。
シャスカとジャスパは、家と学び舎へ。正反対の道を歩き出した。




