2歩目
「獣人の調査、ですか?」
藤堂 澄香は、職場である獣医学研究所のデスクにてコーヒーを嗜んでいたところだった。
「そうだ。お前にそれを頼みたい。隣国に実際に行って調査してもらいとの依頼があったんだ」
上司の塚原は、椅子に腰掛け緑茶を飲みながらそう言った。
「そんな…私は今年派遣されたばかりの新人ですから、経験も浅いですし、先輩方の代わりにはとてもなれませんわ」
澄香は大きくかぶりをふって否定した。
少々動きが大きいきらいのある女性なのだ。そのことが、ただでさえ童顔の彼女をより少女らしくみせていた。
「お前、隣国のエドラーのことは知っているか」
「はい、聞いたことはあります。田舎の森の奥に位置する国で…最近国交が始まったと」
「そうだ」塚原は湯呑みをデスクに置き、澄香を見てこう言った。
「そこには獣人が住んでいる、そうだ。明らかに我々とは先祖を分ける生物だが、国を作っている。エドラーの奥には他の国もあるらしい。研究者どもが好みそうな題材なこった」
澄香は、コーヒーに口をつけずに塚原の話を聞いていた。
「そこで私たちに白羽の矢が立てられた、ってことですか」
強張った澄香の声が震えながら問うと、塚原も隠そうとはしなかったらしい。
「んーまぁ、そういうことだ。ヒトの専門家、獣の専門家、どっちを行かせるか一悶着はあったらしいけどな」
そこまで言うと、塚原は湯呑みを手に取り、茶に口をつけた。
「でも、私、動物は好きですけど…獣人なんて見たことないんです!怖いんです!妙齢の女性を行かせることに抵抗はないんですか⁉」
澄香は悲鳴のような声を上げた。
「ないね。お前なら心配はいらない」
塚原は椅子をくるくると回し始めたのを見て、澄香は口をぽかんとあけたままになった。
「なんで」
「だって正義感強いもん。あと運が強い。やるべきところをきちんと抑えることのできる女だよ、お前は」
塚原は澄香にとって、ちゃらんぽらんで訳のわからない上司だったが、心の底では信頼していた。
運が強い…私は運が強いのか、そっか、と澄香は呟いた。
「獣人…とコミュニケーション、とれるのかなぁ…」
澄香は自分の長い髪をくるくるといじり始めた。彼女の、困ったときの癖である。
「ま、そこは言葉通じるらしいし、いいんじゃないのか?お前も獣医の実地研修だと思って学んでこいよ」
その言葉に乗せられて、藤堂澄香は、隣国エドラーの首都へ向かうことになったのだった。
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晴れた午後の森は、強い日差しを遮る良い日陰になってくれていた。
「歩いても歩いても歩いても…、森ばっかじゃない…誰よあと少しって言ったのは」
「俺だな、パット…悪かった」
しかし、獣道を歩くパットと呼ばれた少女と、男性の足取りは重い。
重量のあるリュックと数日の野営が、少女を疲弊させていることをよく表していた。
「バルドは良いわよ…どうせ軍で鍛えられてるんでしょう」
「それはまぁそうだが…」
「気のせいかさっきから頭が痛いわ、もうだめかも…」
そう言うと、パトリシアの足取りがおぼつかなくなり、バルドに倒れかかった。
「おい、パトリシア!くそ…俺が野郎の相手ばっかしてたからこういうことになるんだ!…とりあえず、この先の街まで我慢してくれ」
さっきまで普通だったパトリシアの呼吸は早くなり、身体がすっかり熱くなっていた。
「……分かった、街までよ」
バルドはパトリシアの手をとり、もう少しで着くはずの街へと急いだ。