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黒王  作者: 神谷唯人
1/3

プロローグ

コミケで自作した小説です。

気が付いたら380Pを超える長編となってしまいましたので、少しずつ掲載していきたいと思います。

挿絵(By みてみん)

 ある初夏の日、一つの国が無くなった。

 国の名はレーベン。

 国土の半分以上は山に囲まれ、豊かな自然と資源に恵まれた国だ。唯一平地に立っている街並みがレーベンの全てと言ってよいだろう。人口は2万人以下の小国である。

 歴史自体は隣国に比べて長く、レーベンという国が建国されて五百年の時が経っている。

 しかし、文明自体は他の国々と比べて発達していない。長い歴史が逆に、レーベンに住む人々の古風な考え方を植え付けたのが原因だろう。発展と言うものが、善なることではないとされていたのだ。

 鎖国的なことも影響していただろうか? レーベンは他の国とは極力交流を避け、独自の文明と社会を持って、それを「正」とし、他国との文明を拒んでいた。レーベンには国を守る武力というものが他の国に比べて、圧倒的に遅れていた。

 ゆえに、隣国であるクロイツが、武力と宗教により、急激に成長を遂げていたことにまるで気づけなかった。

 クロイツはレーベンの後に建国された国だが、鎖国なレーベンとは対照的に国々との交流を深め、山を開拓して領土を広げ、わずか百年でレーベンの倍以上の国土と人口を作り上げていた。

 そして、レーベンが建国されておよそ八百年。クロイツが建国されておよそ七百年。

 クロイツは今や、大国として名を残し、隣国の国々からは畏怖とされる存在とまで成り果てた。

 領土拡大は他国の土地までに影響し、大国と宗教による宿命か、数々の戦争が生まれ、そしてまた終わっていた。

 当然、その影響は隣国であるレーベンにまで及ぶ。

 もとより小国であったレーベンは、隣国であるクロイツに侵略戦争を仕掛けられ、あえなく国としての生涯を閉じる。

 大国クロイツの猛攻は、レーベンの抵抗など歯牙にもかけず、圧倒的な武力を持って領土を支配していく。

 これはもう、戦争ではない。ただ、一方的な蹂躙。

 今となっては、レーベンの十倍以上の人口と領土を持ち、戦争によって武力と知識を付けたクロイツにとって、レーベンという国はあまりにも小さすぎた。

 クロイツの上層階級にのみ扱える、魔法とも呼べる存在『神聖術』が決定的となり、小国とはいえ、わずか十日間にてレーベンという国は敢え無く敗戦国として地図からその名を消した。

 これは、そんな話である。



 終戦。レーベン城跡地。

 クロイツとの戦争に敗れたレーベンは、先日まで平和であったであろう景色はもうなく、無残にも燃え盛る城や街並み、勇敢にも戦った兵士や逃げ遅れた市民の死体だけがその場を占めていた。

 それらが燃え盛るレーベン城の外層で、二人の男が終戦の余韻を感じながら、周囲の様子を見渡す。

「気が乗らんな……こんな神聖術すら使えない国に攻め込むなどと……」

 燃える城を、どこかつまらなそうな目で、シュタール・ソルダートは見つめていた。

 身長が二メートル近い、巨漢の男である。

 全身がやや筋肉質で、とにかくガタイが良い。腰にかかっている、クロイツで正式採用されているロングソードが小さく見えるほどだ。

「言うな。王の命令だ。……それに、もう終わってしまったことだ」

 ため息交じりのシュタールの言葉を制止し、たしなめるように、アーベント・グランツは呟いた。

 こちらはシュタールと違い、長身ではあるが、細身の男である。

 クロイツ帝国の兵士である二人は、ふもとの町で騒いで祝杯を挙げている他のものと違い、戦争の勝利を喜ぶのではなく、ただ漠然と燃える城を眺めているだけであった。

 もとより、残党の掃討や城の結末を見届けるために、小隊規模の人数は残らなければならないため、勝利に酔いしれて酒を浴びるより、静かにできるこちらの任を買って出たのだ。

 しかし、それはすぐさま後悔することになった。

 自分らが蹂躙した地を眺め、燃えゆく城をただ傍観しているだけの任などあまり良いものではない。

歴史の長さで言えばクロイツよりもレーベンの方が長い。この燃えている城とて、歴史的価値が高く、その造形には昔ならではの趣があったはずだ。

 それが壊れ、傾き、燃える。

 それが自分達のしでかした事の大きさを物語っているようだ。

 戦争とは言え、わずかながら罪悪感を覚えるのは無理のないことだろう。

「しかし……夏場にこの炎とくれば、さすがに参ってしまうな」

 シュタールは、炎の熱で浮かんだ汗を手で拭う。

「シュバルツブルグの炎は、術者の意思で消さない限り消えることはない。対象が灰になるまでな」

「忌まわしき炎だ」

 炎の神聖術で有名な、シュバルツブルグ家の力は此度の戦争の立役者である。

 燃やすのは城などの建物だけではない。当然その能力で、幾度となく大勢の人々を灰にしていた。

 公爵家でありながら、自ら先頭に立ち兵を率いた、その度量と能力によって、今では戦争の英雄となっている。クロイツに帰還すれば勲章も贈られるであろう。

 しかしながら、シュタールはこのシュバルツブルグ公爵がどうしても好きになれなかった。

 自ら先頭に立ったと言えば聞こえはよいが、実際は先頭に立つことによって、レーベンの民という獲物を横取りさせないためである。

 彼の趣味は、お世辞にも良いとは言えない。人が燃え、灰になるさまを見るということだ。

 戦いは嫌いでないものの、弱者をいたぶり、罪なき者を殺す趣味などシュタールは持ち合わせていない。隣にいるアーベントとて同じ心境であろう。

 よって、シュタールにとってはこのシュバルツブルグの炎は忌々しいもの以外なにものでもない。熱く、朱色の輝きを持った炎は、まるで昼間のように辺りを照らしていた。そんなことをできるのは太陽だけで十分なのだ。

 そんな炎を見ていると、こちらに一人、男が近づいてきた。

 やや貧相な顔つきをしているが、こちらと同じクロイツの鎧を纏っている。違いがあるとすれば、胸に大きな十字架があることであろう。

「これは、シュタール殿にグランツ殿ではありませんか? 此度の某の耳にまで届いておりますぞ。特にシュタール殿はレーベン王の首を取ったとのこと」

「フリーゲか……」

 フリーゲと呼ばれた男は、にこやかな笑みを浮かべつつ、シュタールの英断を称賛した。

 レーベン王の首を取った。

 この、フリーゲという男の言った通り、シュタールはこの戦争でシュバルツブルグ公爵に引けを取らない、むしろそれ以上の戦勲を挙げている。

 クロイツに帰還すれば、勲章を受け取るであろうし、あるいは爵位をいただくかもしれない。

 しかし、シュタールはそれを誇りに思うことはない。

 王の首を取ったといえば聞こえはよいが、やっていることはシュバルツブルグ公爵と同じ、ただ一方的な蹂躙であった。

 レーベン城では若干の抵抗はあったものの、ほとんどの者が戦いを知る者がおらず、不器用にも剣や弓を飛ばすものがいただけだ。神聖術を使う貴族の部隊に対しては、足止めにしかならなかった。

 レーベン王とてそうであった。

 おそらく、人に剣を向けることですら初めてであったのだろう。ふるえる手つきで必死に立ち向かってきたものの、素人同然の腕ではシュタールにかすりともしない。能力の有る無しに、熟練度が違い過ぎた。

 シュタールの行った行動は、振り払いの一撃。

 まだ若く、成人したばかりとも思えるレーベン王は、無残にもシュタールのたった一撃で絶命することになる。

 そして、奥の部屋には、腹を裂き自害したと思われる王妃の姿があった。 

 こうして、レーベンへの侵略は終焉を迎え、今に至る。教会の者が戦地に来るのは、こうした後始末の時だ。

「して、教会の者が何の用だ?」

 要件を知りつつも、シュタールは問を掛けた。

「無論、仕事で……。此度の戦争で亡くなったクロイツの民を、天へと送るのが私の仕事ですから」

「クロイツの民をか……」

 ならば、レーベンの民はどうなるのであろうか……。

 此度の戦争、そもそもが間違いであったような気がしてならない。

 なぜクロイツはレーベンを進攻することになったのだ?

 彼らは我々クロイツの民に何をしたというのだ?

 一人の兵士でしかないシュタールが考えても、その答えは返ってこない。戦争とはいえ、自分で他国まで行き、自分の手で人を殺したのだ。せめて、その理由を知る権利はないのであろうか?

「フリーゲよ……。此度の戦、なぜ起きたか知っているか?」

 教会のものならば、『本当』の理由も知っているかも知れない。わずかながらも期待し、シュタールは問いた。

「勿論ですとも。……このレーベンが神の意を背き『魔術』の研究を進め、クロイツの民を危険に晒そうとしていたからです」

 フリーゲの言ったことは、クロイツ王より宣言された戦争の理由であった。

 しかし、シュタールはそれが仮初の理由でしかないことを知っている。そういうことを聞きたいのではないのだ。

 魔術。

 その名のとおり、『魔』を用いた術である。

 クロイツは昔から、理解しづらい超常現象や、神に背くような不思議な力を持ったものを魔術としている。

 シュタールが見た限り、レーベンの土地や城で、およそ魔術に関わるようなものを見たことはない。

 仮に研究されていたとしても、個人で行える位の僅かなものであったのであろう。とてもではないが、クロイツの民を危機にさらすようなものではないはずだ。その程度であるならば、他国でも研究されている。

 城を即座に火のかけたのも、それを誤魔化すためであるような気がしてならなかった。

 魔術の研究などをしていなかった。……その事実を隠すために。

 そもそも、魔術うんぬんを言うのならば……。

「だが、結局は神聖術だ」

 シュタールの言ったとおり、クロイツの使う神聖術と、魔術の違いは厳密にはない。というよりか、同じものである。

 しかし……クロイツでは厳格なルールがあった。

「それは違いますぞ。神なるものに選ばれた、我らクロイツの者が使えば神聖術ですが、異成る者が使えば、それは魔術なのです」

「異教徒は人であらず……。生れた場所が違うだけで神の恩恵が与えられぬとはな……」

「それが全てでございます」

 フリーゲの言っていることは間違いではない。

 レーベンとクロイツと言わず、クロイツだけ見てもそれは変わってくる。

 例えるのならば、貴族と平民。

 生まれる場所の違いだけで、生活の基準が大きく変わり、生と死すらも左右されてしまう。

 貴族に生まれたシュタールは、間違いなく平民と比べて幸福な人生を送ってきたであろう。すくなくとも、明日の食事に困ることもない。病気になれば医者に診てもらうことはできた。

 フリーゲの言葉を理解できても、納得はできない。しかし、反論ができないのも事実である。

生まれだけですべてが決まってしまう人生など、面白いものではないと感じてはいるが、そう思うことですら、裕福な生まれを歩んできたからであることを知っているからだ。

「シュタール殿の英断も、奥方も知れば、さぞかしお喜びになられるでしょう」

「…………」

 シュタールはすでに、守るべき者がいる立場にいる。

 どんなに国王の命令やシュバルツブルグ公爵が気に入らなくとも、今はそれに従うしかないのである。

 自分が勝手な行動をとれば、その多くの代償が妻のもとに降りかかるであろうことは、容易に想像できた。

 もっとも、戦地に赴くことを反対していた妻が、戦場でいくら功績をあげたとしても喜ぶとは思えない。

 だからか、シュタールはそんなことはなるべく考えないようにした。結局は、自分は淡々と燃える城を見続けるしか出来ないのである。

 もうすでに、戦争は終わっているのだから……。

「……む?」

 シュタールは城の方を見直すと、一点、妙な場所を見つけた。

「気づいたかシュタール。……あの場所だけ少し妙だ」

 燃えるはずのない石や鉄も、容赦なく炎に包まれているが、ある一点だけ、まるで炎みずから避けているかのように、火の手が上がっていない。

 シュバルツブルグの炎は、術者の意思で燃やしている。そのため、材質や場所などはあまり関係ない。強力な術式だと水の中ですら火がつくと言われている。そんな炎が届かない場所などがあるのだろうか?

「行ってみるか……」

「き、危険ではありませぬか?」

 未だに燃え続ける炎をみて、フリーゲは怖気づく。もともと戦士ではないので、仕方ないことではあった。そこだけ燃えていないとは言え、その周りは炎の海である。

「問題はあるまい。……そろそろ時間だ」

 ぶわっ!

 その言葉がきっかけのように、周りの風景がガラッと変わる。

 あれだけの炎が、一瞬のうちに消えたのである。

 術者であるシュバルツブルグ卿が術を止めたからだ。時間が来れば炎が止まるようにできている。

 昨日は立派な城がシュタールの前に立っていたのだが、ただの廃墟と化した城を見て一瞬寂しさのようなものを覚えたが、やはり今は考えない方がいい。

 それよりも、目の前にある事態が優先である。やはり、城の一点だけ燃えていない。周りに比べて明らかに浮いていた。

「隠し部屋……」

「というよりも、隠し通路のようだ。……どうやら神聖術を防ぐ材質を使っているようだ」

 おそらく、王室のどこかに繋がっているはずだ。

 このような通路は別に珍しくはない。むしろ当然のことと言えよう。

 気になることは、このような通路がありながら、レーベン王はこれを使わなかったことだ。どのような状況を想定していたかは知らないが、無駄に終わったということである。

 もっとも、周りが火の海であったことから、この通路を使おうが脱出できたとは思えない。

 シュバルツブルグが城への先陣を切らなかったのは、炎で退路を断つ後詰の役を成したからである。

 アーベントはさらに近づくと、ピクリと何かを感じ取った。

「中に人がいるようだな……」

 まず、間違いなくレーベンの者であろう。

 アーベントは、石で造られた脱出経路の出口と思われる戸を、無理やりこじ開けた。

 長年使用していなかった様子だが、シュバルツブルグの炎を防ぎきるところを見ると、かなり丈夫に作られていたことが分かる。

 光が射すことによって、人の輪郭が浮かび上がってきた。

 小柄で、何かを抱きかかえている女性だった。

「――ひぃっ!」

「残党ですかな?」

 とっさにフリーゲは剣を抜き、切っ先を女に向ける。

「やめい。もう戦争は終わった。たかだか女人の一人、見逃してやれずにどうするというのだ」

「……シュタール殿がそうおっしゃられるのなら」

 しぶしぶ、シュタールの言葉にフリーゲは従った。

「……それは、赤子か?」

 女が抱えているものを見ると、それが小さな赤子であることが分かる。この女の娘であろうか?

 シュタールは女の顔を確認すると、妙な疑問が生まれた。

 子を産んだ者にしては若く、またどこか母となった顔にはなっていない。少女の顔であった。

 そして、赤子の身をまとったローブ。その端には、レーベンの紋章が刻まれていた。

 この紋章の印を刻んでよいのは王族貴族だけである。ただの少女が持ってよいものではないのだ。

 考えられるのは、この少女が城から持ち出したことだが、その持ち出した貴重なローブを赤子にまとわせるのは考え難い。ましてや、ローブには血と思われる赤いシミが大量に付着していた。これでは売り物にもならないであろう。

「怪我は……していなさそうだな」

 血が付着していることから、少女か赤子のどちらかが怪我をしているように思えたが、どうやら違うらしい。

 少女の方は怪我を負っていないのが見てわかる。赤子の方は、このような大量の血を出していたら致命傷であろう。赤子は死んでいるように思えたが、かすかに見える息遣いがこの赤子が生きていることの証明であった。

 なにより、この赤子。見た限り生まれてそう時間がたっていない。裸であったのは、服を着せる余裕がなかったからか?

「そこの婦人。……その赤子は貴女の子ではありませんな。その子の名を教えてもらいましょうか?」

 少女は、何か戸惑っているかのように考え込むが、次第に口を開いた。

「……リヒト・レーベン様でございます」

「――レーベンだとっ!」

 予想以上の人物で、一瞬言葉が詰まった。

 その名を受け継ぐ者は、王族関係者のみだ。

 到底、見逃せない人物である。

 その言葉づかいから察するに、この少女は城の侍女だったと思わされるが、そのようなこと、もはや些細な出来事に代わってくる。

「おお、シュタール殿! これは好機でございますぞ。この赤子を斬ればシュタール殿の英断がまたひとつ増え、爵位をもらうことも夢ではありませぬ」

「――っ!」

 赤子を切るという言葉に、少女は赤子を守るように縮こまった。

 先ほど、自分がうかつに名前を言ったことを後悔しているのであろう。

「し、しかし……騎士が一度言ったことを放棄するなどと……」

 シュタールは、戸惑いつつも、状況を整理しようとする。

 友であるアーベントも、何かを考え込むように黙って状況を把握するのに勤しんでいた。

(レーベンの名を持つ子がこんな場所に……。いや、レーベンの名をもつ者だからこそか?)

 だが、レーベン王や王妃がなぜこの通路を使わなかったのだ?

 王を置いて、このような生まれたての赤子や侍女の少女を逃がそうとするのならば訳があるのであろう。

 子供は尊いものであるが、王が自ら逃がす理由などはない。

 まさかであるが……。

「……レーベン王の子なのか」

 そして、先ほどまで疑問に思っていたことが、最悪の状況を予想させる。

 時間を稼ぐような、レーベン王の振る舞い。

 奥の王妃が、腹を過分に裂き、自害していたこと。

 生まれて、まだ間もない赤子……。

 仮に……。

 仮に、クロイツの進攻を前にして、身重であった王妃がまともに子を産み落とす時間などがなかったとしたら……。

 腹を裂いたのは、自害ではなかったとするのならば……。

「ま、まさか……自ら腹を裂き、子を取り出したというのか……」

「――っ!」

 図星をつかれたからだろうか? 少女の表情が悲しみで染まる。

 その表情が、今の仮説が真実であることを伝えていた。

「なんと言うことだ……」

 シュタールとアーベントはようやく理解した。

 なぜ、レーベン王がこの通路を使わなかったのか?

 なぜ、素人同然の腕で、シュタールの前に立ちふさがったのか?

 決まっている。時間稼ぎのようなものではなく、時間を稼いでいたのだ。

 自分の妻の「出産」の時間を……。

 おそらく、投降という道はあり得なかったのであろう。クロイツは捕虜をとらず、捕まえた兵はすべて処刑されていた。王や王妃が投降したとしても結果は同じであろう。クロイツにとっては、レーベンは邪教徒以外のなにものでもない。相手が妊婦だとしてもだ。

シュタールは、ふと、クロイツで自分の帰りを待っている妻を思い出した。

 レーベン王妃と同じく、身重であった。

 妻は、最後までこの戦争に参加することを反対していた。自分とこの腹の子のために生きるべきだと言っていたからだ。

 無論、王の命令は妻の言葉よりも重い。個人的な感情で、一騎士隊の長を務める者がその規律を乱すわけにはいかず、気には乗らないが戦争には参加することになった。

 妻も最後には理解を示し、自分の腹をなでながら言い残した。

『国のためではなく、この子を抱くために戦ってください』

 その言葉が、今になって強烈に耳にと届いた。

 自分はここで赤子を殺し、その手で我が子を抱けるのか?

 生まれてきた我が子に、父は立派に戦ったと言えるのか?

 シュタールは、己の剣を握り、力を込めた。

 赤子を殺すのは恐ろしく簡単だ。今自分の握った剣を抜き、赤子に突き立てるだけでよい。

 たったそれだけで終わる。本当に簡単なことだ。

 なのにだ……。

 それだけのことなのに、自分には遙か不可能とさえ思えてくる。

「できぬ……戦う意志のないもの、ましてや女、赤子まで……」

 シュタールの失意は、当然と言えた。

レーベン王の状況は、どうしても自分と重ねてしまう。もともとあった罪悪感が、強力な後悔へと変わっているのだ。

「ぬぅ……帝国の英雄は日和ましたか。……いいでしょう、ならばワタクシめがその役目を頂戴いたしまする」

「ひっ!」

「女の方は生かして部下にでも与えましょうぞ」

 フリーゲは再び剣を抜き、赤子に切っ先を向けた。

「待て!」

 意外にも、その言葉を放ったのは今まで静観していたアーベントであった。

「クロイツの敵ならば、俺が斬る……」

「あ、アーベント!」

 フリーゲは手を頭に置き、思考した。

 どうすれば一番自分に利があるかを考えているのだ。

「……ふむ、確かにグランツ殿は、この戦でろくに成果を上げておられぬ。ここは譲ったほうが得策ですか」

「……助かる」

 フリーゲは、剣を引きその場を譲る。

 教会の人間は戦争で敵を倒しても功績にはならない。場が違うからだ。ならばここは譲り、恩をきせておく方が有益と判断してのことだった。

「どうか……どうか、お情けを! この子は生まれたばかりなのです」

「自分の心配ではなく、赤子の心配をするとはな……。見上げた忠誠心だが、いずれその赤子はクロイツの敵になる。放ってはおけない」

「よ、よせアーベント!」

 シュタールは、言葉でアーベントを止めようとしたものの、身体は動かない。クロイツのことを考えると、赤子はここで殺しておいた方がいいのもまた事実である。

後悔と懺悔、そして国への忠誠心が叫ぶことだけしかできなかった。

「天へ帰るがいい!」


 ズバァ!

 アーベントの剣が振り落された。

 容赦のない。まさに一撃。

あたり一面が赤に染まった。

 ……しかし、少女や赤子には、傷一つついていなかった。

「……ぐ、グランツ殿……キサマ、何を……!」

 フリーゲが悲痛な叫びを残しつつ、地面に倒れこんだ。

 アーベントは少女や赤子を切らず、隣にいたフリーゲを切り裂いたのだ。

「俺はクロイツの敵を斬ると言ったはずだ……。このような者はクロイツには必要ないだろう」

「お、おのれ……異端者めが……」

 フリーゲは、わずかにぴくぴくと痙攣した後、静かに息を途絶えた。刃は完全に致命傷をついており、即死ではないものの、それに近い状態であった。

 少女は呆然とその光景を見つめていた。

 まだ、自分の周りで何が起こったか理解できていないのであろう。

「アーベント……お前は……」

 いち早く状況を理解したシュタールは、不思議と『なぜこんなことをした!』という、言葉は出てこなかった。

 友であるアーベントの性格を理解しているからだ。

アーベントは剣の腕は一流であるが、騎士とは向かない。間違っていることは、国に対しても反抗の意を示す者だったからである。

「……どうするつもりだ?」

ゆえにシュタールは、「何故?」ではなく、これからのことを聞いた。

「身を隠すさ。まだ死ぬつもりはないからな」

「クロイツは、お前が死ぬまで追い詰めるぞ」

「知っている。だが、遅かれ早かれ、俺は同じことをしていただろう。後悔はないさ」

 アーベントがこれまで、国に対しての反抗は一つや二つではない。そのことを考えると、確かにアーベントの言っていることは事実ではある。

 しかし、シュタールはそれも、クロイツという国のために行っているのも知っている。クロイツ帝国をより良き国になるために身を削ってのことなのだ。自分などよりもよほどクロイツを大切にしている。アーベント・グランツとはそういう男だ。

「クロイツのために、クロイツの敵になるのか?」

「買い被るな。自分のためだ」

 アーベントのその言葉は、シュタールには自分に言い聞かせているように聞こえていた。

「……すまぬ」

「お前のせいではない。……それに、このような役目は独り身の者がやることさ。家の方もどうせ没落している」

 それは違うと、シュタールは思う。その役目は自分が負うべきものだ。

 他でもない。この赤子の父を殺し、母を死に追いやった自分が……。

 アーベントは剣を収めると、少女の方を向く。

「気丈な女だ。立てるか?」

「……はい」

 少女は、ただ茫然と目の前で起こっていることを見ることしかできなかったが、悲鳴も上げず、状況を理解しようと努めていた。それだけのことかもしれないが、この状況下では大したものだったのかもしれない。

「その赤子は、通常の出産で生まれた子ではない。早めに医者に診せた方がよいだろう。この場で泣き声の一つ上げないのも気になる」

「それは……。薬で眠らせてあるからです。泣き声でリヒト様の場所を知らせるわけにはいきません。本来は子供に使わせる薬ではないのですが……」

「なるほど、しかし、どちらにせよ医者に診せた方がよさそうだな」

 シュタールは、何もできなかった自分を呪った。

 これでは己の罪を、友であるアーベントに擦り付けただけではないか……。

 友であるアーベントは、このまま国を去ることになろう。

 自分はこのまま見ているだけなのか?

 ならば、せめて自分ができることをしなければならない。

「…………初めてシュバルツブルグの炎に感謝せねばならぬな」

「シュタール?」

「あの炎は対象が灰になるまで消えることはない。死体の一つや二つ見つけられなくても不思議ではあるまい」

「…………」

「……行ってくれ。我はこの後、神官フリーゲと我が友アーベントが敵の残党によって命を落としたことを報告せねばならぬ」

「シュタール……お前……」

 それが今の限界。

 シュタールは、己の情けなさに自害すら考えていたが、本国の妻を思うと、それすら許されないであろう。

 レーベン王を殺し、一時的に英雄などと呼ばれていたが、なんてことはない。自分はただの卑怯者である。

「感謝する。我が友シュタールよ」

 感謝などという言葉を、今の自分に言ってほしくはなかった……。

 クロイツのために赤子を切ることも、アーベントのように己の正義を貫くことすらできなかった。

 これが戦争だからと、言い訳などはしたくはない。

 どう言いつくろうが、自分は人殺しであり、罪人だ。

 戦争は人が起こすものであるが、悲しみや怒り、情をなくしては人でなくなる。

「……さらばだ。アーベントよ」

 赤子の名は、リヒトと言っただろうか……。

 おそらく、あの赤子の人生は壮絶なものになるだろう。

 平穏だったはずの国である王子に生まれ、約束された人生を歩むはずだった者。

だが我々の手によって、生まれて間もなく転落の人生を歩むことになる。

 せめて……。

 せめてこの先、彼の者が幸ある人生を送ることを祈ろう……。


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