砂漠行
落下する空中都市から抜けだした一行は砂漠を歩く。
いち早く気づいた、ことになっている大先生の第一声によって、手遅れになることだけは回避できたようだった。
向こういっぱいまで広がる地平線にこちらまで辟易する。
長きを行くのにこの人数だ。ましてや、つい先日まで対立していた2大勢力の間にストレス以外のものがあろうか。
「隊長さんはなぜマナさんを選んだんですか?」
ストレスに紛れ、ミネが余計なことを聞く。
できるならば、すぐにでも止めてきついお灸でも据えてやるところなのだが。
「資質を感じたからだよ」
「何をするための資質なのでしょう」
間髪入れず踏み込む。
大先生は反応の速さに驚きつつも
「ちょうどいい。あの不肖な生徒よりも物分りの良さそうなミネ君にはゆっくり教えてあげよう」
俺に対する評価はこの頃になっても変わっていないようで、安心する反面炙るような怒りがこみ上げる。
「道のりは長いですからね」
「私は止めてやりたかった。自分の分身とも言える彼を」
「……結論からですか。では、その過程をどうぞ」
真剣な眼差しを向けるミネに対して、大先生は満足気に続ける。
自分のことのように感じられるが、そうではないとはっきりとわかる。
なぜなら、俺と大先生との間には超えることのできない隔たりがあったからだ。
さらに言えば、大先生の語る人物を補足したことがあるからだった。
「道を違えた別人格がいた。裾を分かったと言ってもいいかもしれない」
「何かのたとえでしょうか……。そうですね、さしずめ子供か恋人かといったところでしょうか」
独自解釈で進めようとするミネに大先生は興味なさげに「それでもいい」と付け足す。
後方から喧騒が聞こえる。
しばらくして騒いでいた一部隊が離れていく。
いらだちの相互連鎖か、追い出されてしまったようだ。
思えば、神殺しの丘も大きくなったものだ。
俺がいた頃と違い、印象操作に力を入れた旧友たちは瞬く間に勢力を伸ばした。
元から持っていた資質もあってか、今や新生HOを牛耳ろうかというところまで来ている。
「彼にHOの管理を任せてみた。彼のためでもあったし、半ば共同研究みたいなものでもあった」
「裾を分けたのにですか?」
一人二人と道々、通りすがりとも思えない数の人が同じ目的地へと向かう。
一見して大行列なのだが、俺のような漠感を持たない一個人視点では、大河に流れる一枚の笹の葉のような気分だろう。
空中都市が落ちて以来、動き出したHO本来の動きにプレイヤー全体が反応した結果だった。
本来、全体目標のあるゲームだったHOは、たったの一点、空中都市の落着をもって時を刻み始めた。
まるでチュートリアルの繰り返しで、時が止まっていたHOが動き出したのだ。
「今の私たちと君たちと同じようなものさ。目的が同じで、なおかつ食い合わないなら協力もやぶさかではない」
「それに、HOの管理とはまた大きく出ましたね」
無視して大先生は続ける。
「しかし彼はそれでも満足しなかった。ああいや、途中で目的が食い違ったのかもしれない。そのへんに関して正確なことは知らないが……」
「任せてみたと言う割にはひどく甘い管理体制ですね」
ミネはうつむいて歩く。
なぜだろうと観察していると、他人の足あとをたどるようにして歩くことで労力を軽減しているようだった。
砂に足を取られることもない。
途中で飽きてしまったのか、無視して普通に歩き出した。
目的などと言うものが必要なのか。思い思いに楽しめればいいのではないか。
そうしたドクの意思が垣間見える。
それに協力していた玉目や羽馬が、どういうつもりだったのかは推して察するところだろうが、結果に対して動機や意図などということは些細なことだ。
「それは言葉の綾だね。彼を管理することは不可能だ」
「まるで実験動物か、危険な生物兵器みたいですね」
「図らずも生まれてしまった点、以外では近いところがあるね」
そうして、俺がこうなったのも計算違いってことか。
通りで後始末に追われるようにここまで来たわけだ。
もしかしたらHO自体さえも偶然の産物だなどと言い出すのかもしれない。
「そして、彼はHOを乗っ取った」
「それまでずっと彼に任せてたんですから別にいいじゃないですか。管理できないって認めてるんですし、想定すべき範囲内ですよ。……たぶん」
ミネは曖昧な大先生の話に大まかな検討をつけながら返答する。
それはなんの目印もない砂漠に道標を施すように。
「何もなければそうするつもりだったんだけどね。問題が起きた」
「はあ。と言うと?」
「HO利用者の身柄を持って閉じこもってしまった」
ミネはあたりを見回してから言う。
「なるほど。そういえばみんな、あの事件の当事者ですよね」
閉じこもってしまった大権力に対しては、外から宴を開いて働きかけてやるのが筋だが。
強引な手立てでは頑なになってしまう人間の心理を突いているようでいて、その実際は働きかけそのものが強引なことを俺は知っている。
「それでどうにかHOに通じる方法はないかと探した結果、マナ君を介してだけその世界に意思を伝えることができた」
「偶然知り合いだったというわけではないんですよね」
確信じみた口ぶりだった。
「別の目的があったんだけどね。HOと相性の良いメンバーを集めてたんだけど、まさかマナ君だけが本物だったとはね」
完全な貧乏くじだったわけだ。
おかげで異常な経験ができているよ。
ありがとう大先生。
と謝辞を述べたくもなる。
「マナさんのことはわかりました。けれど、その『彼』のことがあまりに曖昧としていて……」
「彼のことは考えたくない。あまりに複雑だ」
今までの流れに身を任せるような態度から一変してぴしゃりと言い放つ。
これは同感だった。
俺が今どんな景色を見て、どれだけの膨大な情報量に飲まれているのか。
考えたくない。曖昧なままにしておきたい。
目前に白い砂漠が広がる。情報の残骸、役目を終えた数字。
それに対して、誰が整理整頓などしてやるものか。
いつまで経っても終わらない徒労から目を背ける。
「聞きたいことはそれだけかい? まあ、もっとあるって言ってももう聞いてあげられないけどね」
大穴を前に、底を見下ろす。
「さあ、砂に身を任せようじゃないか」
大先生は飲まれるように暗闇へ落ちていった。
それに伴って、穴に近い部分から順番に砂が落ちていく。
抗うこともできずにミネを含めたプレイヤーたちが吸い込まれていく。
崩落した砂丘の下にそこはあった。
暗い、黒一色で塗りつぶされた床面に質感はなく。まるで宙に浮いているように錯覚さえする。
輝かしくも色とりどりの色彩に満ちた天井と対比する。それは今まで幾多のプレイヤーがしのぎを削っていたゲーム盤の上である。
息苦しささえ覚えるその空間に俺は寝ついていた。
逃れる術はなく、逃れるあてもなく。そこにあるだけで地上を確認するだけだった。
地上がどれだけ殺伐とした憎しみと闘争に溢れていようとも、いまいるこの真っ暗な空間を見つめているよりはましだった。
そんな地底人の気分で黄昏いると、地上人たちが穴を開けて入ってくる。
白いデータの砂とともに数値構築化された人格者たちが降り立つ。
それはスポットライトのように照らされて姿を現した。
「ようやく全員を連れてくることができた」
徐々に形を成していくそれは大先生だった
体を起こして、努めて悪態をつく。
「わかってるぜ。あんたにとって神殺しの丘がなぜ必要だったのかまでな」
これ以上ない、核心をついた言葉のつもりだった。
仮に違うと言っても強がりに違いない。
「あれほど耳を貸すなと言ったのに……」
珍しく顔をしかめる。
都合の悪い事実だったと言うわけだ。
「たとえばだ」
俺は声高に発声する。そうでなければ喉が詰まってしまいそうだったから。
「えらく押してくるね。みんなが見てるからかな」
微かに笑いながら言う大先生に言われて気づく。
「ああ、思ったより辛いんだ。このあとどんな代物をアップするつもりだったんだ」
「最初はホラー企画だったんだけどね。暫定的なのを置いておいただけでこうなるとは誰が予想できたか」
動きのないHOが、ワールドハッカーの侵食に気づかないのは当然だった。
もし仮に事件より前にドクと玉目が動いていれば、こんなことにはならなかったのに。
「動きづらくて窮屈だ。もう少しどうにかならなかったのか?」
怒りを抑えるのも限界を感じていた。
「その気持もわからないことはないけれど、本当にあれから手を加えることはできなかったんだ。そうでなければ君の手も借りることはなかった」
緊急的な措置だと何度も言っていた。だがそれでも許されるだろうか。
あれから大先生は久しぶりに顔を出したかと思えば、ワールドハッカーと呼ぶ大きな力に対なすために必要だと言って消えた。
それが本当かどうかはわからない。
ただ、今これだけのプレイヤーがあたり一面に降り立っていて一言も発さない。ここが特殊な場であることの証明だと考えてよいだろう。
「俺を一人でここへ送り出した意味は?」
内容を考えれば大先生がいたほうがよかったはずだ。
「おかげであれと対面できただろう?」
「ああ、出会えた。ただそいつ言うにはあんたはろくでもないことをなそうとしているらしいな」
でなければHOなんて空間を立ち上げる必要はなかった。
当然のようにある小汚い背景に吐き気がした。
「失敗しなければ問題はなかったんだけれどね」
「あんたの実験は中途半端だった。だからワールドハッカーなんて引っ張ってきたんだろう?」
元は世界を漂って見ているだけの傍観者だったはず。
生態もなにも、意思疎通もまともにとれたものではなかった。
大先生はそれをただ誘導しただけであり、それがもたらす結果は丁半博打もいいとこだった。
「誤解があるようだね。引っ張ってきたのではないよ。私と彼は惹かれ合う。いわばソウルメイトなのだよ」
「それがわかっていて、ここに全員を連れてきたつもりでいるのか」
神殺しの丘メンバーを自分で集めたものだと思っている。
目的を捨てきれない以上、そうあらねばならぬという必要に駆られてか。
俺はそんな浅ましい感情に振り回される大先生を直視できなかった。
「殺せやしない。すべて手の内だ。あんたは支配しているつもりでいて、それらを理解することもなく流されていただけだったんだよ」
「わからない、無理だって? そんなことはない。私たちにはね、大局を見通す漠とした感覚が備わっている。君にだってわかるだろう、あれは現視しかしない。未来のことなど、考えてもみないんだ。今回だってミスで取りこぼしたから君を助けに来たじゃないか。現在しか視ないのならそんなことはしない」
失敗の事後処理に来ただと。
残念なことに、今回の主体はミネだったことに気づきもしない。
やはり、わかっていないのだと落胆する。
知っていたとはいえ、目前に迫ると苦しいものがある。
冷静に、怒りと哀れみを吐露してしまわないように祈る。
「あんたは余計なことをしなければよかったんだ」
「彼と同質なものになったからと言って、わかった気になられては困るね。私だってずっと彼について調べてきたつもりだ」
「同質なものか。ここはただの磔台だ。ただ見晴らしがいいだけのな」
静まり返った空間に不釣合いなくぐもった声がする。
俺がむせ返る音だった。
体は穴だらけ。皮膚はとうにはがれ落ち、干からびた後だった。
HOの全権取得によって、主要部分だけ生かしているような状態でいままでよく保ったものだ。
「すまなかった」
利用する手管に長けた大先生はその場しのぎに言う。
これを唯一の弱音としておこう。
「別の言葉が聞きたかったんだがな」
「他に持ちあわせがなくてね」
大先生らしいと思った。
そうでなければ大先生などと呼ばなかったから。
別の声がした。
「そろそろいいかい?」
下卑ていて耳にしつこく残る。
あれほど執拗に付け回されていたのに、なぜ忘れていたのだろう。
忘れたかったからだろう。そう答えがすぐに出るほど、明確に区別してきた存在。
俺がどれだけ行こうとも得られなかったものを、こいつは簡単によこしてきた。
今回もそうなのだろうか。ならば、つきつけてやる。お前に存在理由はないのだと。
「アイナちゃん久しぶりだね。長い道のりだったよ」
俺は半ば絶望とともにその男の口車に乗った。