愛奈の美学
俺はお辞儀で下がった顔を上げて辺りを見回す。
怒号や奇声に暴言、そんなヘイターの声援が心地よい。
このお辞儀の仕方、学んだわけではないが、俺の姿を見る大勢の人が望む仕草を自然としてしまうのだ。
例えば小さな頃なんらかのスポーツを友達とするとき、ルールの説明なんかは適当だったはずだ。違反してちょくちょく指摘される程度。
それと同じように女は力が無いから内職、男は力があるから狩りなんかにでる。人間は伝統や習わしなどで、望まれた行動をとるようにできているのだ。
だから俺は外見に見合った仕草を自然ととるようになったのだと思う。
声援のなか、「アイナちゃーん!」と大絶叫している男がいる。
名前をマガトと言ったか。まったくもって不快だ。
まず、俺のアバターの名前は愛奈と書いてマナだ。男のくせに気持ち悪い、違和感があると自分でも思う。そう、あえておおやけには言いはしないが、俺は男だ。
ワケあって名前と容姿を女にしているのだ。他人にはとやかく言われたくない。
それでもヘイターの印象操作に一役買っているため俺は気に入っている。
マガトとの出会いは初めて闘技場の試合に出た時だった。
あまりにぬるいものだから、全試合で相手選手を煽りに煽ってやった。そうしたら奴の琴線に触れたらしく、ストーカーのようにつきまとうようになった。
熱狂的なファンであるにも関わらず、名前を間違えているとはどういうことだろうか。
考えられる理由はヘイターが憎しみを込めた名前いじりの一環として、俺のことをアイナと呼んでいること。マガトが俺の名前を直接聞かずに文字表記で確認したことだろう。
最後に、間違いをいちいち訂正しない俺の性格だ。
そもそもマガトが知らない俺の事実など、いくらでもあるわけで気にすることもないのだ。
それにしても先ほどの戦いは辛勝だった。
まさか制限時間ギリギリまで持ちこたえるとは思ってもみなかった。ドリンクキャンセルもしたし回復はできないはずだ。
あるいは特殊な装備だとしよう。俺の知らない最新装備があるのかもしれない。だが、ブライアンは上衣を置いていかなければならないほど装備の数に制限がかかっていた。それは考えづらい。
だから勝てる確証などなかったのだ。
それでも信じてブライアンへの煽りを続けた。嘲笑し、罵ってやった。
もし引き分けで終わってしまえば、圧倒的有利な戦況に油断した間抜けになってしまう。そんな道化になるつもりは毛頭ない。
それはポーカーの賭け金みたいなものだ。
賭けた煽りが無謀であればあるほど勝利したときの説得力は増す。
そんな紙一重の勝利をいままで幾度もこなしてきた。俺に理不尽を突きつけてきた奴らに、それを超える理不尽を突き返すためにだ。
勝利の余韻に浸りながら家路についていた。さっさと街から出て我が城に戻りたかったし、そこ以外では気の休まるところはないからだ。
集中力もほとんど使い尽くしてぼろぼろになった頭で考える。
南西の門は危ない。あれだけ宣伝しておいて俺を気に食わない奴らが待ちぶせをしていないはずはないからだ。
もちろん俺の自意識過剰、被害妄想である可能性は十分にあるが、予見できるリスクを回避しないのは合理的ではない。
街の西にある裏路地からそっと街を抜ける算段をつけ、脳裏で道の検索をしていたときだった。
少女。女の子とぶつかった。それも正面衝突だ。
集中力を切らしていたとは言え、突然のことで「ひっ」と声を漏らして動揺してしまう。
少女はしりもちをついたまま、呆けたように遠くの空を眺めていた。その目に、俺は映っていないかのように。
そのことに俺は僅かに心のざわめきを覚えるが、そこらの不良よりも体面を気にする俺のスタイルだ。なめられないためにも睨みを効かせておく必要があった。
おう、お前どこに目をつけてやがんだ。
「お怪我はありませんか? 立ち上がり方はわかりますか」
紛れも無い、自分の口から出た言葉だった。
いつもこうだ。凄んでやろうと思った時に限って愛想の良い丁寧な自分が出てくる。
「あ! いえ、大丈夫です。そちらこそ大丈夫ですか?」
手を貸すまでもなく女の子は立ち上がる。といってもこんなところを歩いている以上まともに操作のできない初心者はいないだろう。
大丈夫? 誰に聞いているのか。闘技場に殿堂入りしたこのマナ様が、お前ごときにどうにかされると思っているのだろうか。
「私は大丈夫です。こう見えて鍛えてますから」
俺はにこやかにガッツポーズで健康を証明しながら言った。
はあ。まったく社交的なことで。
「お姉さん強いの? この街の人はみんな大きいから私びっくりしちゃった」
HOでは物理攻撃が主流とされているため、女性アバターであっても恰幅のよい者がほとんどだ。加えて、この街は闘技場があるほどに武闘派が揃っている。
俺とこの子は同じくらいの背格好ときて、おおよそ重たい武器を持つには不向きであった。
そんな俺に親近感を覚えたのか少女は俺に名乗りを上げる。
「私はミネ。お姉さんは?」
なんだミネって。もし俺だったら峰だとか山にいけだとか言われるから、絶対にそんな名前にはしない。
変な名前だと思うが、名乗られたからには返さなければならない。最低限の礼をつくすことは、嫌な奴を演じるのに重要な要素だからだ。
「私はマナ」
へえ、愛奈と書いてマナなんだ。文字表記を確認してそんな言葉が返ってくると思った。
「それじゃあマナさん。お強いということでひとつお願いが」
俺の予想は裏切られ、代わりに頼み事ときた。普段なら断っているところだが、殿堂入りという快挙の達成によって気分がいい。話だけは聞いてやろう。
「なんでしょう?」
「実は闘技場がわからなくて迷ってたんです。それで、案内していただけたらなあっと……」
消え入りそうな声で言うミネに俺は苛立つ。はっきり言えと。
俺と彼女の立場は対等である。俺なら、『ぶつかったのはお前のせいだから闘技場まで案内しろ』ぐらいは言ってやる。
だが実際にオーダーに答えるには問題があった。
闘技場で煽ってしまった手前、襲撃に備えて早く拠点に戻りたいのだ。そんなしようもないことには付き合っていられない。
「いいですよ。誰かと待ち合わせですか?」
「……そんなところです」
意思決定までくつがえす自分の対外的な人格と、ミネの歯切れの悪い言葉、二重に怒りを覚える。しかしそんなことは表情には出さない。
「おっと……。お願いに応えてあげたいのはやまやまなのですが、そうも言ってられないみたいです」
「え? それってどういう」
俺はミネの手を掴み走りだす。一つ目の角を曲がったところでちょうど爆発音が耳に入る。
俺のことが大好きなファンたちが、街中だというのに仕掛けてきたのだ。森に来いと言ったのにせっかちな連中だ。
街中でのプレイヤーへの攻撃は、迷惑を被る無関係なプレイヤーが発生してしまうためにマナー違反とされる。そしてそのマナーは自治ギルドによって遵守させられる。
つまり迷惑にならない、人通りの少ないところならばそれは可能である。
こうなることは予想していたが、困ったことに今はミネが隣にいる。
俺と一緒にいるところを見られてしまっては、これからのプレイもやりづらくなることだろう。そもそも馴れ馴れしく話しかけてきた彼女の業だ。そこまで俺は責任は持てない。
そうだ。責任は持てないが、彼女を導いてやることはできる。
「ついてこられたら闘技場まで案内してあげます。行きましょう!」
「ええ!?」
戸惑う彼女の手を引いて俺は狭くて細い路地を進む。
追手は建物の上からの飛び道具だ。状況的にはやや不利ではあるが、狭い場所での戦いは俺の最も得意とするところだ。ミネを連れていることと合わせてハンデとして十分だろう。
「だから恨まないでくださいね」
そう言いながら俺は狙撃手に向けて牽制球を撃つ。そしてそれはかわされる。
あくまで牽制である。相手が嫌がってくれていることがわかればよいのだ。
相手が俺に撃たれるのを嫌がり、建物の影に入ったところで再び走りだす。
「なにしてるんですか! 街中での攻撃はだめなんですよ!」
ああ、うるさいなあもう。普通に考えても正当防衛だってわかんないのかよ。
「すいません。ちょっとファンが暴れてるみたいで。なに、ちょっと懲らしめるだけですよ」
ついでに痛い目にあってもらおう。
俺は一度広場に出て銅像の裏に隠れる。今相手がいる位置からでは迂回するか降りてくるかしなければ攻撃できないはずだ。
しかしうまく体が隠れなければならない。俺はミネを抱き寄せて、できるだけはみ出さないようにする。
「あっ。マナさん……その」
「頭を低くして気をつけてください」
一瞬銅像の向こう側に顔を出すが、敵は未だ降りてきてはいないようだ。
もしもこれでミネがわずか1ダメージでもおえば負けたようなものだ。
平たい銅像の台座にうまく隠れるために、寝そべるようにしながら覆いかぶさる。
そして何か言いたげなミネを無視しながらその時を待つ。
俺の背中に矢がかすめる。二人隠れることは想定していなかったため、服の一部が見え隠れしている。それを見て強引に狙えば当たると思っているのだろう。
しかしそれさえも俺の計算通りだ。いくら矢の放物線を利用したところであたらない。何度も実験済みである。
「危ない! 逃げないと!」
俺の背中越しに見えた矢に同様したらしいミネが暴れ、俺の体が突き放される。
弓から跳躍してきた先の鋭い矢が、緩やかな放物線を描いて飛来するのが見えた。そして右肩の痛覚が刺激される。
被弾箇所を中心として、直径3cmほどの赤く丸い痣のような印が浮かぶ。
「大丈夫だから……。息をゆっくりして。私を信じて」
大丈夫なものか。
今回は闘技場での試合を含めてダメージを受ける予定はなかった。そのため移動速度の確保のために最低限の装備で来ていた。
俺にとっての最低限の装備とは、上下の服に各種アクセサリー類と武器、まきびしなどの各種罠。たったそれだけだ。
つまり回復アイテムはない。さらにHOには回復スキルというのもないので、現状は最も避けたい事態となっていた。
祈るようにして言った言葉はミネに通じたようで、ミネは目を見開いたまま固まっている。額にかかるミネの荒い息がくすぐったい。
3度ほど狙いをすましたような攻撃をやり過ごしたころ。ようやく相手は移動したようだ。いや、移動していてくれなければ困る。
危機的な状態であるにも関わらず、ミネが取り乱しているために自分だけは冷静を保っていられる。
ミネはかわいそうなほどに震えて動けなくなってしまっている。俺も普段ならばこうして震えるプレイヤーを仕留める側なのだが、今は状況が違う。
「どうですか。誰かから逃げ続け、隠れしのぶのって楽しいでしょう」
比較的、本心からでた言葉だった。
「こんなときに何言ってるんですか……?」
「どんなときでしょう」
他人から見て自分のプレイはどう映るのか、まともそうな彼女に聞いてみたくなったのだ。
「虚しくなることはないんですか?」
意外。ではなかった。
日頃、俺にかけられる言葉はいつもそうだった。『何が楽しいの』だとか『暇人かよ』とかそんな言葉は聞き飽いた。
その逆で賞賛はいつもマガトにされるのであまり興味はないのだが、俺のことを知らないであろう無垢な彼女からの言葉だったからこそ、その言葉には価値があった。
「いつだって虚しいさ。だけど、目標に向けて努力しているときは、いつだってそうだろう?」
本音だったのだろう。俺の言葉はフィルターを通さずに直接ミネに伝わる。
「そうなんでしょうか……」
困ったような迷ったような、そんな様子でいるミネを差し置いて俺には睡魔が襲っていた。
「ごめんなさい。もう、眠くて……」
ミネに体を預けたまま意識がとぎれとぎれになる。
しかしそれも鉄が弾ける音で意識を急速に覚醒させられる。
「ミネさんここで待っていて。その姿勢のままでいいから」
静止状態での自然回復も体力を最大にはしてくれなかったが、それでも十分対応できるはずだ。
ミネには見えない路地を少し入ったところに彼はいた。俺があらかじめ仕掛けておいた移動阻害トラップから逃れようともがいている。
いかに調理してやろうか考えたが手の込んだやり方をするにはミネを待たせてしまうと思い、一番てっとり早い方法を選択する。
「おまたせしました。では行きましょうか。今度は『ついてこられたら』とか意地悪なこと言わないので」
俺はそう言って街を案内しながら、ミネを闘技場まで導くのであった。