回想:別れの後
「大丈夫だマナ君。君の出る幕はなさそうだ。もう帰っていい」
大先生の帰還命令は明らかにおかしかった。
皆の戦っているはずの廃屋へ着いたが、そこで見た光景はさらにおかしかった。
仲間たちが倒れている。
漁られ、思い入れのあるアイテムが引剥がされていくのが見える。
俺は何もできなかったのか。これからもできることはないのか。
ないのだろう。このまま飛び込んだところで死ぬだけだ。
見なおせば、敵の守護の盾連中が大蛇を相手していた。
いや、状況を見るに襲われたといったところだろうか。
あれが大先生の言っていた大型の魔物か。
敗北を目に焼き付けることしかできない俺は、蛇の動きを完全に把握していた。
なぜあんな単調な攻撃がかわせないのだ。
下手くそが。と心で毒づいていると俺の中で変化が起こっていた。
鮮やかな赤。
いや、ここには図書館のように絨毯はなかったはずだ。そうだとするならばこれは一体なんなのか。
赤だけではない。鮮やかすぎる黄、緑、青。原色がちかちかする。
極彩色のマーブルが回転し縦横し拡大縮小する。
それが立ちくらみのように脳裏によぎると同時に、頭の芯がはっきりする感覚。
口からは言葉が溢れだしそうになり、体の感覚ははっきりし、思考はこの先30秒まではっきり予想できるほどに冴えていた。
30秒だった未来予知も時間が立つごとに精度を増し、予測範囲も拡張する。
高速化する思考と相反して、俺は物陰からゆっくりと歩き出す。
蛇相手に苦戦しているためこちらに気づかない様子だった。
「この程度の相手にどれだけ苦戦しているのでしょうか」
こちらに視線が向く。注意を逸らしたせいか一人が蛇の餌食となる。
「御一方、やられてしまいましたね」
蛇の射程に入り、鞭のようにしならせた尾による攻撃を横飛びでかわす。
「それだけでは済みませんよ」
かわした勢いを活かして走りだす。
この先のことを考えるだけで笑みが溢れる。
それどころか笑いがこらえきれない。
まずはひとり。鎧と兜の間にダガーを滑りこませる。
「後ろも注意しないとだめですよ」
そのまま蛇の背後から、慎重に攻撃と退避を繰り返す軽装の女に近づく。
驚いた表情で俺を見るが、既に遅い。俺は左手を女の肩に添え、そのまま腰の上あたりを狙って振りぬく。
「気づいたところまではよかったんですけどねっ」
三人目。四人目。と気づけば20人ほどが既に倒れていた。
俺が直々にやったのは、半分ほどといったところ。
遠巻きに見ている後衛陣も、もはや抵抗する気は無いようだ。
「かかってきていいんですよ」と俺が睨みを効かせると、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
後で影から攻撃されると面倒だ。
蛇を廃屋裏に誘導して、俺は蛇の処理に入る。
今まで、無意識の間にかわし続けていた攻撃は既に見飽きた。
右に振り下ろされる尾を半身でかわし、カウンターの一撃を鱗の無い腹を狙ってあてる。
頭を横にして大きく開かれた顎から繰り出される噛み付きに対して、下顎に左手を添える。
添えた左手を軸に牙を避けながら、舌と下顎の間にダガーをねじ込む。
振りぬいた反対側に舌先が飛ぶのを横目で見ながら、自由になったダガーで眼を突く。
何度も、何度も。
地面に伏し動かなくなった蛇からアイテムを抜き取ると辺りを見回す。
それは気味の悪いこの森の魔物よりも醜悪で、最悪の眺め。
屍の海の中、俺は思う。
こんなことのために俺は練習して、レベルを上げてきたのかと。
それから俺は仲間の装備を最優先で回収し、他プレイヤーの物はほとんど拾わなかった。
略奪だとかそういう気分じゃなかった。
勝ったのか負けたのかもわからない。
ただ、俺がそこに立っているだけだった。
呆然自失で廃屋の腐りかけた椅子に腰をかけていると、脇の扉が開かれ俺は集中する。
集中の必要はなかった。
「これは全部、君がやったのか……?」
守護の盾に入った先輩だった。
目の前の手段を捨て諦めたあのどうしようもない弱虫だ。
「そうです。あなたにはできないことをやったんです」
俺が誰だかわかるはずもないが、あんたには勝ったのだと、そう告げる。
先輩は聞いていないのか無視して言う。
「どうしたらこんなことに……。話し合いでは解決できなかったのか」
尋ねるようにではなく、つぶやくようだった。
教えてやらなければわからないのか。
動作を気取られない自然な運びで彼の首を狙う。
身動ぎひとつでもダメージ計算が始まるだろうという距離にダガーを置く。
「これであなたは私と話し合いができますか?」
硬直から緊張して萎縮しているのがわかったところで、彼を開放する。
扉を開きながら言い残しておく。
「理解されないから強くあり、強くあり続けようとする。あんたも何かを変えたいなら、まずは理解されないことを受け入れろ」
「それは君のやり方だろう! 僕は絶対に……」
言葉は扉に遮られる。
鍾乳洞への帰路は俺をなだめ、冷却していく。
冷え固まった頭で来ない仲間を待つだけだった。
一晩待って誰もこない鍾乳洞で俺は手紙をしたためる。
『一度の敗北で諦めてしまった弱虫どもへ
装備類はすべて取り返して共有倉庫に入れておいた。勝手に持って行っていい。俺もこれからは勝手にする。世話になったのかもしれないが、一度もお前らのことを尊敬したことはない』
それがこのギルドにした、唯一にして最初で最後の貢献だった。